かつて慶応義塾と並ぶ私塾として明治の京都で名を残した天橋義塾が今年開校150周年を迎え、京都・宮津市の宮津市歴史資料館(みやづ歴史の館4階)で、企画展「天橋義塾の教育と近代宮津の歩み」が開催されている。

 天橋義塾は、1875年(明治8年)に、日本三景「天橋立」で有名な丹後の宮津で誕生した。

宮津藩の藩校「礼譲館」の流れをくむ私塾で、自由民権運動の拠点だった。明治初期の宮津では、廃藩置県によって職を失い困窮する士族の子弟の教育が大きな課題となり、小室信介、沢辺正修ら旧宮津藩士の有志らが、「人材の育成」「教員の養成」を目的に掲げて開校した。

 企画展では、常設展示に加え、梶川景典書「礼譲館」額、資本講名簿、記念扇子、教科書など38点を蔵出し。天橋義塾は1887年(明治20年)に解散され、わずか13年の歴史だったが、その思想は生き続け、宮津藩士・酒井隆益の子孫が米フロリダ州に日本人村「ヤマト・コロニー」を築いたことまでの歴史が紹介されている。

 また宮津市内の重要文化財「旧三上家住宅」で、150周年記念歴史講座を開催。27日に「天橋義塾の開校と教育」をテーマに講演した宮津市教育委員会の鶴岡衛大学芸員は「先進的な教育を取り入れ、地域の教育、政界で活躍する多くの人材を輩出し、丹後の近代化に至る大きな基板を作りあげた学校でした」と話す。

 10月25日の第6回が最終回でテーマは「自由民権運動の群像とその終焉」(河森一浩・文化財保護担当課長、午後3時30分から)。10月19日には、デジタルマップウォーク(まち歩き)「城下町と近代宮津の足跡を巡る」が午後1時から「道の駅 海の京都 宮津」スタートで開催される。いずれも入館、参加無料。

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