みなさんは「学歴差別」を受けたことがありますか?
もしくは、誰かを学歴で差別した経験があるでしょうか。
先日、Xにて九州大学の岡崎晴輝教授が、大学紹介や学生インタビューを中心に動画を発信するwakatte.TVを痛烈に批判しました。
最近では鳴りを潜めたものの、彼らもかつては「法政大学第一志望者0人説」(2019年4月18日投稿「法政大学の入学式、第一志望の新入生0人説を検証!法政ニキが…まさかの…【wakatte.TV】 #172)や「高卒の作った単純なパン」(2020年8月4日投稿「ふーみんに天罰が下る?宮島・厳島神社でアホ街ック天国!【wakatte.TV】 #401」)など、過激な企画・発言で度々物議をかもしていましたから、炎上自体は日常茶飯事だったはずです。
そして、今回も例にもれずネット上の「学歴至上主義」的な方々がわらわらと集まっては岡崎教授を叩き始め、挙句の果てには岡崎教授を「法政大卒だからコンプレックスが刺激されたのだ」と的外れな悪口にて中傷するなど、いつにも増して過激な発言が飛び交うまでに。
教育の結果は遺伝要素も影響しますが、生育環境も多分に関わることは、周知の事実。
それでもなお、18歳周辺時点の大学合格歴程度にこだわり、人を馬鹿にし続ける彼ら「学歴厨」の振る舞いには、無知以上の何かが隠されているように感じます。
どうして学歴差別が起きるのかを考察します。
諸悪の根源=偏差値
私は、大学入試における偏差値の存在が、学歴差別の主要因だと考えています。高校生の狭い視野の中では、「同じ環境で」育った同年齢の人間が、「平等な」スタートを与えられて、「公平な」ペーパーテストでの選別を受けた結果としての「大学合格」が、人間の価値を証明するように見えても仕方がないでしょうから。
確かに、試験に受かるためには、一定の勉強は必要です。だからこそ、努力を積み上げなくてはいけない。
就活などで「高学歴の学生が通りやすい」とされるのは、「少なくとも努力はしてきました」と保証するからでしょう。
ただ、先ほど指摘した通り、「教育の成果」には得てして本人の資質以外の要素が多く入り込みます。
例えば、「勉強したら褒められる家で育った子ども」と「勉強したら怒られる家で育った子ども」では、どちらの方が成績を上げやすいと思いますか? もちろん、「褒められる家」ですよね。褒められるからこそ、精神的な達成報酬として「やりがい」を得られるからです。
もしくは、「東京23区に住む世帯年収3,000万超の家庭出身者」と「人口数百人規模の町村に住む世帯年収400万円程度の家庭出身者」とでは、両方ともが「平等な教育機会を得られた」と言い切れるでしょうか?
昨今ではインターネットが普及しましたから「情報は平等にある」と言い切りたくなりますが、実際には「検索手段がある」ことと「知っている」ことは全くの別物です。
世帯年収が低くても、十分な才能があれば、進学塾へ特待生待遇で入れたり、給付型の奨学金をもらえたりするかもしれない。でも、それすら知らないので「自分たちには無理」と受験自体を諦める子どもが存在するのに、「学歴・受験は平等」といいきれるものでしょうか。
同じような文脈では「推薦・総合型選抜」(いわゆる指定校推薦やAO)が「不平等受験」の象徴として叩かれがちですが、一般受験にも「完全なる公平」とは言い切れない側面があることを、忘れてはいけません。
わかりやすすぎる偏差値評価
しかし、いくら学歴や大学受験を重視している人々だとしても、「受験の結果は不平等である」ことなんて、わかっているはず。それでも、たかだか学部の入学歴・合格歴程度で人を値踏みするのは、偏差値による分かりやすすぎる相対評価が、18歳を境目にして終わってしまうからではないでしょうか。
つまり、大学入学以降は、国語・数学・英語・理科・社会(と副教科)のわかりやすい指標以外にも「コミュ力」「体力」「粘り強さ」といった非認知的能力が増えたり、主要5教科で割り切れない横断的な話題が増えたりしますよね。これでは、偏差値を測りたくても測れない。
だからこそ、年収マウントや勤続企業マウントなどにシフトしていくわけです。
マウント自体が悪しき風習であることは間違いありませんが、序列の中に存在価値を見出してしまう悲しい習性を振り切れない側面が一定ある以上は、どこまで行っても堂々巡り。
「学歴マウントはよくありません!」と指摘するべきですし、それは簡単ですが、「ダメだ」といって通じるような簡単な話題であればこうも問題になりません。
むしろ私がここで注目したいのは、多くの学歴厨は、おそらく大人(それも30代以上で、大学生や卒業したてではない)であるにも関わらず、「どうして未だに学歴(=偏差値序列)にこだわり続けるか」。
もしかすると、「偏差値」に変わるような、分かりやすくてマウントが取れる指標が見つからないがゆえに、次のステージへ移行したくてもできないのかもしれません。
「学歴主義の敗北」を感じざるを得ない
18歳時点の、環境に左右されるような称号にいちいちこだわり、あまつさえ九州大学で教授を勤められる先生に向かって「法政大学卒だから」と、一周回って暴言にもならないようなつまらなく程度の低い悪態をつき、それでいて「学歴差別を受けないために勉強するのだ」と開き直る。彼らは、現在を生きるその人ではなくて、常に「過去の特定時点でのその人」を見ています。前を向かずに、いつだって後ろ向きに何かを見下しては笑って生きている。
その様子に、どうしても私は「学歴主義の敗北」を感じざるを得ません。
偏差値での一元管理体制に子どもたちを組み込んで、学歴順序を作り出し、「上へ、上へ」と競争を強いた結果、「たかが高校・大学歴まで」で一生の勝者になったと勘違いさせてしまった。
そもそも人間、誰かと比べて価値を見出すものではないでしょうが、それにしても「人生をかけて何をするか」が重要なのであって、学歴はその最初期の一過程に過ぎないはず。
一時的に大人物をも上回ったかつての「最大瞬間風速」に囚われて、いつまでも前を向けないまま人生を歩むのは、本人もつらいでしょう。
就活の一括採用システムや「大学卒」を最低資格とする雇用形態など、多くにメスを入れねばならない問題です。
学歴が人心を動かす限り、「東大式○○」「京大卒の○○」などの文言は世間を定期的ににぎわすでしょうし、それがさらに学歴差別を横行させる一因になるでしょう。
もはや、「学歴差別」はエンタメとして消費される対象になりました。ですがそれは、かつてフィンランドの要人がアジア人差別のジェスチャーを「意図しなかった」と、一種の「ウケねらい」でやったと取れる発言をした過去に通じます。
すなわち、差別をエンタメと消費できるのは、いつだって差別する側でしかないのです。
私自身だって、かつてはそれで世に出たのですから、恩恵を強く受けたことは否定できません。
ですが、たとえ私自身が損をすることになったとしても、私は「学歴で人間性を判断するのはやめるべき」だと唱え続けようと思います。
<文・布施川天馬>
―[東大卒作家・布施川天馬の教育キャリア通信]―
【布施川天馬】
著述家、教育ライター。 一般財団法人「ドラゴン桜財団」評議員。 1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を編み出し、一浪の末東大合格を果たす。著書に最小コストで結果を出すノウハウを体系化した『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』など。株式会社カルペ・ディエムにて、お金と時間をかけない「省エネスタイルの勉強法」などを伝える。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)
![LDK (エル・ディー・ケー) 2024年10月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/61-wQA+eveL._SL500_.jpg)
![Casa BRUTUS(カーサ ブルータス) 2024年 10月号[日本のBESTデザインホテル100]](https://m.media-amazon.com/images/I/31FtYkIUPEL._SL500_.jpg)
![LDK (エル・ディー・ケー) 2024年9月号 [雑誌]](https://m.media-amazon.com/images/I/51W6QgeZ2hL._SL500_.jpg)




![シービージャパン(CB JAPAN) ステンレスマグ [真空断熱 2層構造 460ml] + インナーカップ [食洗機対応 380ml] セット モカ ゴーマグカップセットM コンビニ コーヒーカップ CAFE GOMUG](https://m.media-amazon.com/images/I/31sVcj+-HCL._SL500_.jpg)



