限りなく境界に近い科学~シンガポール(2)【「新型コロナウイ...の画像はこちら >>

観光地にもなっているホーカー「ラオパサ」。夜7時を過ぎると、オフィス街の一角が通行止めになり、「サテー(スパイスのタレにつけた焼き鳥みたいなもの)」の露店がびっしりと路上に軒を連ねる。
東京で言えば、丸の内の一角を通行止めにして、焼き鳥屋の露店で道を埋め尽くすようなもの。高層ビルが立ち並ぶオフィス街のど真ん中でもくもくと煙が立ち昇るさまは、なんとも不思議な異国情緒を感じる一景でもある。

連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第172話

物価の壁を越えてたどり着いたのは、庶民の食堂「ホーカー」。雑多な熱気と多国籍の味に身を置きながら、この街に溶け込む感覚を体で覚えていく。

* * *

【ホーカー!】

滞在生活にもだいぶ慣れてきたある日の夕暮れ。シンガポールは、気温の数字だけを見ると毎日ほとんど変わりがないのだが、湿気と天気に左右されるのか、体感温度は毎日かなり違う。

外に出るだけで汗ばむほどの日もあれば、風があってさわやかな日もある。そしてもちろん、日本でもすっかりお馴染みになったゲリラ豪雨は、ほぼ毎日、時間帯を問わずにかならず降る。月並みな喩(たと)えだが、バケツをひっくり返したような雨が、突然始まり、1時間ほど降り続けてピタっと止む。いわゆる「スコール」である。

いずれにせよ、常夏の街にいると、いろいろと細かなことがどうでもよくなる。着のみ着のまま(Tシャツ短パン)でビーサンをひっかけ、ポケットにスマホとポケットWi-Fi、現金とクレカとホテルのルームキーをねじ込んで、サングラスをかけたらそれだけで準備万端である。

――ただしシンガポールで気をつけなければならないのは、171話にも書いたように、その「物価」である。

「今日は仕事頑張ったし、ちょっと帰りに軽く一杯(蒸し暑いので、このビールがまためちゃくちゃうまい......!)。ついでにちょっとツマミでも頼むか」みたいなことをすると、会計が一瞬で5000円を超える。

定食屋で食事をすると、アルコールを頼まなくても3000円は見積もらないとなにも食べられない。かと言って今回はホテル住まいなので、部屋にキッチンはなく、自炊することもできない。

限りなく境界に近い科学~シンガポール(2)【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】
(左)お気に入りになったクラフトビール屋のヘイジーIPA。おいしいけど、1パイント2500円。(右)ちょっと食べてみた、シンガポールの「一風堂」のラーメン。調子に乗って餃子にライス、ビールもつけたら会計がサクッと5000円を超えた。

(左)お気に入りになったクラフトビール屋のヘイジーIPA。おいしいけど、1パイント2500円。(右)ちょっと食べてみた、シンガポールの「一風堂」のラーメン。調子に乗って餃子にライス、ビールもつけたら会計がサクッと5000円を超えた。

――それではどうするか?

そんなときの庶民の味方が、「ホーカー(hawker)」である。

ホーカーとは、平たく言えば「国営のフードコート」みたいなところであり、街中の至るところにある。いろいろな料理を提供する店が、体育館くらいの広さの半屋外(風通しがあって、屋根がある吹き抜けようなところが多い)のスペースにびっしりと軒を連ねている。

ホーカーの良いところは、なんといってもそこで提供される料理の安さにある。一品だいたい500~1000円くらいで食べることができる。

ここであれば、日本の「す◯家」や「吉◯屋」、「富◯そば」のようなファストフード感覚でサクッと気軽に食べられる。そして、ホーカーで提供される料理はどれもうまい。ミシュランガイドに掲載された店もあったりする。

しかしある日、ホーカーの良いところは、実はその「安さ」と「うまさ」以外のところにある、ということにはたと気がついた。

ホーカーはいつでも、謎の高揚感に満ちている。店員も客も、半屋外の屋根の下で、ワイワイガヤガヤと騒がしくしている。そのような中に身を置くと、何があるわけでもないのだが、好みの料理を提供する店を探して練り歩くうちに、だんだんと気分が高揚してくる。

......と、この感じ、日本でもどこか経験したことがあるような? ガヤガヤする人混み、むせかえる熱気。その熱気の中で昂(たかぶ)る気持ちと、額を流れる玉の汗。

――そう、夏祭りの縁日である。

日本の縁日では、お好み焼き、りんご飴、焼きそば、カステラ焼きなどなど、日本人であれば見慣れた、縁日ならではな食べ物の屋台が並んでいる。

しかしシンガポールのホーカーは、日本人にとってほとんど馴染みのない料理のオンパレードである。

中華料理、シンガポール料理(ラクサやチキンライスやバクテー)、マレー料理やインドネシア料理(サテーやナシゴレンやミーゴレンなど? 明確な線引きがどこにあるのか、私にはまだよくわからない)、インド料理(カレーやビリヤニ)、ベトナム料理(フォーやバインミー)、韓国料理、そして日本料理などなど。

いろんなメニューの個人経営店が、所狭しとびっしり並んでいる。食事だけではなく、いろいろな国のスイーツ専門店もあったりする。

シンガポールは華僑(平たく言えば中国人移民)が作った国であるので、ホーカーでは英語よりも中国語(シンガポール人が「マンダリン」と呼ぶもの)の方が圧倒的に通じる。英語が通じない店もある。地元感が強いホーカーならなおさらである。

この滞在の中で、ホーカーを訪れた回数は10はくだらないと思う。いろいろな場所にあるホーカーを訪れて、いろいろな料理を食べた。どれもちゃんとおいしかった。内心、「東南アジアの屋台」に抵抗感を覚えていた私であったが、そのような苦手意識は、今回の滞在で完全に払拭された。

この滞在から1年、このコラムの原稿を推敲しながら思い返してみても、ホーカーに自然と足が向いたのは、そこで提供される料理の安さだけではなかったのだろうと改めて思う。

そこにはやはり、日本の縁日のような高揚感があり、地元の人たちの中に混じって汗を流しながら料理を食べることで、この街に溶け込んでいる感じを覚えることができていたから、ということもあるのだろうと思っている。

文・写真/佐藤 佳

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