4月上旬に心不全のため死去した曙太郎さん(享年54)。14日に都内で営まれた葬儀には、入門同期の花田虎上氏(元横綱・若乃花)らをはじめ、日米から約300人が参列した。



「ハワイから1988年に来日。身長2メートル3センチ、体重200キロ超の巨体と長い腕を生かした突き押しは強烈でした。93年に外国出身力士初の横綱に昇進すると、国民的スターだった若貴兄弟の壁として、死闘を繰り広げました」(相撲記者)



貴乃花への思い

 約8年間、綱を張り続け、2001年に現役を引退。



 本誌13年2月18日号に登場した曙さんは、25勝25敗の好敵手・貴乃花への思いをこう吐露している。



〈ライバルというのは、話さなくても気持ちは繋がっているものなんだよ。特に横綱という特別な地位にいた者には、その人間しかわからないものがある。

同じように膝を痛めて休場したり、しんどい経験もしているから余計にね〉



 角界のスター・若貴兄弟と曙さんという、同期入門3人のライバル対決は毎場所、大きな注目を集めた。



100万円払ってもチケットを買いたい

 若貴と同じ藤島部屋(後に二子山部屋)に所属し、兄弟子として援護射撃の役目も果たした元関脇・貴闘力氏は、こう言う。



「若貴対曙戦はお客さんも熱狂したし、オレ自身、曙戦は15日間で一番燃えた。当時は100万円支払ってでもチケットを買いたいというお客さんもいたほど」



 そんな貴闘力氏は、獲得した金星の9個中、7個が曙さんから奪ったもの。



「曙とは43回、相撲を取って15勝28敗。でも最初のほうは、ほとんど勝てなかったんだよ。

曙が横綱になってから、作戦を練って勝てるようになったから、“曙キラー”なんてニックネームがついたけど、オレが輝いたのも曙という大きな存在があったからこそ」




ボブ・サップと対戦し視聴率で紅白歌合戦を倒した

 03年には大相撲を飛び出し、格闘家に転身した曙さん。同年大みそかの「K-1」でボブ・サップと対戦し、劇的KO負けを喫す。この世紀の一戦は、瞬間最高視聴率43%で、なんと『紅白歌合戦』を上回った。



「05年からはプロレスラーとしても活躍。抜群の知名度で、特に地方興行では、お客を呼べるレスラーとして各団体から重宝されました」(プロレスライター)



 ただ、大きな体で闘い続けた代償なのか、17年4月に心不全で意識不明の重体となり、緊急入院。その後、闘病生活を余儀なくされた。



プロレスラー夢の対決も

 そんな曙さんと前出の貴闘力氏には、“幻の一戦”があったという。



「14年から、俺もプロレスラーとしてリングに3回ほど立っていて、“最後に曙と戦って引退したい”と思っていた。場所は両国国技館。



 曙には全日本プロレスを連れて来てもらって、9000人入る席のチケットは俺が8割持つという話がついていた。当時の北の湖理事長には、“格安で国技館を貸してほしい”とお願いまでしていたんだけど……」



 だが、その夢の対決は、突然の病により幻となった。



「闘病生活を送っていたのは知っていたけど、病院に行って迷惑をかけるのも気が引けたし、電話しても出ないから行くのを諦めていた部分もあったんだ。

でも、関係者を通じて会いに行くべきだった。後悔している。オレより2歳下の54歳。早すぎるよ」(貴闘力氏)



 闘い続けた漢・曙さん、安らかに。