男子テニスの元世界ランキング4位で、2014年全米オープンシングルス準優勝の錦織圭(36)=ユニクロ=が、現役最後の大会となる木下グループ・ジャパン・オープン(30日開幕、東京・有明)に臨む。5歳で初めてラケットを握ってから31年。

生まれ育った島根県から、2003年9月11日に米国に旅立つまでを5回連載で探る今回は4回目。(取材、構成=吉松 忠弘)

 錦織圭が松江市立乃木小5年の時だった。2000年10月に、初めてジャパンオープンを観戦に行った。初めて見る世界のトップ選手に、目がくぎ付けになった。本人は覚えていないが、父・清志さんによると、最大のお気に入りは当時、世界41位で4強入りしたヒシャム・アラジ(モロッコ)だ。多彩なショットを駆使するプレーはその後の圭と重なった。

 清志さんは、「せっかくなら世界1位になろう」と大きく夢を語った。それには日本では強くなれないと分かっていた。世界への道を模索する中、有望なジュニアを米国に派遣する盛田正明テニス基金の話を聞いた。

 実は、圭はある協会が実施した才能がある選手を発掘するテストを受けたとき、体力測定で落ちている。大会で結果を残すしかなかった。そして、圭が乃木小6年の01年に転機がやってきた。

清志さんは「初めて出た選抜。ようやく出られて優勝するストーリーを描いた」と、5月の全国選抜ジュニア12歳以下に焦点を定めた。そしてシナリオ通りに、初めて全国大会で優勝する。

 同年7月の全国小学生選手権、8月の全日本ジュニア12歳以下も制した。史上5人目の小学生全国大会3冠だった。それも、すべてストレート勝ちの圧勝だ。有無を言わさぬ結果で、世界への扉を開いた。松岡修造氏が主催していた「修造チャレンジ」にも呼ばれ、盛田テニス基金が開催した練習会にも参加した。(吉松 忠弘)

編集部おすすめ