30年以上にわたって世界中の名建築を取材してきた建築ジャーナリスト・淵上正幸氏に、その独創性で際立つ建築物を紹介いただく連載26回目。今回はイタリア北部の都市・ミラノの再開発エリアを象徴するスカイラインの一角、「ミラノ・タワー」を取り上げる。
世界的建築家のそろい踏みで実現したトリプルタワーの一角
イタリア・ミラノは、ファッション、デザイン、グルメ、ショッピング、芸術、文化、歴史など多様な側面を持ち、世界から観光客を引きつける国際都市だ。また、建築ファンにとっても魅力的な場所であり、世界最大級のゴシック様式の聖堂から現代の超高層タワーまで、幅広い時代の作品を見ることができる。市内の再開発エリア「シティライフ」に立つ「ミラノ・タワー」も必見の建築物の1つだ。
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「上(記事冒頭)の写真が、ミラノ・タワーが立つシティライフ地区です。ミラノ・タワーを含めて3つの超高層建造物がそびえているのがこの地区の特徴です。左から日本の磯崎新が設計した『イソザキ・タワー』、イギリスのザハ・ハディドによる『ザハ・ハディド・タワー』、そして3番目がミラノ・タワーで、設計は本連載でも過去に紹介したダニエル・リベスキンドです。本原稿では、ほかの2棟に向かってお辞儀をしているような独特の形状(注:現地では「カーブ」の愛称もあるという)に着目してフィーチャーしましたが、ともあれ、世界に知られた3名の建築家による超高層タワーが1カ所に集まっているというのは大変希少です。3棟の麓(ふもと)にある、トレ・トリ(3つの塔)広場から見上げると、空から降ってくるようなトライアングルが、得も言われぬ空間を構成しています。あの光景には、建築ファンならずとも圧倒されるに違いありません」

3棟の麓(ふもと)にある、トレ・トリ(3つの塔)広場から見上げた光景。中央がミラノ・タワー、左上がザハ・ハディド・タワー、右上がイソザキ・タワー©Hufton + Crow
スター建築家たちの“共演”の背景となったのが、2004年、3者共同でミラノの歴史的見本市会場「フィエラ・ミラノ」の跡地(61エーカー≒約24万6867平米)を、既存の街並みと融合させるマスタープランのコンペに勝利したことだ。その後、シティライフ地区では、スタジオ・リベスキンドとザハ・ハディド・アーキテクツによって、集合住宅、公園、公共広場、ショッピングモール、地下鉄駅などを含む複合再開発が行われ、2013年に完成した。ミラノ・タワーの完成はその後の2020年である。

正面から見たミラノ・タワー。30階建て、高さ175m、延床面積約7万6000平米。単独テナントは、世界4大会計事務所に数えられるPwC(プライス・ウォーターハウス・クーパース)。そのため「PwCタワー」、あるいは設計者の名を取って「リベスキンド・タワー」の別名もある。南と北に長い辺を持つ四角形のプラン(63mx25m)で、東に向かってわずかに回転しているのが特徴。左右非対称のファサードも目を引く©Hufton + Crow
タワーの個性を際立たせる頭頂部の“クラウン”
ミラノ・タワーの基本コンセプトは、イタリア国内の歴史的建造物に用いられている「ルネッサンス・ドーム」だ。あの丸みを帯びた形をリベスキンドが自身の視点で再解釈し、南側の凹面段差外壁と北側の凸面外壁が組み合わされたことで、カーブの形状が形成された。この形状は、ユニット間の接合部で傾斜角度を変化させることにより実現。外壁はサステナブルな素材の高性能ガラスで覆われ、地上のパブリックスペースや周囲の景色を映し出すようにデザインされている。また、逆に地上の広場への過剰な反射を軽減するため、南面の外壁には各ガラスの表面の30%にスクリーン印刷のコーティングが施されているという。
タワーには、高さ約20mの大空間であるロビーを通ってアクセスする設計だ。このロビーはフレキシブルで透明感のあるエリアであり、中2階の支持構造と電気・機械システムを隠すことを目的とした「フィーチャーウォール」と呼ばれる壁に覆われている。背面の壁の木と石の質感が際立つ、特徴的な意匠だ。
「オフィスフロアは2階~28階までで、27階と28階には2層吹抜けのエグゼクティブ・オフィスと会議室のほか、展望スペース、アートギャラリーなどがあります。また、8つのエレベーターがある中央コアはフレキシブルに空間を活用できるよう、2つに分かれています」
さらにミラノ・タワーの個性を強調しているのが、「PwC」のロゴサインの上部、タワー外壁の頭頂部に当たる「クラウン」だ。外壁部材を手掛けたFOCCHI社によると、クラウンは特殊なユニットと、特大の高性能部品から構成された「カーテンウォール」という素材でつくられている。
「クラウンの裏側にはタワーの冷暖房装置やメンテナンス機器、雨水のリサイクルシステムなどを設置する空間が設けられています」

3棟の右側に並んでいるのはリベスキンド設計の「シティライフ集合住宅」。傾斜するフォルムが、ミラノ・タワー(写真左端)に類似している。なお、シティライフ地区では、ビヤルケ・インゲルスの設計による持続可能性と快適性を兼ね備えた未来型オフィスビル「City Wave」の建設が進行中。2つのビルをつなぐ約140mのつり屋根構造が特徴だ。完成予定は2026年。現在の景観が劇的に変わるのは必至©Hufton + Crow
富山に必見のリベスキンド作品あり。日本の戦後史と深い縁も
今でこそ世界の建築界で巨匠のひとりに数えられるリベスキンドだが、かつては「建築しない建築家」と揶揄(やゆ)されることもあった。1970年代末から、建築や歴史への批評精神を込めたドローイングや都市計画案を多数発表したが、その斬新さゆえに建築物としてはほとんど実現することがなかったためだ。
そんなリベスキンドが、その後世界各地でプロジェクトを受注し、国際的な建築家になったのはなぜか。
2001年には、広島市主催の美術賞、第5回ヒロシマ賞(※)を受賞。2003年にはアメリカ同時多発テロ事件後のグラウンド・ゼロのマスタープラン・コンペにも勝利し、「フリーダム・タワー」(後に現在の「ワン・ワールド・トレード・センター」に名称変更)の設計でも、国際的に高い評価を集めた。
※美術の分野で人類の平和に貢献した作家の業績を顕彰し、核兵器廃絶と世界恒久平和を願う「ヒロシマの心」を広く世界へとアピールすることを目的として、1989年に広島市が創設。2002年7月には、リベスキンドの受賞を記念して、広島市現代美術館において「ダニエル・リベスキンド展」が開催され、大きな話題となった
リベスキンドの建造物は日本でも見ることができる。場所は富山県東部、日本海に面した魚津市。市内を一望できる桃山運動公園の展望の丘にあるインスタレーション「アウトサイドライン」がそれだ。何と言っても目を引くのは、丘を這うようにギザギザと伸びる鉄骨造の赤いラインだが、ほかにも、コンセプチュアルな遊歩道や展望台などの建築要素も重要な意味を持つ。リベスキンドはアウトサイドラインについて、「この提案は魚津市の森と山の中に、展望と瞑想のための新たな場所をつくりだすものである」と述べている。日本国内でリアルに観賞できる希少なリベスキンド作品だけに、興味があればぜひ訪れてみてほしい。
【編集後記】
原爆投下・終戦から80年となる2025年の夏は、例年にも増して広島、長崎の被爆の実相に注目が集まった。この文脈から言えば、第5回ヒロシマ賞を受賞しているリベスキンドは、日本とも縁の深い建築家だ。彼が率いるスタジオ・リベスキンドのホームページに載っているPROJECTSを開くと、今回取り上げたミラノ・タワー同様、幾何学的、近未来的なデザインの多さに驚かされるが、各建造物の詳細を読み進めると、そのいずれにもテーマやストーリーを重視する概念的な手法が施されていることに気づく。機会をつくり、リベスキンドの思想を味わえる建築作品に会いに行きたいものだ。