ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する番組。今回のゲストはトランペット奏者の田尻大喜さん。


田尻大喜さん(Part 1)
1990年、熊本県天草市生まれのトランペット奏者。東京音楽大学トランペット科を卒業後、オーケストラ、吹奏楽での客演や作曲活動の他、矢沢永吉やいきものがかりのサポートミュージシャンを務めるなど、TV・映画・CM・アニメ・舞台など多岐にわたって活躍されています。

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JK:会うの今日で2度目なんですよね。つい最近・・・1か月ぐらい前かしら?

田尻:1か月経ってないんですよ、ジュンコさん!

JK:私が奈良医科大学で講演して、その後先生方とお食事して。そしたら変わった人が1人いるんですよ、関係ない人が! 食事の後演奏してくれて、「面白いわ、この人!」と思って。ケニアで育ったなんて聞いたことないわ、と思っておよびしました!

出水:幼少期にケニアにいらっしゃったっていうのは?

田尻:父親が音楽の教師をやっておりまして、ある日突然「地図帳を持ってこい」って言われて。「●ページ開け」「パパ、アフリカ書いてるけど?」「4月からそこに行く」って言われて。いや、マジでマサカって感じですよ!

JK:親子で変わってますね。

田尻:変わってますよ。最初親に「どこ行きたい?」って聞かれたときに、サッカーが好きだったんでイタリアとかフランスとか書いてたんですけど、先進国ばっかり書いたら悪かろうもんと思って、第5希望にケニアってノリで書いちゃったんですよ。

JK:でも行ったこともないのに、無鉄砲に行っちゃうんですか?

田尻:いやもう、拒否権はなかった。

JK:日本人がめったにいかないところだから、びっくりしたでしょう。

どういうところに泊るの?

田尻:最初はいい感じの5つ星ホテルに。ナイロビはけっこう都会なんですよ。でも治安が悪いので、家は電気フェンスに囲まれてて。その中にはプールがあったりとか、ジムがあったりとか、お手伝いさんがいたりとか。でも1歩出ると国立公園がすぐそばにあって、ライオンさんとかキリンさんとかゾウさんとかがいて、危ないんですよ!

出水:そっちの治安も危ないんですね。お父様は向こうで音楽を教えて?

田尻:そうですね、日本人学校の音楽教員ということで・・・先生と生徒2人、みたいな。

JK:贅沢ね~。でもトランペットはどうして?

田尻:ケニアは治安が悪いので、外に1人で遊びに行くのは絶対NGなんですよね。それで家の中でできる音楽ということで、父がそういうことを予想してか、トランペットを持ってきていて。父が音楽の教師なので、厳しいレッスンが毎日・・・泣きながらやってましたね。

JK:子ども用のトランペットってあるんですか?

田尻:子ども用ってわけではないんですが、コルネットという小ぶりで柔らかい音が出るトランペットの仲間があって、僕もコルネットから始めました。あっちにもジュニアオーケストラがあって、そこに入ってやってたんですけど、週に1回と限定されていたので自由にできない。

日本だと吹奏楽部とかでみんなで演奏できるけど、僕はずっと1人でやってたので・・・ストリートの子どもたちと一緒にできないっていうのは残念でした。

JK:本当はその子たちに教えてあげたいわよね。ベネズエラでも音楽で社会を作って、人々を元気づけたのは有名ですよね。ケニアもそうじゃない? そういうことはできないの?

田尻:なので、自分の活動が大きくなっていったら、ケニアにジュニアオーケストラ作りたいなっていう夢はあります。

出水:最終的に何年ぐらいケニアにいらしたんですか?

田尻:3年ちょいですね。小学校6年生ぐらいから。

JK:ケニア語できるの?

田尻:はい。ジャンボ! ハクナマターター!

出水:ライオンキングですね

田尻:タジリっていうのが「大金持ち」って意味で、だから最初いじめられたんですよ! まぁそうやっていろいろいじられながら、コミュニケーションをとって。日本人学校も小中20人ぐらいでしたかね。

JK:その子たちとは今も会うの?

田尻:会うんですよ! 今47都道府県ツアーをやってるんですけど、各地に先生や友達が来てくれたり、そういうケニアつながりは今もありますね。

出水:ケニアから帰国して、中学高校は吹奏楽部に入ったそうですが?

田尻:ケニアの時にコンクールがありまして、課題曲と自由曲があって、自由曲を「浜辺の歌」にして、賞をもらったんですよ。でも海外の審査員は日本の歌だとは知らなくて、終わった後に「あなたの演奏は日本の海が見えるようだったわ」って言われて。

音楽って本当に言葉がなくても伝わるんだ!と思って、迷わずトランペットでいこうと思いました。

出水:その一言で将来の目標が決まったんですね! ケニアではお友達がいなくて・・・という話でしたが、日本の吹奏楽をやってみていかがでしたか?

田尻:ヤバイですよ、部活に入った2日目に部活動を停止にさせちゃって! ケニアってガムとか噛んでも大丈夫なんですよね。それを知らなくて、ガム噛みながら意気揚々と部活に行ったら先生に呼び出されて、「お前ら連帯責任だ!」って・・・でもだからこそ責任感を感じて、部を強くしなくちゃいけないと思って、中学高校は部活動にのめり込みましたね。

出水:そして大学はトランペット科へ進学。

JK:楽器ごとにそういう科があるんですね!

田尻:そうです。入試はもちろんセンター試験もあるんですけど、割合は一般大学ほど大きくなくて、実技と音楽の座学ですね。ドレミを聴いてすぐ楽譜にできるかとか、楽譜を見てすぐ歌えるかとか。高校も熊本の音楽科に進学したので、そこで個人レッスンを受けたり、音楽塾に行ったりして勉強してましたね。

出水:その時すでに、大学卒業後は1人で演奏するとか、オケに入って演奏するとか決めてたんですか?

田尻:留学したのもそうなんですけど、プロのオーケストラに所属したいという思いがありまして、学生の頃から北海道の札響から九州まで、オーケストラのオーディションがあれば行って。それでソニーのオーケストラに所属したりとか・・・ただNHK交響楽団とか東京交響楽団とは縁がなくて、2次試験までは行くんですけど。その後熊本地震が遭って、被災して。復興支援の曲も1曲書いたんですけど、音楽がいろんな人の支えになることを初めて体験して、だったら自分の音楽でいってみようかなと思って、2017年からソロに転向しました。

ケニア育ちのトランペッター、田尻大喜さん

出水:4枚目のアルバム「Beautiful Japan」というタイトルも素敵ですね。

田尻:ケニアで育ったころから「日本っていい国だね」って大人から子どもまで言われるんですよ。そこまで名をとどろかせている自国が誇らしくて。コロナ禍のころ毎日配信をやっていて、そこでお客様に応援してもらって、自分の足で生音を届けるのが何よりの恩返しかなと思って、47都道府県ツアーをやったんです。そこで出会った人がみんな優しくて、日本って本当に豊かだなと思って・・・何よりも美しかったのは日本人の心だよね、っていうことで「Beautiful Japan」という曲を書かせていただきました。

JK:これは作詞作曲?

田尻:そうです。歌も実は初めて歌ってまして。1枚目のアルバムでも1回歌ったんですが、これは封印かなと思ってて・・・でも自分の曲は自分で入れたほうがいいんじゃないかということで。

JK:どうして? 声いいじゃないですか! お話をするように唄えばいいのよ。

出水:アルバムに合わせて日本全国47都道府県ツアーもしているんですよね。

JK:毎日どこかに行ってる感じじゃない? だいたいどのぐらいのキャパシティ?

田尻:100~200人ぐらいのところもありますし、1000人のホールのところもありますし、はたまたちっちゃいカフェとか、ご縁のある所に行かせてもらっています。マネージャーと2人で。

JK:1人じゃなくて、何人かとやることもあるんでしょ?

田尻:場所によってはオーケストラ公演があったりとか、バンド編成とか、2人でデュエットしたりとか。

JK:NHKにも出たんでしょ? 紅白歌合戦

田尻:ええ、バックバンドで。まぁ緊張しますよね! でも何より家族や応援してくださる方が喜んでくださるので・・・今日だって、じいちゃんばあちゃんが「コシノジュンコさんと?! たまげた~!」って言ってました(笑)

TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)

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