ファッションデザイナー:コシノジュンコが、それぞれのジャンルのトップランナーをゲストに迎え、人と人の繋がりや、出会いと共感を発見する番組。今回の放送のゲストはトランペット奏者の田尻大喜さんをお呼びしてお話を伺いました。
田尻大喜さん(Part 2)
1990年、熊本県天草市生まれのトランペット奏者。東京音楽大学トランペット科を卒業後、オーケストラ、吹奏楽での客演や作曲活動の他、矢沢永吉やいきものがかりのサポートミュージシャンを務めるなど、TV・映画・CM・アニメ・舞台など多岐にわたって活躍されています。
出水:年間160本以上の公演をこなしているそうですが、すごいですね!
田尻:いや、1日3件とか回るじゃないですか。そういうのも含めて。でも演奏するのがすごく好きなんですよ!
JK:すごく自然ですもんね。トランペットと一緒に生きてるって感じがする。
出水:小さいころ住んでいたケニアに、大人になってから行ったりもするんですか?
田尻:そうですね、子どもの頃は1人でずっと吹いてたので、ストリートにいる子どもたちとなんで一緒に演奏できないのかなとずっと思ってて。プロになったら子どもたちに音楽を届けられると思って、ケニアにも3度ぐらい行ってます。
出水:それが子どもたちに音楽を広めに行く「Just One World Project」ですね。
JK:子どもたちもトランペット吹くの? 聴かせるだけ?
田尻:今までは聴かせるだけだったんですけど、ストリートの子はシンナーを常用してて・・・ごはんよりシンナーのほうが安いんです。空腹を紛らわせるためにシンナーを吸ってて。ケニアはそんなにないんですが、隣のブルンジとかに行くとストリートの子どもに銃を持たせて、傭兵として戦わせる「子ども兵」がたくさんいるというのを聞いて、シンナーや武器を楽器に変えるプロジェクトにしたいなと思って。
JK:怖いですねぇ・・・
田尻:依存性が高いのでね。日本のNGOが運営する施設に入れば、衣食住が提供されて学校にも通える。でもみんな負けて、シンナーに戻っちゃうんですよ。安いから。ただ僕もワークショップを開いて、「今日ライブあるから行こうよ」って言って子どもたちの手を引っ張っていって、たった1人ですけど「音楽ってこんなに楽しいんだ、僕絶対シンナーやらない」って言ってくれた子がいたんですよ! ちっちゃい1歩ですけど、何年も続けて、いずれはオーケストラを作ってみたいなと。
JK:ぜひ続けてください! みんな助けを求めてるけど、出会いがないんですよね。趣味というか楽しみを見つけて、いつか日本に来られるといいですね!
田尻:僕の好きな坂本龍一さんがトランペットという楽器について「戦争を始める合図のための楽器」って言ってたんですけど、僕は1分1秒でも戦争を止める楽器になるんじゃないかなと思っています。
JK:ご自分でマサカっていう思い出は?
田尻:ケニアに行ったことがまさにマサカなんですけど・・・身近なところでは、日本武道館でトランペット演奏した日本人はまだいないんですよ。なので、「マサカ大喜が!」という感じでやりたいなと。トランペット業界の葉加瀬太郎さんみたいになりたくて(^^) トランペットは歌詞がないですし、まっすぐな楽器ですけど、この楽器1本で人を笑顔にしたいです。
JK:トランペットって金のイメージよね。でも銀もあるんでしょ。
田尻:違いますね。やっぱり金だと華やか、銀だと柔らかみがあるような・・銅だとマットな感じ。
JK:その都度変えるわけですか?
田尻:そうですね。唇を使って奏でるので体調にもよりますし、あとは空気にもよります。ヨーロッパだと軽かったり、湿気の時期だと重く鳴ったり。ケニアも標高が高いので、からっと軽くて、伝わりやすいですね。
出水:これまでに矢沢永吉さんやSEKAI NO OWARI、いきものがかりなど多くのアーティストのサポートミュージシャンとしても活躍していますが、スターの後ろで弾くのはどんな気分ですか?
田尻:僕はコンサートでも「7万5000人のお客さん、ありがとうございます」から始めるんですよ。矢沢永吉さんの日産スタジアムでの景色が忘れられなくて!! サポートミュージシャンってアーティストに話しかけちゃいけないっていうルールがあるんですけど、矢沢さんがたまたま近寄ってくれて、「美味いビール飲んで帰れよ」って言ってくれて。だから僕もサポートミュージシャンじゃなくて、アーティストにならないと!と思いましたね(^^)
JK:坂本龍一さんとは会ってない?
田尻:会えなかったですね。それが悔やまれる。だから行きたいところには行きたいし、会いたい人には会いに行きたい。だけど僕、先生に会う前にたまたまマネージャーから「会いたい人いる?」って言われて、「コシノ・ジュンコさんと会ってみたいな」って言ってたんですよ。
JK:私の名前よく知ってたわね。
田尻:ケニアでも名前は轟いてましたから!! 日本のブランドを着て海外に勝負したいっていうのがあって、コシノさんの服を着てみたいなとずっと思ってたんですよ。そしたらたまたま・・・だからマサカってそれかもしれない。
JK:それは光栄です。こっちもがんばらなきゃ!
(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)