◆スポーツ報知・記者コラム「両国発」

 長嶋茂雄さんの訃報を受け、都内の区役所に勤務する高橋久美子さん=01年、写真(左)=を取材した。この女性、ファンで構成するサークル「長嶋茂雄大研究」の会員NO3。

1998年から数年間、カルチャーセンターで開かれた講座をきっかけに結成。十数人の小さな会だが、講師を通じて4回ほど長嶋さんと懇親会を楽しんだ。

 忘れられない思い出がある。長嶋さんが巨人監督を退任した後、2001年の懇親会。4択のクイズ形式で将来やってみたいことを質問した。〈1〉プロ野球コミッショナー〈2〉アテネ五輪の監督〈3〉巨人監督再登板〈4〉「長嶋茂雄大研究」監督。長嶋さんが「う~ん」と悩んだ末に選んだのが〈2〉だったという。

 「日本の監督は絶対やってみたいよ~って、熱っぽくおっしゃっていました」。その言葉通り、02年に日本代表監督に就任。04年のアテネ五輪前に脳梗塞(こうそく)で倒れた。「ご本人の悲願だっただけに、本大会の指揮も執ってほしかったですね」

 日の丸への思いの深さが伝わるエピソードには続きがある。〈1〉について聞かれた長嶋さんは「コミッショナーは、やりたいと思ってやれるものではないですよ」と前置きしながら、「周囲の後押しやファンの要請があるのなら、野球人だから考えないことはない」と答えたというのだ。

 思わず夢想してしまった。「長嶋茂雄コミッショナー」なら、どんな球界になっていただろう。どんな問題が起こっても簡単に解決してくれそうだ。ミスターが背広姿で活躍する姿を見てみたかった。(社会担当・樋口 智城)

 ◆樋口 智城(ひぐち・ともき)2001年入社。北海道支社、レイアウト、芸能などを経て現職。政治、事件・事故、書評など幅広く担当。

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