SNSでアップしたものまね写真が“似てないけど似てる”と話題を呼び、芸歴20年目にしてブレイクしたガリットチュウ福島善成さん。私、インタビューマン山下は、彼と事務所の元先輩・後輩の間柄で旧知の仲なのです。
福島さんのものまねは、昔から芸人仲間の間では「おもしろい!」と絶賛されていました。

時代の潮流と、彼の笑いが合流して世間に認められ、元先輩として喜びもひとしおです。

そんな福島さんにあらためて、どんな芸人人生を送ってこられたのか、お話を伺いました。

■ネタは450個! 浅く広~く広~く

山下 “似てないけど似てるものまね”が話題を呼び、いろいろなメディアへの露出も増えていますが、そもそものきっかけはなんだったんですか?

福島 きっかけは船越(英一郎)さんのものまねです。SNSに写真を上げたらヤフーニュースになったんですよ。そしたら直後にあの騒動があって…。
それで軽く話題になってものまね番組などが続々と決まりました。でも、すぐ仕事が落ちかけてきて。そんなときに、『有吉ゼミ』(日本テレビ系)をはじめ、ものまね番組などでダレノガレ明美さんや三戸なつめさんのものまねをやって、そこからさらに『しゃべくり007』(日本テレビ系)で松本幸四郎さんのものまねをやり、一気に仕事が増えましたね。

山下 ものまねへのこだわりはありますか?

福島 あるスタッフさんに、「船越さんに顔が似すぎてるから、しゃべりのものまねもできたら仕事来るよ」って言われたんですよ。たぶん本気でやったら、イントネーションとかは近づけると思うんですけど、「ただ俺、そこじゃないしな~」と思って。ガチガチのものまね芸人さんではないので。
一般人ものまねも含めるとネタは450個くらいあって、浅く広~く広~くという気持ちでやっているんですよ(笑)。



山下 例えば、どんな感じで?

福島 『しゃべくり007』で松本幸四郎さんのものまねをしたときは、幸四郎さんがポテトチップス大好きだと聞いていたので、ひと口食べてどこのメーカーかを当てる「ききポテトチップス」をやりました。それで歌舞伎口調で「湖池屋~」ってやったらウケたんですよ。自分のものまねは、「おお~すごい」と言われるものではありません。しゃべりは似てないから、クオリティで勝負するのではなく、ちょっとひねったボケを重視したほうがいいかなと思っています。

山下 周りの人はどんな反応をされていますか?

福島 奥さんには「調子に乗んなよ」と言われています(笑)。
2、3年前まではテレビ番組に出ることが決まったら、とんかつとかすごいごちそうを作ってくれてたんですよ。でも、今はどんなゴールデンの特番であろうと、普通に自炊して仕事に行きますよ(笑)。うちの嫁は僕の芸に対してまったく興味ないみたいです。子供もあんまり興味ないですし…。周囲の反応という意味では、相方の熊谷(岳大[たけひろ])がちょっと優しくなったぐらいです(笑)。

山下 ダレノガレ明美さんとはお会いしているようですが、ほかのものまねをしている方たちとはどんなご関係ですか?

福島 船越さんとはまだお会いしていないですけど、実はお会いできるチャンスが一度あったんですよ。
「福島さん、今すぐここに来てください」って後輩芸人から地図が送られてきて。「今、船越さんと飲んでいまして、船越さんが呼んでいます」って書いてあったんですよ。

山下 ご挨拶できる大チャンスじゃないですか!

福島 でもメールに気づいたのが朝の7時で。寝ていて気づきませんでした…。





■極貧の下積み時代、高血圧症で死にかけた

山下 芸歴20年のなかで、ほかに売れるチャンスはありましたか?

福島 2012年に『しゃべくり007』で吉高由里子さん30分、ガリットチュウ30分という放送回があったんですよ(笑)。けっこうな反響があって、いくつかテレビの仕事が入ってきたんですけど、放送翌日から吉本の大阪の劇場でお芝居の仕事が入っていまして。
60日間、完全にスケジュールを押さえられていたんです。その結果、事務所にテレビの仕事を全部断られました。しかもその芝居の役がスーパーチョイ役だったんです(笑)。

山下 最悪じゃないですか!

福島 あとは『さんまのまんま』(関西テレビ)の新春特番でやっている今田(耕司)さんのおすすめ芸人コーナーですかね。過去には渡辺直美エド・はるみムーディ勝山などを輩出していまして、M-1に出られない芸人のなかでM-1みたいな存在のコーナーなんですよ。何百組もの芸人がオーディションを受けるんですけど、毎回4、5組しか通らない。
そんな狭き門に僕らは最多の3回出させてもらっているんですが、なかなかブレイクしないという(笑)。

山下 売れなくてつらかった思い出はありますか?

福島 30歳も超え、芸歴も12年目ぐらいの頃、ふたり目の子供ができて、川崎の安いアパートに住んでいたときは本当に貧しい生活をしていました。嫁が節約のために紙おむつじゃなくて今どき布おむつを使っていたり、自分の使い古しのパンツを息子のよだれかけに作り直したり。そんなある日、僕が家に帰ったら、嫁が貯金通帳を見ながら、「もう終わりだ!」と泣いていました。そのときは怖くて通帳の中身が見られなかったです(笑)。

嫁の涙を見たすぐ後に、しっかり頑張らなきゃと思って、ギャグの日本一決定戦の番組オーディションを受けたんです。本戦に出られて決勝まで残りました。優勝賞金の100万円が欲しかったんですが、結局FUJIWARAの原西(孝章)さんに負けてダメでした。



山下 うわ~! 残念! ギャグキング原西さんはやっぱ強いな~。

福島 その後、体を壊しまして、108kgあった体重が一気に20kg落ちました。高血圧症で倒れて救急車で運ばれたんです。そのときの血圧は上が240、下が160。「これ死んでもおかしくなかったよ、即入院してください」と医者に言われたんですけど、次の日に奈良で営業が入っていて「仕事があるんで」って断ってそのまま帰りました。入院するお金がなかったのもあったんですけどね。それで次の日、ふらふらになりながら一番近所の内科医に行って薬をもらおうと思ったら、そこでも血圧が200もあって。先生に「これで仕事に行ったら死ぬよ、死んだら元も子もないから、今すぐここで電話しなさい」と言われて、泣く泣く仕事を断りました。

医師免許を持っている後輩芸人が救急病院でバイトしているんですけど、彼に言われたんです。「昨日、緊急で運ばれてきた人が亡くなったんですけど、血圧230でしたよ」って。「俺のほうが高いじゃん、やべぇ!」と思いましたよ。

山下 本当に死なずにブレイクできてよかったですね。

福島 いやブレイクなんかしてないですよ(笑)。

(取材・文/インタビューマン山下 撮影/藤木裕之 ヘア&メイク/武田尚子[MELANGE])

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