―[東大卒作家・布施川天馬の教育キャリア通信]―

 皆さんは普段、どれほど生成 AI を利用していますか?
 昨今の学校では、調べ学習だけではなく、課題をAIに解かせる子どもも増えているようです。

 2026年9月5日の日経新聞の記事では「AIを使った作文が学校代表に選ばれて罪悪感に苦しみ泣きながら親にAI利用を打ち明けた」例が紹介されていました。


 私自身も調べ物などをザクッとAIに確かめてもらってから自分で裏を取るなんてことをする日もありますが、「こんなに楽をして、調べ物のスキルが落ちないだろうか」と心配なので、なるべく手作業で進めています。

 罪悪感ではないにせよ、不安感があることは確かです。

 答えに最短ルートで辿り着く一方で、以前なら「途上」で拾えていた様々な無駄知識の存在に気付けず、普段から考え事をしている人とそれ以外との差は一層広がるようにしか考えられません。

 学びの現場におけるAI利用は、個人的にある種の制限が必要な気もしています。

 今後スタンダードになるだろうAI利用について、我々はどこまで許容すればいいのか、考察します。

読書感想文や入試試験で「AIを使う」子どもが増加。「小中学生...の画像はこちら >>

大学入試でもAI利用が認められる場合が

 実は、大学受験においても生成AIを活用する例が増えています。

 特に、推薦・総合型選抜など事前提出の作文資料による一次審査がある入試の場合、資料作成にAIを利用する学生が後を絶ちません。

 近畿大学情報学部のように、自己PR動画の制作やプレゼンテーション準備において「AI活用を認めます」と明記する大学がある一方、早稲田大学国際教養学部などは、志望理由書を廃止して、試験当日に小論文形式で書かせるなど、明らかにAI利用を認めないと示唆しているような大学もあります。

 大学入試とは、知識だけを求めるものではありませんでした。

「その情報をどのように活用するか?」「与えられた状況を、手持ちの道具で打破できるか?」を問うために入試は存在しており、その精度を上げるために、我々は受験勉強をしてきました。

 大学入試程度の内容が解けなければ、大学以降の学びなどついていけません。

 実際に、私の母校である東京大学入試の英語試験では、文法問題や長文読解のみならず、自由英作文や和文英訳、はたまた英文を読んで日本語に要約しなおしたり、30分にもわたるリスニングがあったりと、要求される能力は多岐にわたります。

 ですが、これらがそれなりに解けていないと、東大の1年・2年での学びが全くおぼつかないのです。


「この程度の知識や技術はあって当たり前だよね」を確かめるのが入試であって、突破することより、そこまで力を磨くことに意味があると言えます。

 だからこそ、一般入試におけるAIの利用は、手段が目的を上回ってしまっている点で不適格です。

 AIの力を借りて突破したとして、AIの助けを借りられない状況に陥ったとき、その人はどうするのでしょうか。電子マネーしかないときにスマホをなくしたら、実質無一文と同じです。

AIから離れることが難しい現代人

 しかし、大学に入学してからの学びにおいて、AIを利用する学生が増えているのもまた、事実でしょう。

 以前取材した東京大学法学部の学生は、「自分自身も含め、同期はみんなAIを使っている。いちいち本を読むよりも、先生の話を録音して、AIに文字起こしさせたものを、AIに要約させた方が、楽だしわかりやすい。勉強をさぼっているわけではなくて、勉強以外の活動を頑張ろうとすると、どうしても時間が足りないから、タイパよく過ごさないといけない」と答えていました。

 少ない時間で成績を取らないと、落第してしまう。でも、勉強ばかりでは、来る就活や恋愛など、勉強以外の面で戦うべき時に使う武器がなくなってしまう。両立しようとすれば、無理をしすぎていずれは体調を崩してしまう。

 勉強も、私生活も、健康も、すべてを取りたいならば、AIを使うしかない。「大学生なのだから、勉強を第一にするべき!」と怒りたくなる気持ちもわかりますが、一方で、仕事の簡略化のためにAIを使っているのも、広い目で見ればこれと同じなわけです。


 大学入試と違うのは、「過程に意味を見出しているかどうか」でしかありません。

 件の大学生は、学びの過程ではなくて、「テストで何点を取った」「期末評価がどれほどだった」など結果を重視しているのでしょう。だからこそ、AI利用をして当たり前だと考える。

「過程の意味」をどう子供に伝えるか

 一方で、冒頭で紹介した日経新聞の記事に登場した「AI作文を提出した子ども」が泣いたのは、「過程に価値があったこと」に気付いたからではないでしょうか。

 作文の賞を取りたいのであれば、確かに作家の文章を大量に食わせたAIに書かせるのが一番早い。

 でも、それで取った賞に大した意味はありませんし、むしろいつか化けの皮が剥がれる瞬間が来るのではないかとおびえ続けなくてはいけません。

 もはや、私たちの生活からAIを取り除くことは不可能です。それがなければ業務が回らないほど仕事のボリュームは膨れ上がっていますし、それを利用している他者(他社)に負けたくないならば、やはりAIに頼らざるを得ない。

 必要なのは、「過程」に価値を見出す価値観でしょう。特に、子どもの利用に対しては、注意深く接するべきだと感じます。

 大人はこれを自己責任でできるかもしれませんが、子どもたちは「過程」で得られる無駄な知識や技能がわが身をすくう可能性があることを、まだ知りません。

 どうしても我々は「答え」を出してくる子どもばかりをもてはやしてしまいますが、その過程にどのような意味が眠っているかを指摘するのは、我々大人の役目になるのではないでしょうか?

結果ばかりを求めた先にあるもの

 能力を伸ばすためには、知識や技法の学習も必要です。

 しかし、それらを実際に運用して得られた自分なりにパーソナライズするための経験もまた、必要になります。


 AIは、この中間過程をすべてカットしてしまう。これでは「努力の方法」がいつまでたってもわかりません。

 一般に、あるスキルに対する努力の過程は、ほかのスキルを身に着ける際にも役に立つと言われます。

「努力転移」と呼ばれる現象であり、ある技術を身に着ける道のりで得られた経験が、抽象化を経て別のスキルを身に着けるためにも役に立つことがあるのです。

 個人的には、小中学生の間は、AIの使用を禁止すべきだと感じます。

 AIは、誰にとっても「大人の70点」をたたき出せる便利な道具であり、明らかに「多くの子どもにとっての100点」を超える優れた結果を無尽蔵に生み出してしまうからです。

 AIは包丁みたいなもので、ただの道具にすぎませんが、ひとたび扱いを間違えると、誰かの人生を終わらせかねない危険性も秘めています。

 適切に扱う知恵と常識が身につくまでは、せめて大人が監督するべきです。

「自分がやりたいことを見つけるきっかけ」は、自分がそれに自信を持った時に隠れていると感じます。

 でも、AIに頼る限りは、自信をつけたり興味を抱いたりする機会を得られません。

 このままでは、10年後あたりに、「自分で考えて苦労してきた子」と「それ以外」とで、絶望的な差がついてしまうように感じます。

 つまり、AIネイティブの世代が、大人になってからのこと。


 それこそ、「○○年あたりから、明らかに新入社員の質が落ちた」なんて語られるようになってからでは、もう遅いんです。

 だからこそ、子どもの間は、せめて使用を控えるとか、使用する際は必ず大人の管理下で使うとか、そういう制限を設けてはいかがでしょうか。

<文・布施川天馬>

―[東大卒作家・布施川天馬の教育キャリア通信]―

【布施川天馬】
著述家、教育ライター。 教育メディア「未来図」副編集長。一般財団法人「ドラゴン桜財団」評議員。 1997年生まれ。世帯年収300万円台の家庭に生まれながらも、効率的な勉強法を編み出し、一浪の末東大合格を果たす。著書に最小コストで結果を出すノウハウを体系化した『東大式節約勉強法』、膨大な範囲と量の受験勉強をする中で気がついた「コスパを極限まで高める時間の使い方」を解説した『東大式時間術』など。株式会社カルペ・ディエムにて、お金と時間をかけない「省エネスタイルの勉強法」などを伝える。MENSA会員。(Xアカウント:@Temma_Fusegawa)
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