吉田裕史さん(Part 1)
1968年、千葉県生まれ。東京音楽大学指揮科、同研究科を修了後、2006年からイタリアで本格的に活動スタート。

マニトバ歌劇場の音楽監督やボローニャ歌劇場フィルハーモニーの芸術監督を経て、現在はモデナ・パヴァロッティ歌劇場フィルハーモニーの音楽監督とウクライナ国立オデーサ歌劇場の主席客演指揮者を務めています。
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JK:今年3月、神奈川県民ホールでオデーサ歌劇場が来日公演した時に初めてお会いしたんですよね。日本ではあまり活躍されないですか? ずっとイタリアですか?

吉田:もう23年目になります。ウクライナのオーケストラが日本で演奏すること自体が珍しいと思いますし、ましてや今、戦争やってますから。

JK:こういう時によくいらしたわね。最初聞いて「本当ですか?」と思った。ウクライナから70人! 来るのに何日かかったんですか?

吉田:今ウクライナの上空とかロシアの上空って飛行機飛べないんですよね。なのでイタリアを往復すると2時間くらい余計にかかるんですけど、飛行機の本数も少ないので50人はパリ経由、私も含めて後の20人ブカレスト経由。

JK:バラバラなんですね!

吉田:途中ではぐれちゃったのが1人いたり。「気がついたら台北にいる」っていう電話がかかってきて、どういう間違え方をしたんだろう?? 違う飛行機に乗っちゃったってことですね。

JK:よく席がありましたね(^^;)

吉田:本当に。よく間違って飛びますよね! 不思議だったんですけど。

出水:どのように70人のオーケストラが来日するに至ったんでしょう?

吉田:彼らが「日本でぜひ演奏したい!」と。日本って世界のマーケットにおいては憧れの国、一度行って演奏してみたい国。クラシック音楽だとか西洋の芸術、音楽に関心、興味、目利きのある日本人だと思われてるんですよ。それはイタリアのオーケストラも一緒です。やっぱり日本って特別な注目を集めてるっていうところがありますよね。

JK:嬉しいです、それを聞いて。遠いからいいんですよ。大変だけど、遠いから憧れる。ヨーロッパって全部地続きじゃないですか。だから行ってないのに行けてるような気分になっちゃうし、いつでも行けると思うし。

吉田:確かに! そういうのはありますね。マルコ・ポーロ以来、憧れの黄金のジパングっていう国になってますから、遠くてミステリアスで、でも一度行ってみたい。

JK:でも良かったですね、戦争の真っ最中に日本に来れたことが一番の平和というか、安心というか。

出水:今回はクラウドファンディングで実現したんですよね。

吉田:そうですね。会場もすごく熱かったですよ。「ぜひ呼んであげたい」「彼らの音楽を聴きたい」「励ましてあげたい」という人の集まりに結果としてなったわけです。クラウドファンディングってお金を集めるだけじゃなく、思いを集めるっていうことがあって。そうした相乗効果というか、本当にコンサートの雰囲気は良かったですね。

JK:とくにウクライナは芸術家がものすごく多いじゃないですか。バレエにしても何にしても、芸術家が多いんですよ。そうした人たちは戦争とは関係ないんですよ。

吉田:イデオロギーとか、その時代の政治的・外交的なものと、音楽の普遍的な価値は全く別次元ですから。本当にウクライナって歴史的に芸術家を輩出してる国で、オイストラフというバイオリニストとか、プロコフィエフという作曲家とか、「ロミオとジュリエット」とか・・・芸術大国なんです、実は。

JK:日本に来てありがとうございました! もう涙が出ました、本当に。

戦火のウクライナで指揮をふる日本人 吉田裕史さん

出水:おそらく練習がままならない時もあったんじゃないですか?

吉田:いわゆる空襲警報が鳴り響く中でリハーサルやったんですけど、基本的に停電なんですよね。爆撃で発電所がやられてしまうんですよ。日中の明かりがある時しかリハーサルができないので、はるかに限られた制約の中でやってるわけです。リハーサルやってるとアラームが鳴って、そうすると私なんか慌てふためくわけですよ。だってミサイルが降ってくるってことでしょ。それか戦闘機が、爆撃機が・・・っていうことだからね。

JK:本当に生きるか死ぬかのそんな時にリハーサルしてるわけですね。

吉田:だけどオーケストラはもう慣れてて、私だけ1人慌てふためいて、みんなにシェルターに連れて行ってもらったって感じですね。

出水:そうした時、やはり楽器は一緒に持っていくんですか?

吉田:音楽家にとって楽器は命の次に大事だから、こういう感じで抱えて。大きな楽器、コントラバスなんていう2メートルぐらいの大きな楽器ですら、一瞬にして逃げなきゃいけないんだけど、ちゃんと頑丈なケースに入れて。万が一何かがあっても楽器は大事。

歌劇場のリハーサル室には保管庫っていうのがあって、とくに戦争始まってからは厳重になってるんですよ。たぶんそれまでは1~2階だった置き場が、今はシェルターの中に置いてあるんだと思うんです。

出水:そんなみなさんが奏でる音楽に、何か感じるものはございますか?

吉田:世界中で演奏してきましたけど、オデーサ、ウクライナに行って初めて感じたのは一期一会。「もうこれで終わりかもしれない」「今日、この日の演奏が最後かもしれない」ってどっちも思ってる。オーケストラも、演奏する方も、お客さんも。

JK:状況が状況ですからね。明日はわからないし。

吉田:実際に愛する人とかを失ってるわけだから、身近なんですよね。突然いなくなるっていうことを、彼らは本当に分かってるわけです。

JK:そういう大変な時も、みなさん満員でオーケストラを見るわけですね。

吉田:感受性がもうマックスになってる感じですね。センシビリティっていうんですか、一秒一秒、その瞬間を聞き逃さないぞって。

指揮者は唯一お客さんに背中を向ける存在なんですけど、それが背中に伝わってくるわけですよね。客席テンションと集中力。

JK:うわー、なんかすっごい経験ですね!

戦火のウクライナで指揮をふる日本人 吉田裕史さん

出水:オデーサという街は「黒海の真珠」と呼ばれている、19世紀の街並みが残る美しい場所なんですよね。印象はいかがでしたか?

吉田:最初に持っていたイメージと全く違った、というのが率直なところですね。今までもブルガリアだとかルーマニアだとか旧共産主義の国に演奏に行ったことがあるわけですけど、そんなイメージでいたんですよ。ところが明るくて、雰囲気も温かくて。やっぱり海沿いっていうのはいいですね。

出水:港湾都市ですね。

吉田:「戦艦ポチョムキン」ていう映画で有名で、日本では「機動戦士ガンダム」にも“オデッサの戦い”っていうのが出てくる。我々の世代、ガンダムを夢中になって作った世代としては、オデッサって名前を聞くと最後の決戦みたいなイメージがあったんですよ 。そのイメージで行ったら本当に明るくて! エカテリーナ2世がフランス人に命令して作った街なんで、スラブっぽくなくてヨーロピアンな街でしたね。

JK:すごい文化的!

吉田:それでユダヤ人、フランス人、イタリア人の大きな何万人規模のコミュニティがあるんです。

街の名前もギリシャ神話「オデッセイア」から取られているんですよ。ギリシャあたりから交流があったということで歴史も古くて、ギリシャ文化とヨーロッパの文化がいい感じでブレンドしていて、行ってみて本当に驚きました。

JK:音楽家だったら一番居心地いいっていうことですか? 理解がある?

吉田:居心地は良かったですね。なぜかというとウクライナ人は大の日本好き。日本に対する本当にリスペクトはすごいですね。ともすると我々が忘れているようなこと、とくに100年前の日露戦争でロシアに勝ったっていうことを熱く語る。「マエストロの国は 極東のあんなに小さな島国なのに」って。いろいろミステリアスなんでしょうね。

JK:でも言葉の問題って大きいじゃないですか?

吉田:全然英語は通じないですよ。全然。文字もずれてるよね! ポスター見た時、どこに自分の名前が書いてあるかがわからなかった(笑)慣れてくると、アルファベットがずれてるんだなって。

出水:そもそもオデーサとのご縁は?

吉田:やっぱりイタリアを中心にベースに活動してると、ヨーロッパ全域から指揮の依頼が来るんですよ。私は日本人だから「蝶々婦人」っていうキラーコンテンツがある(^^)

JK:「蝶々婦人」って日本人が一番知ってるだろうということね。

吉田:本当にありがたい!プッチーニには本当に感謝してるんですけど(笑)それと中国の紫禁城・北京を舞台にした「トゥーランドット」。この2つはアジアが舞台なんで、絶対に来るわけですよ! そしてオーセンティックな存在と思われるわけです。

JK:もうストーリーも全て知ってるだろうってね。

吉田:「このマエストロはこのオペラの文化的背景を知り尽くしてる」ってね。だから本当に感謝してる、プッチーニには(笑) なかなかないですから、そういう作品は。最初に指揮したのが「トゥーランドット」だったのが良かったですね。それがうまくいって、2回目に「蝶々婦人」で呼ばれて、3回目はなぜか「トスカ」。

出水:そういったところからヨーロッパで。

吉田:エージェントを通してオファーが来るわけですけど、さすがに「ウクライナに行ってみないか」って言われた時は悩みましたけどね。でもプッチーニのおかげで日本人の音楽家が活躍するコンテンツがあるわけだけど、夢は日本語で、「ラ・ボエム」とか「カルメン」並みの世界的スーパー大ヒット・オペラがあれば・・・。私たち指揮者はプロデューサーでもあるので、それが残りの人生でなんとかして成し遂げたい夢です。

(TBSラジオ『コシノジュンコ MASACA』より抜粋)

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