私が「客員教授」を務めることになった、Duke-NUS Medical School。
連載【「新型コロナウイルス学者」の平凡な日常】第173話
強烈なにおいと甘さを誇る果物の王様、ドリアンに挑戦。
そして、異国の地での再会と、実は遅々として進みきらない「客員教授」としての契約。偶然と停滞が交錯するなかで見えてきたものとは?
* * *
【果物の王様】今回の訪星について、研究とは直接関係のない裏話ばかり披露しているが、その中でも個人的な目玉となったイベントのひとつはやはり「ドリアン」だろう。
「果物の王様」として有名なドリアンであるが、その「におい」がすさまじいことでも有名である。東南アジアを旅していると、そこかしこに「No Durian(ドリアン禁止)」という張り紙を見かける。そのくらいにおいが強烈であるため、持ち歩いたり食べたりする場所が制限されているのだ。
4月に入り、シンガポールではドリアンが「解禁」されたということで(シンガポールでは、ドリアンを食べられる「期間」まで定められているらしい)、この滞在で仲良くなった連中と一緒に、それを食べに行こう(=ケイに食わせてみよう)、という話になったのである。
むわっとした独特のにおいがあるので、それを覚えると、「ああ、この辺にドリアン出してる店があるな」ということがわかるようになる。今回は情報通なシンガポール人の友人に連れられて、(彼曰く)「秘密のドリアン市場」に足を運んだ。
(左)ドリアン市場の品揃え。たくさんの品種がある。(中央)市場に並ぶドリアン。
そして、店員にナタで実を割ってもらい、ビニール手袋をはめ、中にある「身」をほおばる。周囲がドリアン臭に満ちていて嗅覚が麻痺したからか、食べてももはやにおいは気にならない。
――で、肝心の味はと言えば、とにかくめっちゃ甘い。「天然のカスタードクリーム」などという喩(たと)えを聞いたことがあるが、それもわかる気がする。とにかく甘く、そして重たい(脂っこい)のである。
猫山王(Musang King)、S17、竹脚(Green Bamboo)という3つの品種をそれぞれ、ひと房かふた房ずつ食べ進めていったのだが、3つめの品種にたどり着く頃には、胃もたれというかなんというか、「もう完全にお腹いっぱい」状態になってギブアップ。
それからしばらくの間、今までの人生で感じたことのない感覚に苛(さいな)まれた。おそらく血糖値が急激に爆上がりしたのだろう、鼻血が出そうな感じというか、頭がボーッとする感じが数時間ほど続いた。
......と、ここまで、遊んでいるようなフラフラしたようなことしか書いていないが、もちろん毎日ちゃんと仕事もした。訪問先のDuke-NUSにはオフィスを用意してもらっていたので、平日はほぼ毎日出勤し、連日のようにシンガポールの同僚たちとの打ち合わせを重ねた。
さらにこの滞在中には、東京の私のラボのポスドクたちもシンガポールを訪れ、Duke-NUSで打ち合わせをした。どの打ち合わせも有意義で、これからの共同研究の足がかりとなる貴重な機会となった。
およそ2週間半の長逗留。しかし結局、仕事のない平日は1日もなく、びっちりと打ち合わせやミーティングでカレンダーが埋まった。合間に日本とのウェブ会議も何度かこなし、講演のためにシンガポール国立大学(National University of Singapore、通称「NUS」)に出かけたりもした。
週末も結局、観光にも行くような時間はほとんどなく(シンガポールには、ひとりで楽しめる観光地のような場所はほとんどないし、私はそもそも観光の類にあまり興味がない)、近所にお気に入りのカフェを見つけ、その日陰のテラス席でゆったりと仕事をしたりした。
気に入ってよく足を運んだカフェのテラス席。週末はここで仕事をすることが多かった。
【偶然の再会!】
そして、この訪星の中でひとつ、驚きの出来事があった。
イギリス・ケンブリッジ大学で教授を務める友人のラヴィ(15話、17話、56話、86話、108話、143話、157話、159話などに登場)がなんと、シンガポールに来ているというではないか。NUSで私が講演したことをきっかけに、私がシンガポールにいることを知って連絡してきたのだという。
ラヴィはなんと、NUSの客員教授になるのだという。NUSは、私が客員教授を務めるDuke-NUSの親組織。「世間は狭い」というかなんというか、考えることはみんな同じなのだろうか。
――ラヴィとは、2022年(157話)以来、2度目のシンガポールでの邂逅(かいこう)である。彼が見つけた中華料理屋で一緒にうまい夕食をとった後、マリオットホテルのルーフトップバーへ。
そこでは、最近たしなむようになったワイン(詳細は171話を参照)をグラスで一杯、と思っていたのだったが、ドリンクメニューに「グラスワイン」がない。暑くてあまり酒を飲まない国だと(私の経験上、シンガポール人はあまり酒を飲まない人が多い)、グラスワインという概念がないのかもしれない。しかたなくラヴィと同じ、「ネグローニ」というカクテルを飲んだ。
ルーフトップバーのプールサイドにあるサンベッドに寝そべるラヴィ。
――2025年前半の情勢。
それがどうなるのかは誰にもわからないので、さほど深掘りをすることはなく、その話題は露と消えて次のトピックに移ることが常であった。しかし2025年、カンボジアでもタイでもシンガポールでも、どの会話でも共通していたのは、
「ピンチはチャンス。これからの(コロナ)研究はアジア!」
という合言葉であった。
【シンガポールとグラスゴーの違い】171話で、英語の発音の話の流れから、10年前のグラスゴー滞在(88話)との対比を話題にした。いろいろな不運が重なって「黒歴史」のような位置づけになっている2015年の私の「グラスゴー長期出張」であるが(詳細は88話を参照)、グラスゴーとシンガポールを比較して決定的に違うのは、「天気」あるいは「気候」である。
赤道直下にあるシンガポールは常夏であるので、基本的にずっと暑い。雨が降ると言っても、今回の出張の出だしの「モンスーン」(168話)のようなものは例外で、基本的にはずっと晴れていて、時折気まぐれにゲリラ豪雨が降る、というのがシンガポールの気候である。
この連載コラムのどこかでも書いたことがあると思うが、「天気」や「気候」でメンタルが大きく左右される私にとって、常夏のシンガポールは、住んでいるようにただ「生活」するだけで、気分が右肩上がりになるようだった。
【そして、実はまだ始まらなかった「客員教授」】ところで、今回のコラムシリーズの中で、私はあたかも「シンガポールで客員教授(Visiting Professor)の肩書を得たので、今回の滞在は、客員教授としての活動の一環である」というようなことを述べてきた(168話)。
しかし実はこれはウソであり、2025年の春に滞在したこの時期、私のこの肩書の契約はまだ完了していなかったのである。
158話でも紹介したように、この話が動き始めたのは2023年の2月。
たしかに、それから話はトントン拍子に進んだ。そのため、その数ヶ月後に予定していた訪星のときには、契約はすっかり完了していて、私は晴れて客員教授として訪星できる――というのが私の算段であった。
――しかし。話が動き始めてからここまで2年の月日が流れていることからも明らかなように、シンガポールはとにかく、事務手続きにかかる時間が長い。しかも聞くところによると、シンガポールは特に、前例がない「初モノ」の手続きにはものすごい時間がかかるのだという。
Duke-NUSはこれまで、「客員教授(Visiting Professor)」という肩書は、アメリカのデューク大学(Duke University)、つまり、Duke-NUSの親組織のひとつに所属する教授にしか与えていなかったのだという。
言うまでもないが、アメリカのデューク大学と私にはまったく関係がない。つまり私は、「デューク大学とはまったく無関係な客員教授」としての初めてのケースになるのだという。
前例がない「初モノ」の扱いにはとにかく慎重なシンガポール。私の契約にもその皺寄せがきた、ということらしい。幸いにして、今回私がシンガポールに到着してすぐに、「すべての関係部署からの承認は得られた」という知らせが人事部から届いた。
であれば今回の滞在中に、その契約書を目にして、締結までこぎつけることができるはず。
......そう目論んでいたのだが、やはりそうはおろさない問屋がシンガポールであった。結局、日本に帰る数日前に契約書が届き、細かな確認ややりとりを始めることができたのだが、結局この滞在中に、「客員教授」の契約締結に至ることはなかったのであった......。
文・写真/佐藤 佳
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