東映や巨人などで活躍し、日本プロ野球最多となる通算3085安打を放った野球評論家の張本勲(はりもと・いさお)さんが9日午前に都内の病院で死去した。86歳だった。

日本プロ野球名球会オフィシャルサイトが伝えた。

 59年には浪商(現・大体大浪商)から東映(現日本ハム)に入団し、新人王に輝いた。当時、プロレスラーとして国民的な人気を誇っていた力道山は、張本さんの両親が同じ韓国(力道山は南北分断で出身地が北朝鮮となった)出身だったことなどから張本さんを弟分としてかわいがった。張本さんも「兄」のように力道山を慕い、尊敬しプロレス道場で自主トレーニングを行い、夜の街で会食を繰り返すなど深い親交があった。

 力道山は 1963年12月15日に39歳の若さで急逝した。張本さんはその後も妻の田中敬子さん(85)と交流を続け、2024年11月9日に帝国ホテルで開かれた「力道山 生誕100年記念パーティー」に出席し、あいさつするなど生涯、力道山への敬意を忘れなかった。

 張本さんの訃報を受け田中さんはスポーツ報知の取材に「驚きました」と絶句した。1953年6月に力道山と結婚。半年後に夫が亡くなる事態で常に気遣ってくれたのが張本さんだったという。

 「主人が生きている時は、私の自宅に張本さんが主人に電話をかけてくるぐらいで直接お会いすることはありませんでした。それが主人が亡くなってからは、いろんなパーティーに呼んでくれたり、食事をしたりとても気遣っていただきました」

 思い出すのは生前の力道山の言葉だった。

 「主人は張本さんのことを“いいヤツだ”って言ってました。

その言葉の響きがまるで身内をほめるような感じでした。それだけ、主人が張本さんをかわいがっているんだなとわかりました」

 さらに張本さんの礼儀正しさが印象に残っている。

 「初めて張本さんとお会いしたときに“僕は奥さんのそばに座れません”とおっしゃったんです。私がそんなこと言わないでよって笑ったら張本さんは“いえ、私は力道山先生とお会いする時はいつも控えめにしていたんです。同じソファに座れませんでした。だから、同じようにさせてください”とおっしゃいました。主人のことを(両親が)同じ韓国の出身で尊敬する方とおっしゃって“力道山先生が頑張ってくれたおかげで私も頑張ることができました”と言ってくださったことは忘れられません。私は張本さんが礼儀を大切にして、亡くなった後も主人を尊敬してくださることに感動しました」

 力道山と同じ朝鮮半島にゆかりのある張本さんは田中さんに「私も韓国生まれだけど中身は日本人」とほほ笑んでいたという。さらに、テレビ番組で自身の発言が批判された時には田中さんに「私は。いけないことを言っていますかね」と相談したという。

 「その時に私は、張本さんの独自の考えがあるんだからいいと思いますと伝えると“そうですね”とうなずいてくれました。決して人をバカにするようなことはおっしゃらない方でした。

ただ、意見をハッキリ言う方でした」

 張本さんは6月19日、田中さんは6月6日と誕生日が同じ月だったため、毎年のように6月になると一緒に誕生日会を開いていた。

 「去年もお誕生日会を6月20日にやりました。銀座の白鵬さんのちゃんこ屋さんに行って、その後、一緒にカラオケに行って、歌いました。ただ…それが最後にお会いした時になってしまいました」

 田中さんは声を震わせ張本さんへ言葉を贈った。

 「主人が亡くなった後もずっと気遣っていただいてありがとうございました。本当に優しい方でした。張本さんの優しさは忘れません」

 (福留 崇広)

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