第70回有馬記念・G1は12月28日、中山競馬場の芝2500メートルで行われる。早見和真氏原作の大ヒットドラマ「ザ・ロイヤルファミリー」で注目を集めた北海道・日高地区出身の馬。

昔ながらの伝統ある牧場出身で、有馬記念を制した名馬を5回にわたって取り上げる。第1回は00年に制したテイエムオペラオー(和田竜二騎手が騎乗)。

 鳥肌が立つような、鬼気迫る末脚だった。次元が違った。20世紀最後のグランプリ。テイエムオペラオーは13万観衆の悲鳴を一瞬のうちに歓声に変えて、祝福の嵐を巻き起こした。やはり、簡単には勝たせてくれなかった。今までで一番、苦しいレースになった。後方を進み、最後の急坂を迎えても、馬群の中でもがいていた。そんな絶望的な状況からはい上がる。前を行くメイショウドトウとダイワテキサスの間に出来たすき間をグイとこじ開け、わずか20センチの鼻差で偉業を達成してしまった。何という勝負強さだ。

 この年8戦全勝。無敗で芝の古馬中長距離G1完全制覇の偉業を成し遂げ、ボーナスを加えた稼ぎ高は18億円に達した。3歳時は皐月賞で1冠を取ったものの、その後は惜敗続き。しかし天皇賞・春、宝塚記念、天皇賞・秋、ジャパンC、有馬記念と5つのG1を勝った00年の快進撃に、誰もが強さに酔いしれた。

 「最初のコーナーで前に入られ、考えていたよりも(位置取りが)後ろになってしまった。失敗したな、と思いました。最後も前が開いていなければ追えなかった。力以上に、ファンの後押しもあったと思います」と和田竜。目を潤ませ、こんなに青ざめた顔を見たのは初めてだ。

 スタンド前のインタビューに移ると、いつもの快活な23歳(当時)に戻った。「21世紀へ向けて、ご唱和願います。イチ、ニ、サン、ダーッ」。

すっかり有名になったアントニオ猪木ばりの雄たけびで声援に応えると、スタンドからも「和田コール」がこだました。

 「今年は全部勝つ」という公約も同時に果たした。その陰には、相当なプレッシャーが襲ったはずなのに、集中力を保ち続けた。「重圧はあったようですけど、夜も8時には寝ていました。家にいる時から何も考えていないんです」と智子夫人(当時22歳)はいう。テイエムオペラオーとともに歩んできた一戦一戦が、さらに人間をひと回り大きくしてくれたのだろうか。

 テイエムオペラオーは1996年3月13日、北海道浦河町の杵臼牧場で生まれた栗毛の牡馬。父オペラハウス、母ワンスウエド(父ブラッシンググルーム)。馬主は竹園正継氏。栗東・岩元市三厩舎に所属し、JRA通算26戦14勝。99年の皐月賞でG1初制覇を飾り、00年天皇賞春秋連覇など中央競馬最多タイとなるG1・7勝を記録。同年の年度代表馬に輝き、04年には顕彰馬に選出された。

現役時代に獲得した賞金は18億3518万円にのぼり、米国馬アロゲートに塗り替えられる17年まで世界歴代トップの記録を保持していた。

 引退後は02年から北海道浦河町のイーストスタッドで種牡馬入り。初年度こそ98頭の種付けを集めたが産駒の活躍に恵まれず、種付け数は右肩下がり。種馬場を転々としながら、13年から白馬牧場へ移動。主な産駒にはダイナミックグロウ(08年阿蘇S)、テイエムオペラドン(17年京都ハイJ2着)がいる。種牡馬としてけい養されていた北海道新冠町の白馬牧場で18年5月17日に心臓マヒのため死んだ。引退後も健康そのもので、目立った病気やけがをすることもなかった。17日の午前までは変わりない様子だったが、放牧中だった14時過ぎに突然倒れ、ほどなく息を引き取ったという。

 創業して30年だった杵臼牧場で、生産馬がジャパンCに出走するのは初めてだった。レース前のスポーツ報知のインタビューに、「うそみたいですよ。今までできなかった記録を塗り替えようとするんですから。ここまできたら達成してほしいですね」と同牧場の鎌田信一さん(当時51歳)も大きな期待を寄せていた。

あれから25年。現在、杵臼牧場の生産馬であるペプチドナイル、トップナイフ、ライラックなどがG1戦線で活躍している。

 そして、和田竜騎手は今年の調教師試験に合格。来春にもステッキを置くことが決まった。しかし、無双の強さで歴史的な快進撃を続けた人馬の姿は、これからも競馬ファンの記憶に深く刻まれていく。

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