30年以上にわたってワールドワイドに活動を続けている建築ジャーナリスト・淵上正幸氏。連載では、同氏が強く推す世界各国の名建築をご紹介しているが、今回は趣向を変えて著作に焦点を当てる。

タイトルは『巨匠たちの住宅 20世紀住空間の冒険』(青土社)。淵上氏へのインタビューを通じて本書の魅力をひもとく。

『建築設計は住宅に始まって住宅に終わる』に基づいて世界の傑作を厳選

まずは本書を上梓した背景からうかがった。

「僕は1990年ごろから、北はアイスランドから南はアルゼンチンまで年3~4回のペースで海外取材や建築ツアーを行い、多くの名建築に関する情報を得てきました。その蓄積はsuumoジャーナルを含めていろいろなメディアで発信してきたのですが、ある時『建築物を住宅に限定し、それをまとめてみたらおもしろいのではないか』と思いついたのです」

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

『巨匠たちの住宅 20世紀住空間の冒険』(青土社)

住宅建築のみに絞るのは、どのような狙いがあるのだろうか。

「実は建築の世界では『建築設計は住宅に始まって住宅に終わる』という言葉があるくらい、“住宅”は重視されている領域なのです。美術館、学校、オフィス、工場などと違って個人住宅は比較的小さいため、設計しやすいのでは?というイメージを持たれるかもしれませんが、それは誤った見方です。ちょっと考えてみてください。住宅は人間が365日活動している空間であり、食べる、寝る、くつろぐ、入浴する、料理をする、など多様な機能を要求される。対して例えば美術館は展示されたアートを観賞する、教育施設は学習する、などシンプルな機能が満たされれば成立します」

住宅建築は人間が生きていくうえで必要となる多機能を、高いレベルで実現させて居住満足度を高め、なおかつ耐久性に優れ、デザインの独創性も必要。多くのニーズを叶えなければならないゆえに難しいのです、と淵上氏は言う。

「いくら巨匠が設計した名建築といえども、施主の意向も少なからず反映されているわけで、あるいは建築家が譲歩を余儀なくされた部分が隠されているかもしれません。しかし、住宅建築は、自分自身、親族、もしくはその建築家の仕事に惚れ込んだ個人のために建てられたものが多く、そうした家なら自分が追い求める設計に100%集中できます。

かくして多くの建築家たちは、数々の名建築を創造して積み上げた経験値を基に住宅設計に挑み、傑作を生み出しました。それらには建築家の個性や哲学が凝縮されていると言っていい。本書に収めた住宅はすべて超一級の建築物であると自負しています」

親孝行にも使われた…「近代建築の五原則」を温かな視線で読み解く

本書には、20世紀の建築界を代表する16人の巨匠の手による全34件(本編24件+コラム作品10件)の住宅が掲載されている。最多登場は、20世紀の世界の建築界に多大な影響を与えた“近代建築の巨匠”、ル・コルビュジェの7件だ。コルビュジェは『近代建築の五原則』を唱えたことでも知られる。五原則はすなわち「ピロティ(上階を柱のみで支え、階下部分に確保した開放空間)」「自由な平面」「自由な立面」「水平連続窓(リボン・ウインドウ)」「屋上庭園」。それらが採用された住宅建築を淵上氏が実際に現地で見聞し、仕様の狙いや成果、建築史における意義などを、自身の撮影による多くの写真とともに解説している。コルビュジェファン、建築に通じた人はもちろんのこと、さほど建築の知識がない人でも分かりやすい構成だ。

「例えばコルビュジェが1925年に、スイスのレマン湖のほとりに父母のために建てた『小さな家』。ここには彼のご母堂がレマン湖を眺めやすいようにと設置した、長さ約11mもの水平連続窓があります。また、ピロティに配置したベンチで、日除けや雨除けができるように配慮されていましたし、屋上庭園は住宅の屋根が直射日光にさらされるのを防ぐ機能も有している。今でいうサステナブル・デザインが、100年前に実践されているわけです」

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

「小さな家」リビング(写真提供/淵上正幸氏)

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

「小さな家」ピロティ(写真提供/淵上正幸氏)

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

「小さな家」水平連続窓(写真提供/淵上正幸氏)

そのコルビュジェと並び称された、ルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ設計の住宅は2件掲載。なかでも興味深いのは、1951年、アメリカ・シカゴに建てられた「ファンズワース邸」だ。

川が近く、稀に洪水に見舞われる場所であったことから、地上から1.6mほど床スラブを持ち上げた高床式で、ほかの住宅にはあまり見られない浮遊感が特徴。徹底的に建築物のラインを排除して、鉄とガラスを主とした最低限の部材で構成されている。淵上氏はこの基本情報に加えて、ミースが育った家庭環境にひもづく興味深い事実を現地で確認し、記述している。

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

浮遊感がある「ファンズワース邸」(写真提供/淵上正幸氏)

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

「ファンズワース邸」リビング(写真提供/淵上正幸氏)

「ミースの親は石屋で、若い頃に仕事を手伝った経験もあり、建築設計に石を活用することがしばしばありました。ファンズワース邸の場合は、天然大理石のトラヴァーティンを24×33インチのサイズにカットし、基本モジュールとして各所に敷き詰めています。また、特徴である高床を支持している、8本のH鋼の継ぎ目も見聞。鋼を躯体に嵌め込んだ後に溶接して研磨し、白ペンキを塗って仕上げていたことが分かりました。ミースの名言である『God is in the detail(神は細部に宿る)』を端的に表していましたね」

今では許されないアングルから撮影した貴重な記録写真も掲載

日本では帝国ホテルの設計でも知られる、フランク・ロイド・ライトが残した住宅も取材している。特に世界屈指の傑作として名高い「落水荘(フォーリング・ウォーター)」は3度訪れており、それだけに描写も細かい。

キャンティレバー(梁やスラブなどの部材の一端しか固定されておらず、他方は固定されず張り出している構造)で川の滝の上に建ち、周囲の緑、岩などともマッチしている独創的な住宅形態は言わずもがな。さらに、室内に居ながらにして川や滝が発する匂いや冷気、音をリアルに体感。加えて、ライトが住空間の中心とした暖炉横に配置された“不思議な鉄球”の用途をヒアリング。

あえてライトが滝を借景とせず、その真上を住まいとする提案をしたゆえに、滝と邸宅が有機的に結びついた落水荘誕生の背景にも触れている。

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

「落水荘(フォーリング・ウォーター)」今ではもう撮影できないというアングルからの貴重な1枚(写真提供/淵上正幸氏)

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

「落水荘」定番のアングルから撮影(写真提供/淵上正幸氏)

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

「落水荘」リビング(写真提供/淵上正幸氏)

「今は許されていないのですが、僕が現地を訪ねた当初は家の下の河原に降りることが許可されていました。その時に河原からのアングルで撮った落水荘のファサードは、今では極めて貴重な記録です。もちろんそのカットも掲載していますよ」

ほかの住宅建築も、1度ならず3~4度と重ねて現地に赴いたからこそ見えてくるディテールを読むことができるのは同じ。また、一部前述したが、ところどころに建築家本人のヒストリーやエピソードなどが挟まれているのも本書の特徴だ。

例えば、自邸「グラス・ハウス」を設計したフィリップ・ジョンソンは偏執的にキレイ好きだった、ルイス・バラガンは、自邸リビングの巨大ガラスに鳥が当たって自死するバードストライクを避けるため、あえてカーテンを付けた優しい心の持ち主だった、先述したファンズワース邸の施主とミースは建設費を巡って裁判沙汰になり、ミースが勝訴した……etc.。読者が住空間だけでなく、それを設計した巨匠たちの人間味にまで想いを馳せ、距離感を縮めることができるのは、淵上氏の豊富な知見あればこそだ。

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

自邸「グラス・ハウス」(写真提供/淵上正幸氏)

近代建築の"真髄"は住宅! 巨匠16人が手掛けた34作品を探訪。ル・コルビュジェやフランク・ロイド・ライトら世界の傑作を厳選、今では撮影不可の貴重な記録写真も

自邸「グラス・ハウス」リビング(写真提供/淵上正幸氏)

「日本にもユニークな住宅建築は多々ありますが、大きな地震が頻発するために高度な耐震性をクリアしなければならず、その分、設計には制約が生まれがち。対して、海外の住宅建築設計はそのハードルが低く、日本では考えられないような意匠、構造に挑戦できます。シンプルに見た目のインパクト、独創性を比較してみると、やはり海外の住宅建築は一見の価値があると言えます」

海外の名画は、時折日本の美術館にやって来てくれるが、名建築はその場から動けない。まずは本書で世界の傑作住宅を誌上探訪し、いつか現地に足を運んでみてはどうだろう。

●監修
渕上正幸
『巨匠たちの住宅 20世紀住空間の冒険』(青土社)

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