「コシノジュンコ MASACA」TBSラジオで、毎週日曜17:00-17:30放送中です。

2019年12月15日(日)放送
ゲスト:南こうせつさん(part 1)
1970年にソロデビュー。

その直後にかぐや姫を結成し、「神田川」「赤ちょうちん」「芋焼酎」などミリオンセールスを記録。解散後もソロとして「夏の少女」「夢一夜」など数々のヒット曲を発表しています。現在もコンサートを中心に精力的に活動中。今年、音楽活動50周年を迎えました。

JK:50周年おめでとうございます~! 「神田川」って言えば、知らない人はいないわね。

南:お忘れかもしれませんが、1971年か72年に日大講堂だったかなぁ・・・フォークソングのコンサートがあったの。その時コシノさんが加藤和彦さんの楽屋にいたんです。僕らはかぐや姫が売れる前だったんだけど、シャンパンみたいのが置いてあってものすごい盛り上がってるの! 僕らは四畳半フォークを歌ってて、月に1度の贅沢が少しのお酒だってのに、この楽屋はなんだんだ! 飲ませなさいよ! って僕らも乱入したんです。貧しい四畳半フォークにシャンパン!・・・コシノさん覚えてる?

JK:いやぁだあ、笑っちゃう(^^)

南:あの頃グラムロックも流行りそうな時期だったのね。サイケデリックなロック。

JK:私サイケデリックの長だったからね。突拍子もないカッコしてたわよね。

南:いやいやもう、すごかったよね!! 忘れられないよね(笑)

出水:南さんをお迎えしたからには「神田川」のお話を伺いたいんですが、売り上げ枚数が160万枚!

JK:大金持ちね! 一生食べていかれるわね。

南:当時は大学出て、一部上場の会社に入って給料が6~7万の時代ですからね。本当にびっくりしました。ほとっんど税金に取られましたけどね! 何にも知らなかったから。

JK:本当にそういうものなの?

南:はい。今だったらうまいことやったんだけどな~(^^;)

出水:きっかけはラジオのリスナーからのリクエストだったというのは本当ですか?

南:当時深夜放送をやってまして、その時新しいアルバムを作ってまして、3枚目のアルバムだったんですけど、徐々にLPレコードが売れるようになっていてレコード会社も評価してくれてて。僕はパーソナリティをやってましたから、アルバムを頭から今週は2曲、来週も2曲、とラジオで流していたんですが、今日はB面かけまーすって流したら、次の週にものすごい量のリクエストが来た!「もう1回聴きたい」って。

JK:やっぱりそうでなくちゃ。1回聴いてピンとくるって重要よ。今だとそういう時代じゃないものね。

南:でもそういうことってあるんですね。その貧しい歌がこんなに売れるなんて思ってもいなかった。

JK:歌詞がね。心境がぴーんと来るんですよ。その辺の心をつかむのが上手ですよね。自然。

出水:作詞は喜多條忠さんが担当されていますが、最初にその詞を聞いたときはどんな印象でしたか?

南:電話で詞を送ってもらったんです。というのもその日が締め切り日で、その日を過ぎたら自分たちで書くか、違う人に書いてもらおうかと思ってたんです。井上陽水もいたし、拓郎もいたし。そしたら夕方ギリギリに電話で「できたー!」って。それで電話で言ってもらって、スーパーのちらしの裏に書いた。「あなたはもう忘れたかしら・・・赤い手ぬぐいマフラーにして・・・」って変な歌だなあと思って(笑)わかるけど、変な歌だな、というのが第一印象でした(笑)

JK:でもみんなお風呂屋さん行ってたからね。私も東京に来た時はお風呂屋さん行ったわよ。子供の頃もお風呂屋さんだった。

南:まぁ普通だったよね。学生はみんなそうよ。方から出てきた学生はみんなそう。

JK:今の人はわかんないね。

出水:でも、不思議と情景が浮かびます。つつましく暮らしている2人の情景が。

南:人が生きるときに幸せってなんなんだろう、って考えたときに、その人の目線によって幸せが決まっていく。お金が目線だったら、何兆円あってももっと上、ってきりがないんだけど、大好きな人と向かい合ったときにこれ以上の幸せはないな、っていうのが「神田川」にはあったんでしょうね。

南:ある時、飛行機に乗ったら隣に座っていた立派な紳士の方が「こうせつさんですか?」と話しかけてきて。開業医をなさっている大きな病院の先生だったんだけど、「神田川」が好きだとおっしゃってくれて。「でも先生は関係ないんじゃないですか?」って言ったら、「学生の時は苦学して、四畳半で、机もなかったから段ボールで勉強して、いまは大きな病院の経営者になったけど、自分が人生で踏み外しそうになったり勘違いしそうになった時に『神田川』を聞くんだ」っておっしゃってましたね。それも嬉しいなと思った。

僕があの曲を作ったというより、天の神様からいただいたという感じがしますね。

出水:南こうせつさんの伝説として今も語り継がれているのが、1975年静岡県嬬恋で行われた野外オールナイトコンサート。吉田拓郎さんと開催して、かぐや姫も一時的に再結成したんですが、6万人が集まったと聞いています。

JK:1日ですか?

南:夕方から始まって、次の日の朝までずーっと演奏し続けるという。多分、警察発表が7万人だったんですよ。だから10万人は来てましたよ。事務所は5~6万で税務署に出したって言ってましたけど(笑)

JK:ははは(笑)

南:当時は消防法があんまりうるさくなくて、通路とかもずーっと一杯だった。なにしろ歌うほうも初めてだし、お客さんも何が始まるのかわからない。拓郎が2時間、かぐや姫が2時間、って具合に交互に朝までやるんですけど、遠くの楽屋で待機してる僕らのところには、山の向こうから拓郎の「おおお~」って叫びがこだまみたいに響いてくる。帰ってきた拓郎に「どうだった?」って聞いても、真っ青で何も言ってくれないんだよね(笑)

南:いよいよ僕らの出番になって、7万人なんて観客は初めて見たから興奮して、でもって夕焼けでわーっとコンサート会場が染まっていくんですよ! そして一番星が出て・・・あれだけの人たちが同じように空を見るっていうだけでうれしくてね。「みんなで星に拍手~!」って言ってわあ~って・・・お互いが人間なんですよ。お客さんも人間、僕らも人間。

人間のバイブレーションに対して人げが答えていく、っていうのが良かった。

JK:自然なすごさね。場所がすごいわよね。

南:ジュンコさんがお手伝いしているTao。あの人たちもそうだと思うんです。人間がその時の息遣いで叩いていく。それが大事なことなんですよね。

出水:今年2月にリリースしたデビュー50周年記念3枚組アルバムには、かぐや姫時代の名曲やコンサートで必ず演奏するこだわりの名曲が収められています。50曲すべてご自身で選曲されたそうですね?

南:いっぱいありまして、これも入れたい、あれも入れたい、って。今回は割り切って、どちらかというとラブソングを選んでいきました。まあ、社会に対して言いたいことを言う詞もあるんですけど、今回はラブソングにしました。

JK:絵も上手ね! 雰囲気がいいよね。

本当に似てる! 本もいいわね。『人生に歌があった』って。

南:逆質問だけどさ、コシノさんは『人生に歌があった』っていうときにさ、自分の葬式にこれをかけてくれっていうのは?

JK:いやいや。そんなのは考えない! 他人のは考えるけど(笑)

南:葬式はおいといても、自分の中で、いままであった歌って?

JK:若い時がグループサウンズだのなんだのから始まってるから。ワイルドワンとかタイガースとか。

南:あ、そうだ! ジュリーだ! ドラマの中でジュリーの衣装作ったりしてたもんね。

出水:こうせつさんはご自身の1曲って決まっているんですか?

南:いや、決まってはいないんですけど、迷いますね。ちょうど小学校の4~5年生のときにポール・アンカの「ダイアナ」を聞いて洋楽に目覚めた。それでリック・ネルソンとかコニー・フランシスとか、トニー・ベネットとか。♪I left my perfume~♪

JK:それ大好き! 私、パリのジバンシィに行ってね。その当時は香水とか税関で売ってなくて、お店でしか買えないんだけど、お店に入るときにも何しに来たのか言わなきゃいけないの。それで香水を買いたいって言ったわけ。言ったから買ったんだけどさ、2階にオートクチュールがあったから気になって、トイレに行くふりをして2階に上がって見たの。そしたら私、トイレの窓に香水を置いてきちゃったのよ。外に出たとたん、どうしようって。でも香水を忘れてきたって言えないの! フランス語も英語も! それで「I left my perfume・・・」って歌を歌ったの(笑)そしたら笑っちゃうんだけど、どうぞって入れてくれた(笑)

出水:歌がピンチを救ってくれたんですね(^^)

◆OA楽曲
M1. 神田川 / かぐや姫
M2. 虹とアコーディオン / 南こうせつ

◆12月15日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20191215170000

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