記事は、日本のスポーツアニメが中国の80年代生まれ、90年代生まれに影響を与えたと説明したうえで、「その親、祖父母の世代に影響を与えたスポーツドラマがあった」として「燃えろアタック」を紹介。「善良な少女」の主人公が、元バレーボール選手で早逝した母親の夢であった五輪出場を目指し、数々の苦難を乗り越えて日本代表として五輪出場を果たすという「日本のドラマがもっとも好む『美少女形式』である」と解説した。
そして、このドラマが80年代初頭に中央テレビ(CCTV)によって放映され、「当時、最も中国の視聴者に愛された『非社会主義国』の連続テレビドラマになった」ほか、80年代の中国で進んだバレーボールの普及に大きな役割を果たしたと評価。「多くの市民は『燃えろアタック』を通じて、はじめてバレーボールを認知し理解した」と伝えている。
記事は、日本の「スポーツもの」は中国の20世紀後半生まれのほとんどの層を「一網打尽」にしたと解説したうえで、それが日本の「スポーツもの」には見ている者を引き込む強い力があり、熱血や情熱といった感情を呼び覚ますことの証左であると論じた。
中国の女子バレーボールは、1960年代に「東洋の魔女」と呼ばれる日本女子代表を率いて東京五輪の金メダルに導いた大松博文氏の指導を受けて基礎が築かれた。そして、80年代には現中国女子代表監督の郎平氏を筆頭とする黄金時代を迎え、初出場した84年のロサンゼルス五輪では金メダルを獲得する。まさに「燃えろアタック」に中国人民が熱中した時期である。
逆に日本は、79年から80年放送の「燃えろアタック」では出場を果たしたことになっているモスクワ五輪をボイコット。「当確」視されていた金メダルが幻となった。しかも、以後日本と中国の立場は完全に逆転し、日本は84年ロサンゼルス五輪の銅メダルを最後に、2012年ロンドン五輪の銅メダルまで6大会連続でメダルを逃し、世界選手権・ワールドカップでも約30年もの間メダルから遠ざかった。
結果的に、日本のドラマ放映と併せて中国が強くなり、逆に日本が落ち目になっていったというのは何とも皮肉なものである。(編集担当:今関忠馬)(イメージ写真提供:123RF)
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