◆報知プレミアムボクシング ▷後楽園ホールのヒーローたち第24回:後編 矢代義光
2023年の春だった。矢代のジムに入会希望の3組の親子がそれぞれ訪れた。
サンドバッグを打ったり、ミット打ちをする子供たちは、日進月歩成長した。「強くなった」「変わってきた」と褒めた。「最初はジムに来ても親から離れなかったのが、次第にいろんな人と会話をするようになるんです。
授業が実施されるのは週2回。午前中は30分間の自主学習、45分間のボクシング運動、メンタルトレーニング。昼食後は好きな教科の自習や補習を行う。現在は7人の生徒が在籍している。
「最初に驚いたのは子供たちが持ってくるお弁当の小ささでした。
周囲となじめず孤独になり、引きこもる子は多いといわれる。矢代はこれまでの経験から「子供たちも心の中では強くなりたいという思いがあると思います。やっぱり褒めることです。心の弱っている子が多いので、自信を持たせるために褒めます。子供って、素直だから褒められれば、成長につながります」。心に自信を植え付けた生徒たちは“卒業”して学校に行き始める。「今、自分のところには3年間学校に行っていない、小学校4年生の子が来ています。その子が最近になって、自分から行動を起こして人と交わるようになりました。学校にも少しずつ行けるようになってきました」と子供たちの成長の一役になれたことを実感する。
経営者としての手腕を発揮する矢代は、ボクサーとしても将来を期待された存在だった。高校、大学はトップアマとして活躍し、20歳の時に大学を中退してプロデビュー。同門の粟生隆寛(元世界2階級制覇王者、現帝拳ジムトレーナー)とベネズエラへの遠征も経験した。4学年上の兄・家康も大きな注目を集めてプロ入りした一人だった。その家康は無敗で迎えたプロ9戦目の試合で急性硬膜下血腫となり開頭手術。大学1年だった矢代は、リングサイドでその悲劇を見ていた。その1年後、志半ばで引退となった兄の思いを胸に、大学を中退しプロ入りした。
「常にチャレンジしていきたい」という姿勢の矢代は、フリースクールを発展させた新事業「放課後デイサービス」を来年2月にスタートする。「学童保育の福祉バージョンです。保険内で障害のある子供たちにボクシングを教える『ボクシング療育』を立ち上げます」とフィットネスジムと並行して、子供たちの未来へ手を差し伸べる。
現役時代、一番心に残ったものは、引退時にジム代表の浜田剛史(元WBC世界スーパーライト級王者)からかけられた言葉だったという。
「矢代、お前は本当によく頑張った。
代表を前に泣き崩れた。認めてもらったことが、何よりうれしかった。その浜田は現在、歴代世界チャンピオンで構成する「世界チャンピオン会」の第2代会長を務めている。矢代もアマチュアのマスボクシング(寸止めのボクシング)普及強化委員会・委員長を務めていることから「浜田さんとプロ、アマでコラボしてボクシング界を盛り上げよう」とスクラムを組み前進することを約束している。
6年前、空いた時間を利用して経営セミナーに行った。「パチンコに行くよりはいいかな、というぐらいの感覚で行ってみたんですが、聞いていると結構プラスになることばかり。なんだ、かんだで今も経営塾に通っています。高い授業料を払っていますが、それ以上のものはあります」と向上心は旺盛だ。人の目を見て話す、相手の話を聞き、咀嚼(そしゃく)してゆっくりと丁寧な言葉を返す。これが矢代のインタビューでの一貫した姿だった。
東京・下町の明るいジム。
◆矢代 義光(やしろ・よしみつ) 1980年8月4日、東京都荒川区生まれ。アマチュア時代は花咲徳栄高、平成国際大で活躍。大学を2年で中退して、2001年5月にプロデビュー。08年5月に日本スーパーフェザー級王座を獲得。翌年7月に三浦隆司との再戦に敗れ王座陥落し、引退。プロ戦績は21勝(12KO)1敗2分け。身長175センチの左ボクサーファイター。兄の家康も元日本ランカーで、現在は福島の日大工学部に職員として勤務。妹の由希は元アマチュア選手で、全日本選手権3連覇。現在は矢代のジムでマネジャーを務めている。
「矢代ボクシングフィットネスクラブ」東京都台東区三ノ輪1―28―15 小川会計ビル5F(受付)。東京メトロ日比谷線三ノ輪駅下車、徒歩1分。電話03―6240―6860。