上原浩治、菅野智之と巨人を代表する好投手の「19」ではあるが、慶大のスター三塁手として入団した水原茂も、59年の天覧試合でONの間の5番打者として、ONとともに本塁打も放った坂崎一彦も「19」だった。

 多士済々の面々が背負った「19」が投手の番号という印象になったのは、小林繁の存在だろう。

 入団2年目の74年から細身のサイドスロー投手は「19」に変わって頭角を現した。前年の最下位から優勝を成し遂げた76年は18勝を挙げ、長嶋茂雄監督の初Vに大いに貢献。翌77年も18勝、防御率2・92の好成績で沢村賞を獲得した。

 だが、3年連続2ケタ勝利をマークした78年11月、江川卓との交換で阪神に移籍することになる。翌年、キャンプイン前日の1月31日の出来事だったが、騒動にめげず、この年、阪神でも「19」を背負い、巨人戦8連勝を含む22勝で沢村賞に輝いたのだった。

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