「JRA系はマジで恵まれている」
 そんな書き出しで装蹄師の仕事を紹介したXの投稿が、大きな議論を呼んでいる。「1年間の講習で資格を取得」「駆け出しで年収500万円」「1頭あたり2万円、作業時間は30~40分」などの数字を並べ、最後は「装蹄師のような知名度の低い職業で悠々自適もあり」と結ばれていた。


現場関係者の反発を招いた「4文字の言葉」

「JRA系はマジで恵まれている」…“30分で2万円”投稿で競...の画像はこちら >>
 投稿だけを読めば、短い期間で資格を取り、短時間の作業で高収入を得られる職業に映る。ただ、競馬関係者が強く反応したのは、装蹄料金や講習期間よりも「悠々自適」という4文字だったようだ。

 危険と熟練を伴う仕事を、表面上の単価だけで「気楽に稼げる仕事」のように見せた——。職業への敬意を欠くように受け止められたことが、反発の大きな理由だったのではないか。

 たとえば加藤和宏厩舎のXアカウントは、「装蹄師の仕事がどれだけ過酷で繊細か現場じゃないとわからない」としたうえで、「装蹄師の凄さを舐めてほしくない」と反応。ほかにも「悠々自適な職業なんて口が裂けても言えない」との厳しい声や、作業中の事故で大けがした人を知っているという投稿が広がった。

装蹄師は危険と高度な技術を伴う“競馬を支える職人”

 まず見過ごせないのが装蹄師という職業の危険性だ。400kgから500kg以上もの体重がある馬の脚を持ち上げて行う作業は、明らかに楽ではない。生きた馬を相手にする以上、蹴られたり踏まれたりする危険も伴うだろう。

 もちろん、危険なだけの仕事ではない。そこには高い専門性もある。装蹄師は既製品の蹄鉄を機械的に取り付けるのではなく、馬ごとに異なる蹄の形や減り方、立ち方を見極める。蹄を削り、蹄鉄を加工しながら、一頭一頭に合ったバランスへ整えていく。いわば競馬界を陰で支える職人だ。


 JRAのブログ「馬の温泉だより」では、「蹄なくして馬なし」という言葉が紹介されている。蹄は大きな体を支え、着地時の衝撃を受け止める重要な部分である。

 削り方を誤れば馬が歩きづらくなる可能性もあり、蹄鉄の加工には熟練した鍛冶技術が求められる。目の前の作業は数十分でも、その判断力や技術が短時間で身につくわけではない。

 2級認定装蹄師になるには、約1年間の認定講習会を受講し、認定試験や申請、審査など所定の手続きを経る必要がある。講習は全寮制で、座学だけで取得できる資格ではない。

 しかも、資格を取ればすぐに一人前というわけではなく、上位資格を目指すには実務経験が必要だ。安定して仕事を任されるには、技術と経験の積み重ねが欠かせない。

収入は「1頭2万円」の数字だけでは見えない

 そして「1頭2万円」という見え方にも注意が必要だ。日本装削蹄協会によると、競走馬の装蹄料金は1頭1万~2万円程度とされている。

 ただし、個人で開業する場合、ケガや事故で仕事ができなくなれば収入もなくなる。日本装削蹄協会は、事故などへの備えも自身で行う必要があると説明している。

 蹄鉄を打っている時間だけを料金で割っても、移動や準備を含めた1日の労働時間や、実際に残る収入までは見えてこない。


 なお、同協会などの公式資料では、駆け出しの装蹄師が一律に年収500万円を得るとの裏付けは確認できない。勤務先や経験、担当頭数によって収入が変わる以上、誰にでも当てはまる数字として扱うのは難しい。

高収入だから楽とは限らない…数字だけでは測れない仕事

 そもそも高収入であることと、仕事が楽であることは別問題だ。危険や責任が大きく、簡単には代わりの利かない技術を持つからこそ、相応の対価が支払われる仕事もある。

 仮に装蹄師の収入が一般的な職業より高かったとしても、それだけで「悠々自適」と結論づけることはできないだろう。

 もっとも、発端の投稿をすべて事実と異なる話として切り捨てるのも違う。講習期間や装蹄料金には一定の根拠があり、あまり知られていない仕事にも収入を得る道があると紹介したかったのかもしれない。

 装蹄師に興味を持つ人が増えることまで否定する必要はない。技術と信頼を積み重ねながら、長く現場で活躍する装蹄師もいる。稼げる可能性があることと、悠々自適に働けることは同じではない、という話だろう。 

専門職を伝える難しさ…数字の裏側まで伝える視点が必要

 逆に、現場の苦労を強調するあまり、「大変な仕事だから収入について語ってはいけない」となるのも健全ではない。問題は職業の魅力を伝えたことではなく、魅力だけを切り取ったように見えた語り口にある。

 今回の議論は競馬界だけに限らない。
医師、整備士、職人など多くの職業でも、目の前の作業時間だけを切り取れば「短時間で高収入」に見えることがある。

 だが、その裏側には訓練、責任、危険、そして信頼を得るまでの年月がある。作業の値段には、目の前では見えない時間も含まれている。

 投稿者を袋だたきにして終われば、せっかく広がった関心もそこで止まる。問われているのは数字の正誤だけではなく、その数字がどんな仕事の重みを切り落としてしまうのか、という点ではないだろうか。

 知らない仕事をわかりやすく紹介するために、どこまで単純化してよいのか。「悠々自適」という4文字に集まった反発は、装蹄師だけでなく、あらゆる専門職への向き合い方を問いかけている。

文/中川大河

【中川大河】
競馬歴30年以上の競馬ライター。競馬ブーム真っただ中の1990年代前半に競馬に出会う。ダビスタの影響で血統好きだが、最近は追い切りとパドックを重視。競馬情報サイト「GJ」にて、過去に400本ほどの記事を執筆。
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