「コンクラーべで新教皇の時代へ! 世界を動かす「ローマ教皇」の超絶影響力!」の画像
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1981年5月13日、サン・ピエトロ広場で銃撃され、側近に運ばれるヨハネ・パウロ2世(中央)。実行犯はトルコ人だったが、計画したのはポーランド民主化への教皇の影響力を危惧した旧ソ連のKGBだったと後に判明。ヨハネ・パウロ2世は腹部と腕を撃たれて瀕死の重傷を負ったが、その後もポーランド民主化の支援を続けた
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