巨人の長嶋茂雄終身名誉監督=報知新聞社客員=が3日午前6時39分、肺炎のため都内の病院で死去した。巨人で投手として活躍した槙原寛己氏が訃報に接し、故人をしのんだ。

 都内で取材に応じた槙原氏は「本当にショックです。力が抜けるっていうのはこういうことかと。びっくりしました」とコメントした。

 1993年オフ、槙原氏は巨人からFA宣言した際、当時の長嶋監督はバラの花束を持って槙原氏の自宅を訪問。「1選手のところに監督が来てくれた。結果的には僕がジャイアンツで残った時に、気持ちよく野球をやれるように配慮してくれたんだと思います。監督が止めたんだよ、という既成事実をしっかり作ってくれたと思うんですよね。僕がFAで出ると言った時には巨人ファンからもいろいろとあったと思うので、そういうのを消す意味でもわざわざ来てくれたと思っている。その優しさがやっぱり忘れられない」としみじみと語った。

 槙原氏は長嶋氏と、勝てばリーグ優勝が決まる1994年の10・8決戦で共闘。「『明日しびれる試合だな。明日お前で行くぞ』と言ってくれまして。

ただ、僕も多少、不安な顔してたんでしょうね。あとは『後ろには斎藤と桑田。この2人しか明日は使わない。この3人で1年戦ってきたんだから、お前らで完結させる』と言われた時に、僕はちょっと安心しましたね。前日からゲームプランはしっかりできてたんだなと。非常に驚きでしたね」と振り返った。

 長嶋氏は試合当日、ミーティングで選手を鼓舞。「ホテルでみんな不安そうな顔をしていたんですけれども、やっぱり『責任は全部俺がとる。お前らは何も考えなくていい』と。たぶん、負けたら辞める気だったんだと思うんですよね。それくらいやっぱり潔さを感じて」と先発を務めた槙原氏は思い返した。「その後に『じゃあみんな頑張るぞ』ということで、『勝つ勝つ勝つ!』と3連発したんですけど、あの勇ましさはちょっと…忘れられないですね。

僕もすごい勇気をもらって球場に向かった覚えがあるんですよね。まあ結果は出なかったんですけど(笑)」と回顧した。

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