瀬戸内国際芸術祭など、アートの島として知られる直島への玄関口である宇野港(岡山県玉野市)から徒歩3分の場所に「宇野港編集室」がある。
ここは、コワーキングスペースであり、ゲストハウスであり、モノづくりの作業場であり、地域コミュニティの交流の場。
スタートは自分の住居兼仕事場としての別拠点の想定だった

橋本さんと加藤さん。宇野は、直島をはじめ瀬戸内海の島々へ渡る本州の玄関口(写真撮影/内田伸一郎)
橋本さんの本業は、芸術祭やアートプロジェクトに関わる企画・編集やコンサルティング業。長らく首都圏が拠点だったが、6~7年前から故郷である岡山での仕事が増え、岡山でも自分の拠点を設けようと思ったのが、始まりだ。
「以前は岡山の仕事は岡山市内の実家を拠点にしていたんですけど、それだと面白くないし、親にも気を遣うなぁと。宇野は、仕事やプライベートで足を運ぶことも多く、新しい友人も増えていた場所でした。新しいお店やクリエイティブな活動も増えて、面白さのある場所。ここで仕事もしつつ、東京とは違う時間を過ごせたらいいなぁと考え、拠点を探してみようと考えたんです」(橋本さん)

橋本誠さんは1981年東京都生まれ。埼玉&岡山育ち。フリーランスの企画・編集者として活動。東京文化発信プロジェクト室(現・アーツカウンシル東京)で「東京アートポイント計画」や秋田市文化創造館の立ち上げに関わる(写真撮影/内田伸一郎)
そして友人の紹介で出合ったのが、この2階建ての長屋。元はラムネ工場。一時期旅館だったこともある住居で、しばらく空き家だった物件だ。
「予定より大きい物件だったので、自分だけで使うのではなく、シェアスペースのような形で何かできないかと思ったことがスタートでした」(橋本さん)
一部はプロの業者に改装を依頼しつつ、友人・知人たちの手も借りながら、自分たちの手でリノベーションをした。

宇野みなと線・宇野駅から徒歩1分、宇野港から徒歩3分の場所にある。2階建ての長屋。友人からの紹介だった。大家さんとよい関係がつくりやすそう、駅からも港からも近く、観光客も立ち寄りやすいという点から契約を決めた(写真撮影/内田伸一郎)

座卓のある居間は、メンバー以外も利用可能。そのほかイベントの会場にも。写真は、1周年企画として、宇野港編集室の見学会やトークショーを開催した際のもの(画像提供/岩田耕平)

登録メンバーや宿泊客が使えるアイランドキッチン(写真撮影/内田伸一郎)

畑に面した縁側にある、コワーキングスペースの席(写真撮影/内田伸一郎)

玄関には、装丁家の古本実加さんによる宇野港編集室のロゴ、イラストレーターの丹野杏香さんによるイメージ画が飾られている(写真撮影/内田伸一郎)

凹凸の模様の入ったガラス扉など、あちこちに昭和時代のレトロな建具が。世代によっては懐かしく、新鮮にも映る(写真撮影/内田伸一郎)

居間や廊下など、住まいのいたるところに本棚が。誰でも手に取り、その場で読むことが可能(写真撮影/内田伸一郎)
「仕事をする」「泊まる」「集う」、そして「創る」。ごちゃまぜの機能を持った場に
「まずは自分自身が快適と思える場所にしたい」と考えていた橋本さん。
泊まれる場所、仕事ができる場所、なにかしらモノづくりのできる場所。そういう想いでカタチになったのが泊まれるコワーキング「宇野港編集室」だ。
2階にゲストルーム2室、1階は会員専用のコワーキングスペースがあり、一部を会員にならなくても利用可能な共用スペースとして開放している。
「単に場所をお貸しする、というより共同事務所というイメージ。運営管理にも協力していただける前提での価格設定やサービス設計をしています」と橋本さん。
例えば時間があるときは掃除をしたり、消耗品は交換する。一般利用の方が共用スペースで困っていたら声をかけてもらう。「こんな備品がほしい」「ルールを変えてほしい」など、任意参加の定例会や雑談のなかで変わることもある。

2階にある和室のゲストルーム。メンバー・関係者または2泊以上で滞在可能。ワーケーション用の拠点や移住検討中の宿泊場所としても(写真撮影/内田伸一郎)

洋室は1人用。「島在住のメンバーが船の最終便に間に合わない、と泊まることもあります」(写真撮影/内田伸一郎)

コワーキングスペースの専用ブースは月3万円で利用可。現在1室は橋本さん専用ブースで、芸術祭のボランティア活動を行うNPO法人瀬戸内こえびネットワークが利用している(写真撮影/内田伸一郎)
面白いのが「創る」という側面。自分で本をつくる「ZINE」スタジオ機能があることだ。
「ZINE(ジン)」とは、「マガジン(magazine 雑誌)」に由来する呼び名で、「同人誌」や「リトルプレス」と呼ばれるような自主出版物のこと。自分の伝えたい内容を自由に書き、自由な形態、デザインで、誰もがつくって売ることができる「本」。
宇野港編集室には、リソグラフ印刷機、裁断機、紙折機など、本づくりに必要な機材がそろっており、自分のつくりたい本をカタチにすることが可能だ。

小ロットの手づくり小冊子や簡易チラシなどの作成が可能なZINEスタジオ。ポスターやパネルの印刷もできる大型プリンターも(写真撮影/内田伸一郎)

作業スペースの一画。リソグラフは、版ズレやカスレなどの味わいが特徴(写真撮影/内田伸一郎)
橋本さんは編集者、スタッフの加藤さんはデザイナーなので、ほどよい距離感でアドバイスもできる。
「とはいっても、みなさん、自分でつくりたいものがはっきりされているので、それが実現するためのお手伝い、といった感じです」(加藤さん)
メンバー以外でも、このZINEスタジオでポストカードをつくるワークショップを開催することもある。

準備中のオープンハウスで行った、リソグラフ体験ワークショップ(画像提供/宇野港編集室)
「ZINEスタジオは、当初は、”普通のコワーキングスペースでは面白くないな、なにか特徴を”と、機材をそろえたのですが、想定より反響が大きかったんです。何かつくってみたいと思う人が多いんですね。機材配置を変えるなど、スタジオ機能に重心を置くようになりました」(橋本さん)
コワーキングスペースやZINEスタジオを利用するメンバーの多くは玉野市内在住。ご近所さんのほか、岡山市内や瀬戸内海の島在住の人もいる。
「やはりライター、編集者、デザイナー、イラストレーター、写真家といった職業の方が多いかと思います。
メンバー内でもアドバイスをし合ったり、ちょっとした雑談のなかで作業のヒントをもらったり、どこか「部室」のような場所だ。

メンバーが作成した本が並ぶ。宇野港編集室で販売もしている(写真撮影/内田伸一郎)

約3mの紙を蛇腹(じゃばら)に折ってスマホのような縦読み風にした本や、ポラロイド風の印刷を重ねる本など、市場にはない本を各々に自作。「ホステルをテーマにしたブログを本にした作者の方は、”ネットに載せるのは気軽でいいけれど、本になるとまた感慨深い”とおっしゃっていました」(橋本さん)(写真撮影/内田伸一郎)
「そもそも、地域のためにというよりは、自分が快適に過ごせる空間になったらいいなで始まった場所です。同じようにいいねと思ってもらえる人が集い、彼ら彼女たちにとっても、快適な場所になったら嬉しいです。さらに付け加えれば、”何かやってみたい”と言うのであれば、その人の背中を押すような場所にはなったらいいですね」(橋本さん)
「本を作ってみたい」。「本業」とは違う本づくりに魅了されたライターの小溝さん
2年前に岡山県玉野市に移住してきたライターの小溝朱里(こみぞ・あかり)さんは、宇野港編集室のご近所にお住まい。知り合いとの噂話で、「コワーキングスペースが宇野にできるらしい。しかもZINEスタジオまである」と聞き、興味を覚えた。
「もともとZINEづくりが気になっていたんです。私はライターなので、クライアントから依頼を受け、取材をし、原稿を書いてますが、結局のところ、自分の言葉ではないんですよね。

出身は静岡。もともとアートに興味があり、瀬戸内国際芸術祭でオフィシャルツアーガイドをしたところ、宇野の街の雰囲気に惹かれ、移住を決めた(写真提供/本人)
「ZINEはつくりたいけど、デザインのことよく分からなくて。でもここでなら、気軽に相談できるし、メンバーと雑談しながらアイデアが浮かぶこともあります。実際、ZINEにしてみると、本当に感慨深いんですよ。文学に関するイベントなどでブースをだした際には、実際本を手に取ってくださった方と直接お話できるのも、仕事では味わえない充足感でした」

小溝さんが制作した3冊の本(1冊は共著)。「まだまだやりたいことがでてきました。今は宇野港編集室のメンバーと「製本部」を発足して、つくり方を学んでいるところです」(画像提供/本人)
地縁のない街に住み始めた小溝さん。移住者を中心に、少しずつ友人、知人も増えていった。
「とはいえ宇野港編集室は、いわゆる地域コミュニティとは少し違う気がします。ZINEを作ってみたい、と、なにかしらクリエイティブな事に興味がある人が多い。だから“こんなこと考えているんだけれど”と自分がやりたいことを口にしやすいし、相談しやすいと思います。
宇野港編集室のスタッフである加藤さんも、この宇野港編集室との出会いで生活が大きく変化した一人。
もともと、鳥取でフリーランスのデザイナーをしていたが、共通の知人を通して、「誰か手伝ってくれる人はいないか」と打診されたのがきっかけ。
「もともとコミュニティの場に興味があり、ゲストハウスを運営する会社で働いていたこともありました。それなのに、フリーランスになってからは在宅仕事だったので、本当に家に閉じこもり気味だったんです」
そんな加藤さんにとって、宇野港編集室は、「クリエイティブ」×「人と接する」仕事の両方を叶えられる環境。「楽しかったです。ああ、私が求めていたのはこういう仕事だったんだなと。当初は期間限定だった予定だったのですが、そのまま続けさせてもらえることになりました」

加藤さんの仕事は、宿の運営、来客対応、広報の制作活動、スタジオメンバーの作業手伝いと、多岐にわたる。デザイナーとして自分自身の仕事もあり、橋本さんの本業を手伝うこともある。現在は、鳥取と岡山の二拠点暮らし。それぞれの生活はコストがかかりがちだが、どちらも知人宅の離れや留守宅を借りて暮らしている。「地方と地方の二拠点だからこそできることだと思います」(写真撮影/内田伸一郎)
一見さんもウェルカム。関わり方は人それぞれ、ゆるやかな関わり
宇野港編集室が面白いのが、人と人の関わり方がグラデーションなこと。メンバーになって、部室のように使う人もいる一方、広く地域の住民や観光客にも開かれている。1階の共用スペースは、日中でメンバーやスタッフがいる日なら、誰でも立ち寄ってOK。例えば、電車や船の待ち時間つぶし、待ち合わせ、近所のお店でテイクアウトしたものを飲食してもいい。まるで“屋内の公園”のよう。
さらに、登録メンバーでなくても、メンバーの友だちが「面白そうな場所があると聞いたから」と、観光のついでに立ち寄ることもある。共用部を使った簡単なイベントやごはん会に参加する。宿泊者が共用部のプロジェクターを利用して、アイドルの生配信を見たこともある。
こうして気軽に利用できる一方、メンバー登録には、必ず現地に来てもらうことをマストにするなど、「あえての面倒さ」もある。
「実際に見学に来てもらわないと登録ができない仕組みは、面倒だと思います。でも、実際に見てもらって、この雰囲気や、ゆるく繋がる感じもいいな、と思える人に使ってもらいたいです。なので、多くは口コミ。そもそも、入り口は小さく、通りに面していないうえに、奥に長い建物の造りなので、正直、入りにくいとは思います。大掛かりな宣伝もしてないですし。なので”ココは何だろう”とふらりと現れる人は好奇心旺盛な方のはず。そういう出会いも面白いですよね」(橋本さん)
定期的にメンバー内で集まり、よりよい場づくりの改良案、情報共有、イベントについての会議も行う。
「といっても、そんな堅苦しいものではないです。誰がコアメンバーというのもないですし、本業が忙しければ顔を出さない時期もあるし、たまたま同じタイミングで顔を出したら、”じゃあ、このまま一緒にご飯食べようか“という話になることもあります」(橋本さん)

定期的に行われるメンバー会議の様子。近況報告のほか、編集室便りの制作内容の相談、地域イベント等の情報共有など、議題は多岐にわたった(画像提供/宇野港編集室)
スキマ事業であるからこそ可能な「半芸半商」の街
こうした「創りたい」人が集まる背景には、宇野が瀬戸内国際芸術祭のメイン会場、アートの島である直島などへの玄関口となっているほか、岡山駅から電車で1時間弱、車なしでも観光できる街であるから、ということも影響しているようだ。
「とはいえ宇野港は目的地というよりは通過する場所になりがち、芸術祭は3年に1度ですし、一年中にぎわう巨大な観光地というわけではありません。もし、それなら大きな資本が投入されているはずですから。ニッチだからこそ個人の参入が可能。例えば、小売りや飲食業、宿泊業の傍ら、モノづくり、アート活動をしている方もいます。いわば、「半芸半商」。直島の観光に紐づくキャッシュポイントが存在するため、個人のレベルであっても参入しやすい環境があると思います」(橋本さん)

古い建物がリノベーションでカフェやゲストハウスになっている宇野の街並み(写真撮影/長谷井涼子)
現在、ゲストハウス利用者は主に観光の寝泊まりの場所として活用している人がほとんどで、コワーキングスペースやスタジオを利用する登録メンバーとは別。
「ゆくゆくは、この“滞在する”“働く”“創る”“集う”機能をトータルに有機的に活用してくださる方が増えるといいなぁと思っています。この空間をひと言でいうのは難しいけれど、このなんでもありだからこそ、いろんな人の“したい”に応えられるんじゃないかな、と思っています」(橋本さん)
小さな観光地だけれど、世界中から集まる人も多い街、宇野。大きな資本は手をだしにくいけれど、確実にあるニーズに対し、橋本さんのような「外の人でもあり、中の人でもある」人が、魅力を「カタチ」にしていく。そして、地元の人もそれ以外の人も巻き込んで街の価値を上げていく。「宇野港編集室」は、まさにそんな場所だといえるだろう。
●取材協力
宇野港編集室
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