1980年にデビューした松田聖子(62)と82年デビューの中森明菜(58)。80年代を代表するアイドルにして歌姫の2人に、再び注目が集まっている。



「3月24日、聖子が中央大学法学部の通信課程を卒業したことが、所属事務所を通じて発表されたんです。



 彼女は“高校を卒業した年の4月にデビューしたため、大学に進学できなかったことが心残りだった”と、進学の動機を明かしています」(女性誌デスク)



 ライブなどで忙しい中、アラ還の彼女が4年間で大学を卒業したことは、アッパレと言うしかないだろう。



YouTubeに動画を投稿

 一方、体調不良で、2010年から芸能活動の無期限休止を発表していた明菜にも大きな動きが。



「4月3日に『TATTOO』、同10日に『BLONDE』と、往年のヒット曲をセルフカバーした動画を公式ユーチューブに投稿。



 どちらの曲もジャズ仕立てになっており、歌っている明菜もノリノリ。最後はピースサインをしておどけて見せ、復活を待ち望むファンから歓喜の声が上がりました」(夕刊紙記者)



 そんな中、ついに“ナマ明菜”のステージ登場が発表された。



コンサートを開催

「7月12日から3日連続で、ファンクラブ向けのコンサートを都内で開催することが決まりました。実現すれば、明菜がファンの前で歌うのは、16年のディナーショー以来。体調次第ではありますが、本人もやる気マンマンだそう」(前同)



 昨年11月にもヒット曲『北ウイング』の新たな動画を発表している明菜だが、今度こそ本格再始動の期待が高まっているのだ。




歌番組の全盛時代ツートップ

 アイドルの黄金時代だった80年代にツートップとして君臨した聖子と明菜は、何かにつけて比較された。



「キャラの違いから“ブリッコ聖子”“ツッパリ明菜”と言われたものです。歌番組の全盛時代だったこともあり、芸能マスコミもファンも、2人のライバル関係を必要以上にあおった部分がありましたね」(ベテランの芸能記者)



 80年代のレコードセールスは、聖子が39億円、対して明菜は37億円と、ほぼ互角だった。



不仲説も

「ただ、2年遅れでデビューした明菜の勢いはすさまじかった。特に、明菜が聖子を追い抜いた84年は印象的です。同年1月放送の『ザ・ベストテン』(TBS系)で、明菜は『北ウイング』で聖子の『瞳はダイアモンド』を抜き、初登場1位を獲得すると、5週連続首位をキープ。



 この年、聖子は3枚のシングルを出したが、一度も『ザ・ベストテン』で1位を獲れませんでした」(前同)



 明菜が85年『ミ・アモーレ』、86年『DESIRE-情熱-』で、2年連続レコード大賞を受賞すると、歌手としての序列が決定的に。以後、不仲説が公然と語られるようになった。



近藤真彦と“ニューヨーク密会”がスクープ

 89年2月には明菜の恋人だった近藤真彦と聖子の“ニューヨーク密会”がスクープされ、芸能マスコミは大騒ぎになっている。



「密会といっても、2人はホテルのラウンジでスタッフを交えてお茶を飲んでいただけ、という話もある。



 同時期にニューヨークにいた聖子をマッチが表敬訪問したというんですが……真相は藪の中というしかありませんね」(同)



 同年7月、明菜はマッチの自宅マンションで自殺未遂。芸能界を揺るがしたこの事件で、彼女の歌手人生は暗転した。




神田正輝と結婚、神田沙也加の悲劇

 一方、聖子は郷ひろみとの熱愛と破局を経て、85年に神田正輝と電撃結婚。計3回結婚する間にも、多くの男と浮き名を流してきた。



「明菜には自殺未遂という大事件がありましたが、聖子も2021年12月に、愛娘の神田沙也加さんが転落死する悲劇がありました」



 と言う芸能評論家の三杉武氏は、こう続ける。



「もともと明菜は“聖子さんのレコードは全部持ってます”というほどの聖子ファン。聖子も明菜の歌唱力は認めている。40年の歳月を経て、互いをリスペクトする気持ちも強まっているのではないでしょうか」



NHK紅白歌合戦で共演も

 明菜の歌手活動が本格化すれば、『NHK紅白歌合戦』での聖子・明菜の共演も視野に入ってくる



「明菜の大ファンの有働由美子が、新番組の『withMUSIC』(日本テレビ系)に明菜を本気で出演させたがっている、という情報もありますよ」(業界関係者)



 歌謡史に残る2大歌姫の“令和の共演”なるか。