部内での暴力事案が判明していた広陵(広島)が10日、兵庫・西宮市内で会見し、第107回全国高校野球選手権大会(甲子園)の出場辞退を発表した。同校の堀正和校長が大会本部に辞退の意向を申し入れ、受理された。
約18秒間、深々と頭を下げた。広陵の堀校長は「皆さまに多大なご迷惑、ご心配をおかけしましたことを深くおわび申し上げます」と謝罪した。午前9時頃、同校が午後1時から会見するという案内が報道各社に届いた。会見場は1社につき記者2人など人数制限されたが、50人以上が集まった。史上初、不祥事による大会期間中の出場辞退が発表され、衝撃が走った。チームは会見前の午前9時半頃、バスで宿舎から広島へひっそりと出発していた。
1月に上級生が寮で頬をたたくなどの暴力事案があり、日本高野連が3月に厳重注意。従来の基準に従い発表はしなかったが、大会直前の7月下旬からこの情報がSNS上で拡散された。7日の初戦後、監督やコーチの部員への暴行といった別事案もSNS上で取り上げられ始めた。「こうした事態を重く受け止め、今大会への出場を辞退した上で、速やかに指導体制の抜本的な見直しを図ることにしました」と説明した。
学校側は、新たな事案は確認できなかったとして、大会本部と複数回、声明文を出したが騒動の収束には至らなかった。「大会運営に大きな支障を来している。同時に、高校野球の名誉、信頼を大きくなくすことになる」。暴力を働いたとされる選手を「特定」したとする投稿や、その家族とされる写真が拡散される動きもあった。
さらに、SNS上で野球部寮の爆破予告や、同校生徒が登下校中に誹謗(ひぼう)中傷されたり、追いかけられたりする事態へ発展。警察もパトロールを強化しているといい「生徒、教職員、地域の方々の人命を守ることが最優先だということを踏まえ、辞退に踏み切る決意をしました」と明かした。
理事を兼ねる中井哲之監督(63)を除く4人の理事で9日午後6時から理事会を実施し、議論を重ね、最終的には全会一致で辞退が決まった。その後、部長を通じ宿舎の選手に伝えられた。携帯電話を所持していない選手らは、現状を知ったのはこの時が初めてだった可能性もある。「選手は失意のどん底だったと思います」。また、暴力事案に関わっていない部員も多くいることを問われ「苦渋の決断です。そういうことを強いなければならない状況になったこと、今後、子供たちのケアを含めてどうしていくか真摯(しんし)に考えてまいりたい」と話した。
指導者の暴行事案については、学校側は事実確認の上、「そういったことは一切ありません」と強く否定した。現在は告発者の要望で6月に第三者委員会が設置され、2回目の委員会では告発者本人の口から説明もなされた。今月末に3度目が実施予定で、判断は同委員会に委ねるとしている。
中井監督は退任はせず、当面、指導から外れる。堀校長は1月の事案を念頭に「なぜもっと(被害者と学校の)お互いが了解し合えるような対応、対処をしなかったのか。校長として深く反省しております」。堀校長は会見後、広島市内の同校に戻り、保護者への説明会を行った。春夏53度の甲子園出場を誇り、3度の日本一を達成した名門が、大きな波乱の末に甲子園から姿を消した。
◆広陵(広島市)1896年に創立された私立校。建学の精神は「教育は愛なり」。生徒数1454人(うち女子616人)。野球部は1911年に創部され、部員数164人。
◆広陵の騒動の経過
▼7月下旬 1月に部内で暴力があったとするSNSへの投稿が拡散。
▼8月5日 日本高野連は、審議を行った上で3月に厳重注意措置としたと発表。野球部は甲子園で開会式に参加。
▼6日 学校はホームページに経緯と対応について掲載し、1月22日に「部員間での暴力を伴う不適切な行動」があったと認めた。内容は、2年生部員(当時)4人による1年生部員(当時)1人への胸や頬をたたくなどの暴力行為。2月中に広島県高野連を通じて日本高野連に報告し、当該部員が一定期間は公式戦に出場できなかったこと、被害生徒は転校したことなどを公表した。
▼7日 日本高野連が同校を出場させる判断に変更はないと発表。1回戦に出場し、旭川志峯(北北海道)に3―1で勝利した。
▼9日 学校は理事会を開催し、全会一致で今大会出場辞退を決定。
▼10日 堀正和校長が大会本部に辞退を申し入れ、了承された。
◆堀正和校長に聞く
―大会本部にはいつ報告したのか。
「12時30分に報告を行うということで大会本部にお願いしておりましたので、そちらで話させていただいて、辞退の受理を頂きました」
―大会本部からは。
「学校として考えるべきところをしっかり考えていただいて、そしてさらにまた頑張っていただくように激励の言葉を頂きました」
―SNS上の誹謗中傷は誤解に基づくものも多いが、その状況で辞退を決断した。
「そこにいくまでになぜもっと細かい、お互いが了解し合えるような対応、対処をしてこなかったのか、私自身も一つ一つの事案を細かく確認できていなかったこと、これが大きな問題だと思っております」