TBSラジオ『アフター6ジャンクション』のコーナー「週刊映画時評ムービーウォッチメン」。宇多丸が毎週ランダムに決まった映画を自腹で鑑賞して生放送で評論します。

9月23日(金)放送後記

宇多丸:さあ、ここからは私、宇多丸が、ランダムに決まった最新映画を自腹で鑑賞し評論する、週刊映画時評ムービーウォッチメン。今夜扱うのは、日本では9月1日から劇場公開されているこの作品、『ブレット・トレイン』。

はい。冒頭からね、この『サタデー・ナイト・フィーバー』でおなじみ、『Stayin' Alive』が流れるんですけど。これ、公開国バージョンなのかな? とにかく、アヴちゃんがね、歌っている日本語バージョンなんですけども。これ、ちょっと聴いてるだけだと、日本語バージョンと気付かなかったけどね。

アヴちゃんが歌っている、ということです。

伊坂幸太郎の小説『マリアビートル』を、ブラッド・ピット主演で映画化。謎の人物から指令を受け、東京発・京都行きの高速列車に乗り込んだ殺し屋レディバグは、列車に乗り合わせた殺し屋たちに、次々と命を狙われる。

共演は、『TENET テネット』のアーロン・テイラー=ジョンソン……ここは伏せておこうかな、結構大物俳優のキャメオがいっぱいありますけどね。さらに、『モータルコンバット』などの真田広之さんが締めておりますね。監督は、『アトミック・ブロンド』『デッドプール2』のデヴィッド・リーチが務めました。

ということで、この『ブレット・トレイン』をもう観たよ、というリスナーのみなさま、<ウォッチメン>からの監視報告(感想)、メールでいただいております。ありがとうございます。メールの量は、「多い」。まあ非常に、日本が舞台ということもありますし、あと主要キャストが一挙来日してね、結構キャンペーンしたりとか、注目度も高かったですし。これはヒットするかな、という感じも、事前にありましたが。観に行った方も多かった。

賛否の比率は、「褒め」の人が7割弱。主な褒める意見は、「インチキな日本描写や新幹線モドキなど、ツッコミどころ満載。でもそれが楽しい」「怒涛のテンポに飲み込まれるが、意外としっかり作られている」「レモンとタンジェリン、双子の(と呼ばれる)殺し屋コンビがよかった」などがございます。一方、否定的な意見は、「あえて変な日本描写をしてるのはわかるが、それが中途半端」「笑わせようとしてるのはわかるが、全く笑えない」「こういう変な日本描写をいつまでも喜んでいていいのか?」などの問題提起もありました。

「弾丸のように吹っ飛んでゆく“快作”で“怪作”」

というところで、代表的なところをご紹介しますね。ラジオネーム「ビルねこ」さん。「ブレットトレイン、賛です。

弾丸のように吹っ飛んでゆく“快作”で“怪作”と思いました、楽しかった! 突っ込み所は枚挙にいとまがないですが、ギャハハと笑って乗ってしまうか、ひっかかって乗れないかで、バッツリ分かれるのではと思います」。ちなみにこの方、面白くて。まあ『機関車トーマス』を巡る、言っちゃえばタランティーノ的なウンチクのやりとりがこれ、原作にもあるんですが。

「……自分の周りでは、『きかんしゃトーマス』に詳しい人が、あのキャラの徹底したヴィラン扱いが非常に不満だと言っておりました」という(笑)。ディーゼルはそんなに悪くない!みたいなことでしょうかね。私自身は「この映画のバカテンションに呑まれて、おかしな日本描写も含め最後までごきげんでした」という。

「(おかしな日本描写を許しちゃうことの弊害もあるのはあれなんですけども)」ということも書いていただきつつ。「伊坂作品特有の、のらくらした味がきちんとあるのも何だかスゴイ」。そう、「伊坂み」がちゃんとあるというかね。そこもありますよね。

あと、「ゆきつ」さんも、これね、「“日本の映画館で観る事が最大に活きる映画”でした。何しろ、見終わった後に電車で家に帰れるのです」。

その帰り道のいろんな風景が、なんていうか、ちょっと映画の延長であるような錯覚を覚えるという、そういう楽しみもあるっていう。僕、まさに『ブレードランナー』を観た帰りにそれを感じましたよね。今までの東京の景色が全く違って見えた、っていうのがありますよね。

あとですね、ラジオネーム「レインウォッチャー」さんもこれ、「意外にも群像劇の様相が濃く、かつ、れっきとした「列車映画」としての背骨が一本通った作品だと思えました」ということでいろいろまたね、すごく深い読み解きをしていただいて。なんか今のブラピのあり方みたいなものにもすごく合ってるんじゃないか、というような、しっかりした評論をまた送っていただいております。

一方、ダメだったいう方。「熱海の怪獣」さん。「憎めない可愛らしい映画では、ある。でも、賛か否でいえば、否です」「あからさまな、ネオンギラギラなTOKYOや地理的なことなんかは“そいういう世界”としてさっさと了解できるのです。それ以外の“日本っぽさ”から逸脱している部分、例えば停車した電車からは“降りる人”が先、というマナーが無い世界にされ、先に乗ろうとした方が“クソ!”って言ったり。かなり居心地の悪い間違い探しを強制的にやらされている気分でした。使われている日本の曲も、まったくシーンとの関連性を感じられず「それっぽい」だけなのも気になりました」。あとは、コメディ映画としても笑えない、というようなご指摘があったりとか。

「ミドリコ」さんもこの方、原作を読んでいた方なんですが。「“これは単に原作をつまみ食い的に利用しただけのB級映画では?”と思わざるを得ませんでした」と。で、いろいろ書いていただいて。「私自身、元々トンチキ日本描写は大好きでしたが、いつまでもこれを喜んでいたら、いつまでもトンチキ日本のままなんだよなぁと、ちょっと反省もしました」「唯一良かったのは、レモンとタンジェリンの二人の関係が、バディ・ムービーとしての楽しさを映画に盛り込んでくれたことです」というようなことをおっしゃっております。

皆さん、ありがとうございます。素晴らしい感想たちだったと思います。

「87Northプロダクション」の最新作。タランティーノ・フォロワー……にしてはかなりよくやってる

私も『ブレット・トレイン』、グランドシネマサンシャインのIMAXレーザーGT、そして丸の内ピカデリーのドルビーシネマで2回、見てまいりました。ちなみにですね、今作、IMAXカメラで撮影されたパートがある映画ではないので。いわゆるスクリーンのアスペクト比──ここのところ、その話をいっぱいしていますけども──2.39対1、いわゆるシネマスコープサイズの、普通の作品なので。

あと、このシネマスコープサイズ、横長の画面というのがですね、列車というモチーフに、大変よく合うわけなんですね。とにかく本作に関しては、『NOPE/ノープ』みたいに、IMAXがマスト!というわけでもないので。個人的にはやはり、比較的いつも空き気味の、穴場と言わざるを得ないのが現状の、丸の内ピカデリーのドルビーシネマ形式が、都内では一番のおすすめです。黒がバキッと出るので、撮影監督ジョナサン・セラのビキビキな絵作りによく映える、ということもありますね。ということで、ドルビーシネマがおすすめでございます。空いています、かわいそうなぐらいにね(笑)。すごくいいハコなんで、行ってください。

ということで、『ブレット・トレイン』でございます。私がこの映画時評で、近年ずっと激賞してきました、アメリカのスタントアクション・コーディネート会社「87eleven」。その87elevenが立ち上げた映画製作会社「87Northプロダクション」の最新作、ということですね。この『ブレット・トレイン』。

同じ87North作品で、デヴィッド・リーチも製作に関わったもので言いますと、この番組でも前にちょっと話題にしましたが、2021年のNetflixの『ケイト』という作品が、ちょっと近い路線ですよね。ほとんどSF的、ファンタジー的に誇張された……コンバットREC的表現で言うならば「俺たちの自慢されたいNIPPON」を舞台に、やはり極度にキャラクターがデフォルメされた殺し屋たちが、荒唐無稽なバトルを繰り広げていく、という。コミックタッチの、スラップスティックなアクション映画、という意味でね、近いという。デヴィッド・リーチを含めて、87eleven、87Northの特徴として、やはりコミック的、グラフィックノベル的、ということはひとつ、間違いなく持ち味としてあるかなと思います。

もちろんその大きな源流のひとつはですね、クエンティン・タランティーノの『キル・ビル』Vol.1の、「東京編」なわけですね。今回の『ブレット・トレイン』も、最も身もフタもない表現をしてしまえば、「『キル・ビル』の東京パートみたいなことを延々やってる映画」というね(笑)。もうこれで済んでしまう感じの映画なんですけども。

ご存知の通りですね、既にこの世界にはそういうタランティーノのフォロワーというのが、腐るほどいるわけですね。たとえば、おかしな殺し屋たちがガンガン、次々と出てきて、なんかウンチクで言い合いとかして。で、それが話し上、パズル的に組み合わされたりなんかして……なんかとても気が利いてるような雰囲気を匂わせてくる、っていうね(笑)。そういう感じの、「ポップでオフビートでバイオレントな」アクション、もしくはコメディ、もしくはサスペンス、みたいなタランティーノ・フォロワー。それ自体はもう、ひとつのジャンルを既に成していると言っていいぐらい、山ほどありますし。なんなら既にちょっと、若干陳腐化しつつもある、というぐらいなものでありまして。

言い換えればこの『ブレット・トレイン』、やりようによってはもう、「今さらそのノリ?」的な、むちゃくちゃダサいことに、目も当てられないことになってもおかしくない企画だ、とは言えると思うんですね……にしては、かなりよくやってる。ちゃんと面白くしてると思います。

というのはもちろん、これはそのタランティーノ・フォロワーという面と、あとやっぱり、「映画と列車」ですね。その相性の良さ。映画史ともう直接連なる……映画は列車で始まりましたから(リュミエール兄弟『ラ・シオタ駅への列車の到着』~エドウィン・S・ポーター『大列車強盗』など)。「列車映画」というのの間違いなさ、っていうのかな。もう列車を舞台にしてる時点で、ちょっともう確実に面白い、っていうのはあるわけですよね。

伊坂幸太郎作品とアメリカ・ハリウッド映画の相性、意外といいのかもしれない。

ちなみにこれですね、当初は、今もクレジットに残ってるアントワーン・フークアが、もうちょっとシリアスな、『ダイ・ハード』ぐらいのバランスで進めていた話みたいなんですけど。ただ、原作の伊坂幸太郎さんの小説『マリアビートル』、私もこのタイミングで読んでみましたけど。結構、この出来上がった映画のテイストに、僕は近いと思いました。元々ですね、たぶんこの部分……あえて延々と続くウンチク的な話だとか、あとパズル的な構成、みたいなことから、元々タランティーノっぽいという風に指摘されることも多かったらしい伊坂幸太郎さんの小説の中でも、特にこの『マリアビートル』という作品は明らかに、思いっきり荒唐無稽なエンターテイメントに振り切った一作なので。これ、ザック・オルケウィッツさんによる脚色と、さっき言ったようなデヴィッド・リーチ、87eleven的なグラフィックノベル調のアクションエンターテイメント化、というのはですね、この原作小説に対しては、わりと的確というか、妥当な解釈であるように私には思えました。

むしろ、伊坂幸太郎さんの小説、これまでも当然ね、主に日本でとてもたくさん映画化されてきてるわけですが、僕は以前、2009年6月6日に『重力ピエロ』という作品をね、評したりしましたけど。その時にちょっと言ったんですけど。要は伊坂さんの小説の、ちょっと村上春樹的ともいえるような、その「文学的」なグニグニしたやりとりというか、それをそのまま実写映画で、しゃべりゼリフとして置き換えると……そのまま置き換えてるわけじゃなくてもね、ある程度入れているだけでも、ちょっと日本の実写映画でやると、違和感の方がノイズになってしまいがち、っていうところがあったと思うんですけど。

たとえば本作『ブレット・トレイン』だと、さっきメールでも出ましたけど、『きかんしゃトーマス』を巡るウンチク話というのはですね、元の『マリアビートル』からそのまま使われているところなんですよね。しかも、映画的にもとてもうまくいってるところだと思いますが。まあ、これだけハナから荒唐無稽な世界観の中で、英語のセリフとして……つまりその、一周してタランティーノ的なやりとりとして提示される限りはですね、まあ「そういうもの」として、我々観客もすんなり受け入れやすくなっている。つまり、伊坂幸太郎作品とアメリカ・ハリウッド映画の相性、むしろやっぱり意外といいのかもしれない。特に『マリアビートル』はそもそもこっちの方向に振り切ってる一作だし……というのはあるかもしれない。 

もちろんですね、たとえば原作の『マリアビートル』では、実は全体の中で大きな位置を占めていると言える要素がありまして。「王子」という、これは原作だと男子中学生、その登場人物の行動原理というか哲学というか、その部分……要は、人間の良識とか尊厳とかいうものを徹底しておとしめ、嘲りたい、というような、「悪」としての動機の部分ですね。

で、本作ではそれは、ジョーイ・キング演じる「プリンス」というのに、人種・性別共に置き換えられて。そういう、なんか哲学的なと言っていいかわかりませんけど、その悪の本質みたいな問いのところから、今作の映画では、血縁内での性差別的な扱い、というところに動機も変えられてて。少なくとも『マリアビートル』という小説全体を貫く、倫理的問答みたいな……その倫理的問答の部分が結構多いんですけど、そういうムードはあらかたオミットされている、と言ってもいいかもしれませんね。はい。その意味ではやはり、原作をよりエンタメ的に単純化している、という言い方もできるかもしれませんが。

あと、当然のようにですね、原作小説にはちょっと……トランスジェンダーなのか、トランスヴェスタイトなのか、あるトランスな登場人物の扱いが、あまりにもちょっと、今の感覚で言うと失礼、みたいなところがあるんですが。それはですね、ある超有名キャストのキャメオ出演シーンに置き換えられていたりする。まあ、そこでの……ゲイネタならいいのか?っていう問題もなくはない気もしますが。はい。

人種変更キャスティング問題は「日本人である自分が気にならないからいいんだ」とは言えない

加えてですね、これは日系アメリカ市民同盟などから出た、日本を舞台にしていながら、主要人物を、他の人種キャスト……主に白人とかに置き換えているのは、ハリウッドのいわゆる「ホワイトウォッシング」ではないのか?という批判もあったりしたわけです。で、これね、我々はでも、そのおかしな日本の描写とかにも慣れてるし、これは「そういう作品」として楽しめるようにちゃんとなってると思いますが。ただ、我々日本の観客が仮に「いや、我々はそんなに気にならない、全然楽しかったです」となったとしてもですね、これはその、日系アメリカ市民同盟の方のあれ(抗議声明)で、「ああ、なるほど」と思ったんですけど。

アジアに住んでいる人々は、自分と同じ人種、アジア人ばかりが出てくる映像作品というのが主流の文化圏にいるわけです。なので、そういう風に余裕を持って楽しむことができるかもしれないけど、そうじゃない、たとえばアメリカで暮らすアジア人とか、日系人の方にとっては、自分たちが普段触れているエンターテイメント作品の中でアジア人とか自分たちの人種、民族がどう扱われてるか、あるいはその比率、ということは、より切実な問題なんだ、っていうことをおっしゃっていて。「ああ、そうだよね」って。これはだから要するに、「日本人である自分が気にならないんだからいいんだ」とは必ずしも言えないんだ、っていうことは留意しておくべきかなと思いました。完全な当事者とは言えない、っていうことですね。

一方、本作はコロナ禍真っ只中、様々な規制や制限がですね、非常に厳しい中で製作された作品でもどうやらあって。なんかメイキングの様子なんかを見るとたぶん、今以上にというかな、すごい厳しい状況下で撮っていてですね。なので、日本でのロケなどができなかったのはもちろん、そこに、たとえば「本当は日本人の、日本語ネイティブの役者をキャスティングした方がいいのにな」とついつい思ってしまうところがあるんだけど、それも難しい事情があったのかな、というか。要するに、日本に来てオーディションとかができなかった事情がある、というのがあると思います。なので、これはですね、最後に「僕の考えたベストな『ブレット・トレイン』キャスティング! これが実現していたら五億点!」というのを発表させていただきます(笑)。

バスター・キートン~ジャッキー・チェンが本作のアクションの「魂」

逆に言えば、本作は基本、列車の車両のセット内で大半が完結する……要は、比較的小規模な撮影で、コロナ対策などがコントロールしやすい題材、ということで選ばれたという面も確実にあったんじゃないかな、という気がしますね。

実際に本作、原作小説にはない終盤のドッカーン!な展開を除けばですね、基本狭い、限定された空間の中でのアクション、格闘がメインだし、そここそが面白い、87elevenの本領発揮!なところでもあるわけです。

今回、はっきり言えば、キモは完全に「ジャッキー・チェン型アクション」ってことですね。つまり、その場にあるもの、オブジェクトなどを自在に利用して、リズミカル&コミカルに連続攻撃をかわし、反撃し……というのを、ものすごい密度と手数とスピードで見せていく、という。たとえば金属製ブリーフケース、たとえばノートパソコン。それらを、時に武器として、時に盾として、互いにキャッチボールを……もしくは互いに高速餅つきをするかのような呼吸で、バシバシバシバシ!と振り付けを決めていく、という。まあ、ジャッキー・チェン映画的ですよね。

そしてその帰結として、攻撃を始めた者は必ず、因果応報的に、自ら蒔いたその種によって自滅していく……という構図が用意されているというのも、一応原作由来の「哲学的」成分として、味わい深いし。特に、展開そのものは原作にもありますが、ある「毒」を巡る決着の付け方、その間合いの妙の醸すサスペンスとかユーモアは、87eleven、デヴィッド・リーチが、決して足し算思考のアクション構築、シーン構築しかできないわけではない……引き出しが非常に多い、ということも感じさせて。映画ならでは、の面白いところでしたよね。すごく良かったと思います。

また、中盤、列車に置いてかれてしまったあるキャラクターが、「んなアホな!」というアクションを見せるわけですね。大奮闘を見せるわけですけども。「走る列車と、そこに乗っかる人物」というのを横から捉えたそのショットはですね、それこそいろんな日本語タイトルがついていますが、『キートン将軍』、1927年の作品で列車アクションの頂点を極めてみせた、バスター・キートンをも彷彿とさせるものがあったりして……まあ言っちゃえば、バスター・キートン~ジャッキー・チェンが本作のアクションの「魂」となっていることが、改めて伝わってきたりして。これ、同じく87elevenのチャド・スタエルスキも『ジョン・ウィック』シリーズで必ずキートンオマージュを入れてくるあたり、やっぱりね、ちゃんとしてるな!っていう感じがするわけです。

あと、やっぱり先ほどね、金曜パートナーの山本匠晃さんもご指摘されてました、「ペットボトル視点」のシーン。あそこは、原作にはないのに「伊坂幸太郎作品み」がある、という、非常に粋なシーンで。本作のひとつ、オリジナルな面白さ、白眉といえるところじゃないでしょうか。

加えてですね、その背景となる誇張された日本文化が、「えっ、ここは意外とちゃんとしてるんだ」なところも散見される、その絶妙なバランス……たとえば列車の名前が「ゆかり(縁)」っていうのも、「あっ、うまい!」みたいな。そんなのも含めてですね、やっぱりと言うべきか、我々日本の観客にも……というよりむしろ我々日本の観客にこそ、キッチュな楽しさを感じさせてくれる、というところも、やっぱりこれは否定しがたいところかな、と思います。

「真田広之がここにいてくれること」の信頼感、安心感よ!

もちろんね、キャストもね……肩の力を抜いたブラッド・ピット。楽しそうなブラッド・ピットは本当にいいですね。あの、加齢も自然に受け入れてる感じも含めた、かっこよさ、かわいさ、うまさは、言わずもがなでございます。私の奥さんが、観ていてですね、ブラピがクライマックス手前で、満を持して髪を縛るところで、「わかってるわ、この監督! たまらないわ! これよ!」みたいなことを言ってましたね。

はい。アーロン・テイラー=ジョンソンのギラギラした英国人ぶり(※宇多丸補足:この部分、放送では、そのままイギリス人である彼をアメリカ人と誤認したまま話を進めてしまい、大変申し訳ありませんでした! あまりに恥ずかしい間違いでもあり、この文ではそのくだりを丸ごとカットさせていただきました。この場を借りて訂正してお詫びいたします!)、ブライアン・タイリー・ヘンリーのキュートさ……かわいかったですね。ジョーイ・キングも、バッド・バニーも、ザジー・ビーツも、そしてラストに出てくる「あの人」も……あと、ちょいちょい出てくる豪華キャメオももちろん楽しみました。ちなみに、7月8日に評しました『ザ・ロストシティ』、あれは(キャストやスタッフなどが一部重なる)この作品の、後に作られた作品、ということですね。「キムラ」役のアンドリュー・小路さんもですね、日本語がちょっと聴き取りづらいところはあるが、まあでもこのキャストの中で、頑張っていたと思います。応援はしたい。

しかしですね、やはりここは……「真田広之がここにいてくれること」の信頼感、安心感よ!ってことですよね。真田広之がいてくれるならば、ある程度のトンデモ日本描写は飲み込みましょう、という気持ちがある観客は、少なくないんじゃないでしょうか? 少なくとも、私はそうです。

むしろ、はっきり残念だったのは、福原かれんさんの扱いですね。福原かれんさんの扱いが、いくら何でも小さすぎ、軽すぎじゃないでしょうか? 『ザ・ボーイズ』ではもうね、立派にメインキャストだし、スーパースターになっている状態だと思うんですが。彼女はそのまま、「実は○○だった」ということで全然、作劇上も問題ないどころか、その方が原作に近いサプライズにもなっていいでしょう?っていう気がするんですよね。ザジー・ビーツさんはそのまま着ぐるみでいて……で、なんかコンビであるっていうかね、そのほうが原作に近いノリなんですけど。とかね、してよかったのに。ここはちょっと、「じゃあなぜ福原さんがこんなに軽い扱いなのか?」っていうのはなんか、アジア人キャストの何か(やはり軽視されているのではないか?という疑念も改めて湧いてきてしまい)っていうので、ちょっと憮然としてしまうところですね(※宇多丸補足:あとからさらに思いつきましたが、なんなら彼女がキムラ役でも良かったくらいじゃないか? 性別は別に関係ないはずな上、その方が前述プリンスのキャラクター改変のちょうど対にもなるし……などとも、つい考えてしまいました)。

あと、音楽の使い方。もちろんカルメン・マキもいい。クライマックスに流れるアレも、笑っちゃいました。とてもいいと思います。ただ、現代日本的ポップミュージックを何か入れることはできたはずですね。はい。そこは残念だったあたり、ということでございます。

発表! 「私の考えた、より素晴らしい『ブレット・トレイン』キャスティング」!

ということで、最後です。ラストスパート的にですね……だから、いろいろ製作条件が限られていて。そのキャスティングの限界とかもあって。そういう意味では、現実と遊離した日本を描く、というこの方策は、全く間違ってはいない。的確だったと思います。ただですね、やはりね、せっかく日本をこれだけフィーチャーして──というのは、やっぱり滅多にない機会ですし。ないものねだりなのは重々わかった上で、最後にですね、「これが実現していたら五億点! 僕の考えた、より素晴らしい『ブレット・トレイン』キャスティング」(笑)、こちらを発表して終わりたいと思います!

先ほどの、福原かれんさんをよりちゃんとね、「実は○○だった」ということにする、というのはありますし。あと、ここですよ。映画オリジナルの殺し屋チーム……もしくは「檸檬と蜜柑」をそのまま入れ替えてもいいかもしれませんが。言いますよ?……とにかく、『ベイビーわるきゅーれ』の、あの二人が登場する! できればCHAIの曲とかに乗って、あの二人が登場する! どうよ? 最高! もう、満点でしょう? フーッ!っていうね。

あとは、どうせなら『ジョン・ウィック』的殺し屋ユニバースということで、いろんな人を出してもいいじゃん。たとえば、『殺し屋1』みたいなやつが出てきてもいいんじゃないか、とかね。あと、僕はこれが燃えると思う。栗山千明さんが、生き残って成長した、(『キル・ビル』Vol.1』の)ゴーゴー夕張として登場する! 最高ーっ! 最高だよ! そして、ラスボスですね。そもそもこの、現状の映画の……要は、「その国を代表する暴力組織のトップが外国人、それも白人」っていう設定そのものに、なにか「白人酋長」的なヤダみを、僕は感じてしまうんですね。あの、演じている俳優さんそのものは、僕、大ファンなんですが。

なので、やっぱりここは原作通り普通に、あれは「峰岸」という暴力組織のボス、ということにして。まずキャスティング……ケン・ワタナベで普通にいいっしょ? 『ラストサムライ』組の対決、もうこれ、文句なしにアガるじゃないですか。ケン・ワタナベでいいじゃない! そして……これが実現していたら五億点、どころか一兆点!のアイデアです。まあ、ほぼ不可能ですけども。ラスボスは……サニー千葉! 真田広之VS千葉真一! ねえ。まあ、これはもし仮に(千葉真一が)ご存命だったとしても、非常に難しいことなのはわかっています。一兆点……だから、頭の中で上映をしています。こうやって、カメラがグーッと上がってくと、(実際の作品では)ハリウッドスターのあの人が出るんだけど、(自分の頭の中に浮かんでいる理想図は)グーッと上がってくと、サニー千葉! これを私は頭に思い浮かべて。「俺の『ブレット・トレイン』」を頭で上映しています(笑)。

ということで、作品そのものは、八割方いい意味で、観終わった後になんにも残りません!(笑) はい。観ても観なくても、別に何も変わりません。八割方、いい意味で。なんだけど、その成り立ちについて考えていくと、先ほどのそのアジア人キャスティングのバランスであるとか……もちろん、その製作状況の限界とかも踏まえつつですけども、意外といろんなことを考えさせられる、というような作品で。コストパフォーマンスは非常によろしいんじゃないでしょうか? 皆さんも、「僕の、私の考えた『ブレット・トレイン』」を考えると、さらに元が取れると思います!(笑) ぜひぜひ……ドルビーシネマがおすすめです。劇場でウォッチしてください!