元巨人の松井秀喜氏が4日早朝、ニューヨークから一時帰国。肺炎のため3日午前6時39分に89歳で死去した巨人軍終身名誉監督の長嶋茂雄さん=報知新聞社客員=の都内にある自宅を弔問した。
松井氏は米国時間3日未明にニューヨーク発の航空機に搭乗。羽田空港に日本時間4日午前4時過ぎに到着すると、濃紺のスーツに黒のネクタイを締めた姿で長嶋さんの自宅に向かい、長島三奈さんの出迎えを受け無言の対面をした。
石川・星稜高で高校通算60本塁打を記録した松井氏は、1992年11月21日、都内のホテルで開かれたドラフト会議で巨人、中日、阪神、ダイエーの4球団から1位指名された。巨人に復帰したばかりの長嶋監督が抽選で“当たりくじ”を引き当てて入団。その後は、長嶋監督による「4番1000日計画」に基づき猛練習を重ねた。時間や場所を選ばずに2人で素振りを中心に打撃の基礎を作り上げて、球界を代表する打者に成長した。
2002年オフ、松井氏はFA権を行使してヤンキースに入団。03年にはニューヨークを訪問した長嶋さんの滞在するマンハッタンのホテルの部屋に呼ばれて素振りをチェックしてもらったこともあった。13年にはそろって、国民栄誉賞を授与され、21年の東京五輪開会式(国立競技場)では、ソフトバンクの王貞治球団会長とともに3人で聖火ランナーを務めた。
これまでも生活の拠点を置く米国から日本に一時帰国すると、長嶋さんのもとを訪れて、近況報告などを欠かさなかった松井氏。急きょ駆けつけた表情からは、恩師を亡くしたショックがにじみ出ていた。