TBSラジオ「コシノジュンコ MASACA」毎週日曜日夕方5時から放送中!

2020年8月30日(日)放送

CHAGEさん(part 2)
福岡県北九州市出身。大学在学中の1978年、高校時代からの友人、飛鳥涼に誘われて『第15回ヤマハポピュラーソングコンテスト』に出場し、グランプリを受賞。

1979年8月25日、チャゲ&飛鳥としてシングル「ひとり咲き」でデビュー。以来41年間、今も精力的に音楽活動を続けていらっしゃいます。
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出水:CHAGEさんは1958年小倉市(現在の北九州市)のお生まれですが、当時はどんな町でしたか?

CG:1958年でしょう? まだまだ炭鉱のイメージ。隣町に八幡製鉄所というのがあって、そこから炭鉱の人が小倉にやってくるわけですよ。無法松の一生の歌詞の世界観みたいな、ちょっと荒くれ者の方々がいらっしゃる中で揉まれて・・・とにかくまぁ、大人たちは誰構わず叱りつけてましたね。「コラァ~ッ!」って。まぁチビは悪さもするんですけどね(^^;)

JK:まぁ~すごい強烈! 典型的な九州男児って感じね。

CG:それから小倉祇園太鼓っていう祭りがあって、祭りがとにかく好きで好きで。子供たちにとって祭りはとっても楽しみなんですよね。それを考えると、今年の夏は寂しかっただろうなぁ。

JK:福岡っていろんなお祭りがありますよね。山笠とか。

CG:親父が山笠なんですよ。おふくろのほうがどんたく。祭り一家なんですよ、うち!

JK:(山笠は)4時59分からスタートなんですよね。2回見ました。それまで起きてなきゃいけないから。

CG:そう、寝ちゃいけないんです。誰が決めたんですか、ってかんじですよね?! 博多の人ってそういうの多いんですよ、7時から始めればいいじゃないですか? 8時とか。

JK:あれって2週間ぐらい祭りやってるでしょ? 男の人はダメになるわよね、仕事しないもん。

CG:うちの親父もそうですよ、6月に入ったら仕事しなくなります。おふくろが切り盛りしてる。きゅうりも食べませんし。きゅうりの切り口が櫛田神社の紋に似てるからって。

きゅうりぐらい食べようよ! うちはガンとして食べませんでしたね、親父が。

JK:へぇ~!おうちはてんぷら屋さんをやってたの?

CG:先代が中州で店をやってて、親父の時は天神でやってました。

JK:私中州とは縁があって。国際センターってところでショウをやったとき、ふんどし一丁の中州の連中が出てくれたの! 「せーのっよぉっ」って一本締めやるでしょ? 練習しなくても全員息が合うの。びしっと!

CG:三三七拍子じゃないんですよね。1回だけ。短気ですよね(笑)とにかく急ぐんですよ。忙しいふりしてる。落ち着けばいいのに。

JK:お祭りは前へ前へ、だからね。

CG:あと祭りの後のわびしさとか寂しさとか、あの切なさがライブのときとよく似てる。

JK:私は岸和田のだんじりで育ってるでしょ。

だから聞いてて共通点ってそれだなって。お祭りの後の寂しさってなんともいえない。

CG:だから次頑張ろうって切り替えられるんですよね。僕ら子供のころは、最後のほうは祭りの後のさびしさを味わいたいがために太鼓叩いてたようなところもあります。

出水:高校時代は結構ヤンチャだったそうですが・・・

JK:今でもヤンチャだわよ(笑)

CG:いやいや。真面目ではなかったですけれど、バイクとか、ロックとか、バンドとか、そういうものをひととおり、勉強よりも中心に専攻してたっていう(笑)もしドラえもんがいてどこかに戻りたいって言ったら、高校時代かなあ。楽しかった。高校3年ぐらいですね。

出水:当時から音楽の道へ、という思いはあったんですか?

CG:全然ない(笑)これっぽっちも思わなかったんですけど、やっぱり博多の街が音楽で盛り上がってましたから、フォークソングを弾いて。バンドの力を借りずに自分でギターが弾ければ、自分の好きな子に向かって歌が歌えるっていう。

JK:習ったわけじゃないの?

CG:独学ですね。ギターをまず覚えて、普通はコピーから入るんですけど、僕はいきなりオリジナルから始めた。

そのほうが早いなと思って。やっぱりせっかちでしょ(笑)大学に入って、コンテストがあって、自分の実力はどんなもんかなと思って試しに出てみた。当然落ちると思ってましたから・・・そしたらグランプリとっちゃいましたから、あれ??と思って。

JK:勢いがあったのね!

CG:勢いだけですね(^^;)その時のディレクターから言われたのは、周りはバラードとかピアノとか、やさしい曲が多かったんです。俺だけ1人、がっちゃがちゃギターかき鳴らして、跳ねて歌って・・・それが受けたみたいです。

JK:最初の曲はなんだったの?

CG:「夏が過ぎて」という曲でエントリーして。その時親父に電話したんです、ちょうど店の跡継ぎのことも考えなきゃいけない年ごろだったので、「今からコンテスト出るけど、1週間待ってくれ」って。そしたらグランプリ取って、取った矢先に会場の赤い公衆電話から親父に電話して「継げんようになった」(笑) 天ぷら揚げてる場合じゃないってね!

CHAGE「天ぷら揚げてる場合じゃねえ!」

JK:CHAGEさん、楽しい思い出のマサカってありますか?

CG:初めて武道館でライブをやらせてもらった時。80年代でしたけど、僕にとって武道館っていえばビートルズで・・・

JK:ビートルズよね! 私見てるもん! 歳わかっちゃうけど(^^)

CG:ビートルズがいなかったらCHAGEはいない、っていう人間だったんです。それが同じ武道館に立てた! まさか俺、本当に武道館にいるわぁ~! これはねぇ、誰にこの喜びを伝えていいかわからなかったですね。リハーサルとか吹っ飛んでました。あそこ日の丸が見えるんですよ。

あの景色を見たときに・・・うれしかったですよね。

JK:あれっきりでしたよね、ビートルズは。

CG:こんなアジアの片隅にも、ビートルズのDNAを受け継いでいる男がいる。世界中にいるわけじゃないですか。この影響力ってすごいなぁと思って。僕もこのコロナの時期、落ち込んだ時に聞く音楽はビートルズなんですよ。『アビィロード』を聞くんです。

JK:私は「ヘイ・ジュード」ね。あの曲の発表のときロンドンにいたんですよ。ロンドンの人みんなすぐ歌えるのね! 信号で待ってると、聞こえてくるの! これがまた耳から離れないの!

CG:すごいですね! リアルタイムでビートルズに触れあってるってものすごくうらやましいです。時代と一緒に歩んでいるわけですから。ビートルズは確かに世界の音楽を根本から変えた人たちですから、もしビートルズがいなかったら世界の音楽はどうなっていたのかなって常々思います。

出水:CHAGEさんから見て、ビートルズの魅力ってどういうところですか?

CG:ヤンチャ坊主ですね。音楽はお堅いものだと思ってる人が多過ぎたんですよね。その殻をぶちやぶろうとしているエネルギーがすごいですよね。

JK:あの人たちロンドン生まれじゃないでしょ? リバプール。ちっちゃな地方から出てきて頑張ろうっていうのが強かったですよね。

CG:ビートルズはリバプールでしょ? 僕は福岡。東京から離れてるでしょ? そこでも親近感わいちゃったりして。無理やりですけど(笑)でもまたリバプールが港町なんですよ! そこも一緒なんです! 無理やりですけど(笑)

JK:今後やりたいことって?

CG:音楽を通して、日々皆さんが日常を送っている中で、少しでも口角があがるような活動をしたいなと思ってます。ライブが解禁になったときは、ものすっごいライブになるんじゃないか? とんでもないことが起きるんじゃないか? そういう意味ではワクワクしますね! その日のために頑張っていこうと思います。

CHAGE「天ぷら揚げてる場合じゃねえ!」

=OA楽曲=
M1. 光の羅針盤 2015 / Chage

◆8月30日放送分より 番組名:「コシノジュンコ MASACA」
◆http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200830170000

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