極真空手世界王者、八巻建志の鋼のような肉体。2006年、ロサンゼルスにて撮影
【連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第45回
立ち技格闘技の雄、K-1。
前回に続き、極真空手でグランドスラムを達成したレジェンド、八巻建志(やまき・けんじ)をフィーチャー。著者が構成を担当した『八巻建志自伝 真、未だ極まらず』のハイライトを再構成してお届けする。
■渡米直後、いきなり騙される
日本での恵まれた環境を捨て、心機一転何もかもゼロからのスタートを目指し渡米した八巻建志。しかし、アメリカでの挑戦は甘くなかった。
敢えて行き当たりばったり。住居を確保しないまま渡米した八巻を最初に騙(だま)したのは、よりによって現地在住の日本人だった。日系のスーパーで「ルームメイト募集」の張り紙を見て、すぐ内見に行き即決したまではよかった。
その家主を仮にXとしよう。Xは当時、現地のボディビル界ではちょいと知れた存在で、750ドル(当時のレートで8万2500円)の家賃とは別に、食事を実費で提供すると持ちかけてきた。
「わたしは月々4000ドル(44万円)食費にかかっている。八巻さんの体を見たら、月々5000ドルはかかるでしょう。わたしと同じメニューを用意するので、食費として月々5000ドル払ってもらえますか」
まだ現地の食費の相場はわからなかった。それでも、直感で「高い」と感じたので、交渉の末3000ドルまで値下げさせた。
現地のトレーニングジムに行くと、Xに対する不信感は増幅した。彼をよく知る者から「八巻さん、大丈夫ですか?」と心配そうに声をかけられたのだ。
聞けば、Xはかなり偏った性的嗜好がある人物だというのだ。それを強要された被害者はかなりの数に上るという。八巻にそういう趣味は全くないので、「あ~っ」と驚きの声をあげるしかなかった。
他人の趣味に首を突っ込むつもりなど毛頭ないが、自分が標的にされる可能性はゼロとはいいきれない。そういえば、Xは食事に誘う際、真っ裸で八巻の部屋に顔を出すことがあった。そのたびに八巻は「Xさん、パンツくらい履いてくださいよ」と苦言を呈したが、冗談では済まないモーションだったのかもしれない。
初体面のときには体作りについての会話ができると思っていたが、もうXと関わりを持つことにメリットを感じなくなっていた。
「このままデポジットを返してもらって、さっさと引き払おうか」。その一方で、「いや、ちょっと待てよ」と心にブレーキをかける自分もいた。「こんな奴の軍門に下っていたら、アメリカでは絶対成功できない」と。
なぜ八巻はそう思ったのか。理由はただひとつ。極真で培った「目の前に楽な道と苦しい道があるとすれば、迷うことなく後者を選べ。苦しい道を選んでこそ極真である」という教えが骨の髄まで染みついていたからだ。
結局、近所のスーパーに通うようになると、月々の食費は高く見積もっても1000ドルしかかからないことが判明した。Xを問い詰め食費とデポジットの返金を求めたが、突っぱねられた。怒り心頭だったが、ここで正義の鉄拳を振るうと、訴訟大国アメリカでは裁判で負けになることは目に見えている。八巻は返金を諦め、モーテルを仮の住処として新たな住まいを探した。
■マシンガンの連射音が耳をつんざいた
現地で知り合った人の話に耳を傾けると、トーランスなど日本人も数多く居住する地区を薦めてくる人が多かった。アメリカはエリアによって犯罪発生率も大きく異なるが、トーランスは治安のいい地域として知られていた。
「やっぱりトーランスがいいか」と気持ちを固めようとした刹那、八巻は「いや、ちょっと待てよ」と思い直した。「やっぱりそれは極真ではない。どうせ住むならヤバいところに住まなければダメだろう」と。
いつもピンチに陥ったときのよりどころは極真魂だった。その魂は異国で生きるためのバックボーンでもあった。
調べてみると、サウス・セントラル(現在のサウス・ロサンゼルス)という街がロサンゼルスの中では最も危険なエリアであることがわかった。1992年4月から5月にかけ発生した「ロス暴動」の中心地として記憶している人も多いだろう。今年6月にはトランプ大統領の発令による非正規移民摘発の抗議デモ参加者と警察・州兵が正面衝突した舞台でもある。
案の定、そこに足を踏み入れると、思わず「うわっ、ヤバい」と口にしたくなるような危険地帯だった。道端には違法薬物やアルコールに溺れたと思われる視線の定まらない人たちが無数に寝そべっていた。
それでも、「ここに住もう」と一度は固めた決意を翻すことはなかった。せっかくアメリカで生活するならば、その社会のあらゆる面を知っておいたほうがいい。観光ツアーでは絶対味わえない、もうひとつのアメリカだ。
八巻は黒人居住区にある日系人がオーナーの一室を借りることにした。契約期間は1年で、家賃は1カ月700ドル(当時のレートで約8万円)。周囲は物乞いであふれ、どこの窓にも頑丈な鉄柵が付けられていることが気になったが、広いワンルームのある間取りが決め手となった。
サウス・セントラルの洗礼を八巻は引っ越した初日から浴びることになった。夜9時頃、いきなり銃声を耳にしたのだ。八巻はアメリカに旅立つ前、日本で射撃訓練を受けたことがあるので、他の音と間違えることはなかった。
カーテン越しに外を覗いてみると、ニヤニヤしながら空に銃口を向けて発砲している黒人のふたりの若者を見つけた。
八巻はすぐに警察が駆けつけてくることを期待したが、待てど暮らせどサイレンの音が聴こえてくることはなかった。危険地帯での発砲事件など日常茶飯事なので、その都度出動するようなことはなかったのだ。
「ダダダダッ!」
別の日にはマシンガンの連射音が耳をつんざいた。かつて日本の映画館で見たアクション映画のワンシーンのような出来事が目の前で当たり前のように起こっていた。
ある程度予想していたとはいえ、サウス・セントラルは犯罪の宝庫のような街だった。ある夜には警察のヘリコプターがサーチライトを照らす場面に出くわした。そのライトの先を追いかけたら、犯人らしき者が二軒先の敷地の柵を乗りこえようとする姿を目の当たりにした。
「なぜ俺はこんなところに住んでいるのか」
そんな後悔の念がなかったといえば嘘になる。しかしそのたびに八巻は「いや、これこそが極真だ」と自分に言い聞かせた。
(つづく)

『八巻建志自伝 真、未だ極まらず』 八巻建志/双葉社
取材・文/布施鋼治 撮影/長尾 迪