「一橋大卒24歳女子、スナックのママになる」と各メディアで取り上げられた東京都国立市の「スナック水中」。
スナックをこれまでなじみのなかった女性や若者も楽しめる街の社交場として「ゆくゆくはいろんなエリアでも出店していきたい」とママの坂根千里(さかね・ちさと)さんは話していました。
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新しいメンバーも加わり、従来のスナックのイメージを徐々に変えることに挑戦
一橋大学を卒業後、国立市の谷保にある昔ながらのスナックを引き継ぎ、24歳で「スナック水中」のママとなった坂根千里さん。「スナックになじみのない人も楽しめる“街の社交場”を目指そう」というコンセプトのもと、外から見える店舗に改装したり、料金明示のメニューや「楽しみ方ガイド」が用意されており、スナック初心者でも気軽に立ち寄れる工夫がされている。
「一橋大卒でママ」というキャッチーさから、テレビをはじめ多くのメディアに取り上げられ、「常連さん9割以上」という従来のスナックの常識を超え、水中では新規客が3割程度。遠方からの新規客も多く、新たなスナックの形態としても注目を集めている。
「2年前に比べると、お客さまの層が変化したと思います。お店を前任ママから引き継いだ当初は、女性や若者はご来店いただいてもなかなかリピート利用にいたらずでしたが、だんだんとリピートしてくださるようになり、常連さんとして定着した感があります。女性・男性という性別にあまりとらわれない中性的な場にしたいという思いで運営しています」と坂根さん。

写真は、スナック水中3周年のイベントの1コマ(画像提供/スナック水中)

株式会社水中の代表、坂根千里さん。プライベートでは出産をしたことが大きな変化(写真撮影/片山貴博)
その雰囲気づくりに一役買ったのは、社員の黒岩雅樹(くろいわ・まさき)さんの存在だ。
2年前の取材時には妊娠中だった坂根さんが出産。
「開店当初から男性・女性どちらもいるスタッフ体制でした。社員としてコミットしてくださるメンバーがいるのは男女関わらず心強いのですが、黒岩さんは実現したい場に近いものを感じました」と坂根さん。

社員の黒岩さん。「開店当初から男性・女性どちらもいるスタッフ体制でしたが、社員としてコミットしてくれるメンバーがいるのは男女関わらず心強いです」(坂根さん)(写真撮影/片山貴博)
「将来、自分でバーを開きたい」と考えている黒岩さんは、「地域の交流の場になるような居場所づくりをしたい」という坂根さんの考えに引かれ、社員募集に応募した。
「僕が考えているのは、“とにかくお酒に凝ったバー”というより、“何の変哲もない場所だけど、なぜか街の人が集うバー”。そのためには、もっと濃いコミュニケーションのスキルを身に付ける必要があると思ったんです」(黒岩さん)
坂根さんと黒岩さんの2人体制になったことで、週5日営業だったところを定休日なしでお店を開けられるようになった。
「当初は苦戦しました。ここは、やっぱり、ちりママ(坂根さん)が看板。メディアに出ることも多く、ちりママ目当てで来客することも多いので、“え、いないの?”と、がっかりされたり、“え、男?”なんて戸惑われることも少なくはないです。でも、不思議と慣れてくるんですよね。“あ、ここは普通のスナックじゃないんだな”って。

常連さんと談笑する黒岩さん。「ある意味、”なんだ、男か”みたいなアウェイな状況から、うまくやり取りできるようになると、マイナスから始まった分、よりコミュニケーションスキルが鍛えられる気がします」(写真撮影/片山貴博)
ハプニングもあった。ある日、シフトに入る予定だった女性スタッフが、急に来られなくなり、黒岩さんはじめ、男性スタッフのみになったのだ。
「男ばかりいるスナックなんて聞いたことありませんよね。そこは逆手にとって、“今日は男性のカラオケ無料にして、男子校営業にします”と当日告知してみたら、意外と面白がって常連さんがけっこう来てくれたんです」(黒岩さん)
2人姉妹の母であるスタッフも。「ここで働くことで人生が変わった」
お客さんの年齢層は下がったが、逆にスタッフの年齢層は上がった。
「オープン当初は、私の後輩や学生さんなど20代のスタッフが多かったのですが、それより上の世代、“本業は別にあって副業として働いてくださるような方”が増えました。若いスタッフのフレッシュさも魅力ですが、いろんな経験を持つ世代の魅力にも引かれ自然とスタッフの年齢層は上がりました」(坂根さん)
その象徴が、去年春から週に1度働いている、22歳と18歳の姉妹の母である、ゆみさんだ。
もともと、お酒を飲んだり、新しいお店を開拓するのが好きなゆみさん。たまたま娘と娘の友人に誘われて、スナック水中にお客として訪れたのが最初の出会いだ。
「そうしたら、ちりママが、出産したばかり、って聞いて。まだ生後2カ月の赤ちゃんの育児は大変でしょう。

「最初は専門用語も分からず、お客様から教えてもらう始末でした。でも、お客様がよく入れるカラオケの曲が分かるのも、この世代ならではの強みかもしれませんね」(写真撮影/片山貴博)
水中で働いて1年3カ月。「人生が大きく変わりました!」と、ゆみさん。
「平日は会社員として事務の仕事をしていますが、本当に金曜日の夜が楽しみで、楽しみで。まったく違う仕事なので、本当に気分転換になるんです。座り仕事と立ち仕事で、使う脳も違う感じなんです。水中での時間が、うまくリフレッシュになっているみたいで、土日の完全プライベートな休日を挟んで、また月曜日から頑張るぞ、という良いリズムになっているんです」(ゆみさん)
国立市在住35年以上、20年以上働く職場も谷保にあるにも関わらず、水中のあるエリアは、足を運んだことがなかったというゆみさん。しかし、この水中で働くようになって、地元にぐっと知り合いが増えたそう。
「よくメディアに取り上げられることもあって、水中は地元で有名なんです。常連さんも街でばったり会いますし、他の飲み屋さんで会った人が“え、水中で働いているの? 一度行ってみたかったんだ”と、実際に来てくれることもあります。

ゆみさんと同じシフトで入ることが多い26歳会社員のもえさんも副業として週に1回出勤。「3年くらい続けています。ほんと楽しいですよ。みなさん、すごいかわいがってくださるんです」(写真撮影/片山貴博)

「例えば、絶賛子育て中のお母さんが、やっと子どもを寝かしつけて、夫にバトンタッチして飲みにくることもあります。すっごく気持ちが分かるんですよ。子育てや子どもの悩みなども話します」(ゆみさん)(写真撮影/片山貴博)
「私にとって、水中での時間は、すごくキラキラした時間なんです。私もそうですが、副業で働いているスタッフがほとんどなので、みんな、そうなんじゃないかな。常連さんにとっても、働く私たちにとっても“サードプレイス”になってくれていると思います」
「人」と「人」が交わる場所。その場づくりに尽力していく
街のこうしたサードプレイスである「スナック」だが、いわゆる「バー」とはどう違うのだろうか。
「僕はもともと、お客さまとコミュニケーションをとるレストランでサービススタッフとして働いていましたが、どんなに会話をしても、あくまでも“食”を媒体として、なんですよね。バーだったら、それが“酒”になる。でもスナックって“人”なんですよね。普段人見知りの人も、スナックなら、人との壁を超えていける雰囲気があるじゃないですか。ひとりで静かにお酒を飲みたいなら、きっと他の店に行くでしょう。自身がおしゃべりするタイプではなくても、誰かの話を聞いたり、にぎやかなその雰囲気が好きだったり。
スナックは結局“人”に魅力があるか、に尽きると思います」(黒岩さん)

金曜夜の水中。常連さん、新規のお客さん、夫妻でいらした方。「はじめまして」でも客同士の会話が進む(写真撮影/片山貴博)
ただし、こうして接点のない、人と人と交わる場所であるからこそ、かなり気を使う場面も少なくないそう。
基本的には、誰でもウエルカム。性別も年齢も問わない、多様な方々を受け止める場所でありたいという気持ちをベースとしているが、その一方で、やんわりと、お客さんにお帰りいただく事態になることもある。
「他のお客様が不安になるようなお酒の飲み方をしている方だったり、人のことを傷つけてしまいそうな発言をしているような様子だったら、お帰りいただく方針は強く持っています。

「バーではないので」と言いつつ、自社農園を持つ蒸留所のレモングラスのジンなど、お酒メニューの種類も豊富なのが水中の特徴(写真撮影/片山貴博)
出張出店、昼間や日曜限定のイベント。たくさんの接点をつくっていく試み
他のスナックに比べれば、新規客も女性客も多い水中だが、もっと推し進めていきたいと、新しい試みもしている。そのひとつが多彩なイベントだ。
「出張スタンドスナック」は、カラオケなし、チャージなしの立ち飲みスタイルのお店を期間限定で近隣で開いた。
「気軽に立ち寄ってもらえて、1、2杯軽く飲んでもらって、私たちと少し顔見知りになってもらえたら、次は水中に足を運んでもらいやすくなるんじゃないかなと。実際、そういう方もいらっしゃいました」
「やっぱりスナックって、敷居が高いじゃないですか。このクローズドな空間が良さでもあるけれど、閉じてしまってはもったいない。何かしらイベントを複数用意することで、関わってくださる方が増えていくといいですね」(坂根さん)

近隣のシェア型の店舗「富士見台トンネル」を借りて行った、出張スタンドスナック(画像提供/スナック水中)
一昨年の8月には休業日だった日曜の夜に、女性をターゲットにしたトークイベント「裏水中」を開催。「こっそりと集まって、“普段なかなか会えないヒトと、普段なかなか話せないコトを話せる会”がコンセプトだ。
「夜のお酒の場では、喧噪(けんそう)で聞こえないかもしれない、そんな小さな声も聞こえてくる場所。重い扉を開けて、クローズドな場所だからこそ話せる場所。そんな場として存在してもいいんじゃないか、という思いで始めました」(坂根さん)
テーマは「恋愛下手さんたちのスナック」「大人の進路相談室~自分の良さってやっぱり何?~」、「大人の進路相談室~趣味に生きる私ってアリ?~」「大人になってもあきらめられないこと」。
講師を招いてのトークイベントながら、参加者もぽつり、ぽつりと話し始め、知らない間にクロストークになる。「普段つながりのない他人同士だからこそ、性愛や漠然とした悩みなど、かなりパーソナルな部分を話すことができる。それも、”スナック”というどこかユーモアのある場所がそうさせる部分もあるかと思います」(坂根さん)

性教育の啓蒙(けいもう)、予期せぬ妊娠の予防に取り組む、一般社団法人「ソウレッジ」の創設者、つるたまさんを招いての『裏水中』「恋愛下手さんたちのスナック」回の様子(画像提供/スナック水中)
2号店の計画は、大手設計会社との実証研究として進行中
さらに現在は2号店のオープンを準備している。
「新しく建てられるビルにテナントとして入る予定なので、防音や煙草など、既存のスナックを引き継ぐより、まちと共存するためのクリアすべきハードルがたくさんあります。けれど、ハードルが高い分、“街に溶け込むスナックの姿はどんなものか”を実現する、ケーススタディになる可能性も秘めてると思うんです」(坂根さん)
しかもこのプロジェクト、東京スカイツリー(R)、渋谷スクランブルスクエアなどの設計を手掛けた日建設計が実施・運営する、「社会起業家への伴走支援・共創を行う社会環境共創プログラム“FUTURE LENS(フューチャーレンズ”」の事業のひとつとして認定された。
「驚くと共にうれしかったです。スナックという全国にある既存の文化を、都市のサードプレイスとして再構築して、人と人がつながる新たなパブリックとなる可能性を評価していただいたようです」(坂根さん)
将来的には多店舗展開や、スナックを開業したい人と、スナックの引き継ぎ先を探している人をマッチングさせる事業なども念頭においている坂根さん。
「正直言うと、実現はマンパワー的に難しいのですが、こういう社会的課題に取り組むプロジェクトに採択されたことや、スナック開業のマッチングに関して問い合わせも多いことから、私のビジョンは間違ってはいないんだな、と勇気づけられます。そのためにはもっと自分の経験を積みたい。まずは2号店ですね」(坂根さん)
カウンター越しにスタッフと客同士が語らい、大音量のカラオケが響きわたる店内でママの人生相談が繰り広げられるーーそんな「スナック・カルチャー」は日本特有のカルチャーだとか。その独特のカルチャーを、いわゆる“おじさん”だけに独占しておくのはもったいない。お酒の力と夜の雰囲気を借りて、知り合いが増えていく格好の場所。私の暮らす街に、「スナック水中」のような場所があったら、常連になってしまいそう。いや、むしろ働いてみたいほど、だ。
●取材協力
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