日本のレベルを世界に轟かせた優勝

車いすテニスの国別対抗戦、「2021BNPパリバ・ワールド・チーム・カップ」で優勝を成し遂げた日本ジュニア代表。小田凱人(岐阜インターナショナルテニスクラブ/ジュニア世界ランク1位)と共に偉業を成し遂げた高野頌吾(トップアスリートグループ/同13位)、川合雄大(高崎テニスクラブ/同31位)から、奮闘記が届いた。


特集「車いすテニスTOPICS<そのおもしろさ、難しさ、奥深さを紹介>」

高野頌吾
■所属: トップアスリートグループ
■同13位

今回の優勝は、自分の人生の中の
一大スペクタルとして存在し続ける

皆さん、こんにちは。高野頌吾(トップアスリートグループ)です。今回、「2021BNPパリバ・ワールド・チーム・カップ」の日本ジュニア代表としてチーム全員で世界一になることができました。今大会の優勝をとても嬉しく思っています。

今大会は、自分自身2020年1月以来の大会出場となり、大会に行く前までは試合感覚などを思い出すことができるのか、などの不安が少しありました。しかし、現地に着き、チームの仲間たちと話したり練習していったりする中で、「チームのみんなが支えてくれるから大丈夫」という安心感が生まれました。

そして迎えた予選リーグ初戦。僕は第1試合のシングルスに出場しました。とても重要な試合ということもあり、かなり緊張して第1ゲームは感覚が合わず、体が硬くなってしまいました。しかし、日本チームの声援を受け、そこからどんどん調子を上げ6-1、6-1というスコアで勝利しました。

そして日本ジュニアチームは予選リーグを1位通過し、決勝リーグに駒を進めました。
決勝リーグ1回戦はオランダとの対戦でした。
シングルス初戦は僕が出場しましたが、セットカウント1-2で負けてしまいました。自分に何が足りないのかを実感させてくれた試合であり、これによって、自分の中のいろんな部分がとても成長したと感じています。

ついに迎えたイギリスとの決勝戦。
準決勝同様、僕はシングルス初戦に出場しましたが、結果は敗戦。シングルス第2試合に出場した小田凱人(岐阜インターナショナルテニスクラブ)選手に「頼んだ」と言って僕はコートを後にしました。結果、小田選手はしっかりと勝利をして、最終戦のダブルスに繋げてくれました。

第2試合と第3試合の間に設けられた45分の休憩の間にチーム全員で作戦を出し合い、「絶対勝つ」と言い合い、コートに入りました。ダブルスに出場したのは小田選手と僕です。日本チームの方々からのとても熱い声援もあり、序盤から相手ペアを圧倒し、とても良い雰囲気の中、第1セットを先取します。

第2セットは、3-5と追い込まれましたが、監督、小田選手と僕とで話し合い、お互いがすべきことを実行でき、タイブレークに持ち込みました。常にリードしながら迎えたチャンピオンシップ・ポイント。僕が「大丈夫」と小田選手に声をかけ、互いに気持ちを高め合い、最後は小田選手のサーブで優勝を決めました。


世界一になった瞬間は、「言葉に表すことができないというのは正にこのことか」とそれから1時間くらいは思っていたと思います(笑)

このダブルスの中で、僕は僕の成すべき重要な役割をやり続けました。小田選手や相手選手と比べ、自分は身体の自由がきかない方なので、真っ向から勝負しても力負けをしてしまいます。
それを加味し、様々な戦術などを考えながら、試合を展開させていました。今までの試合の中で1番頭を働かせていたと思います。かなり頑張りました(笑)
日本チームやジュニアチームの方々からそのことを褒められたことを今でもうれしく思っています。

今大会の優勝というのは、自分の人生の中の一大スペクタルとして存在し続けると思います。これは、サポートをしてくださった日本代表スタッフの方々、今大会の関係者の皆様、現地やSNSなどで応援してくださった方々のおかげです。本当にありがとうございます。これからも車いすテニスというスポーツを多くの方々に知っていただけるよう頑張っていきます。

[車いすテニス奮闘記・高野頌吾/川合雄大]“2021BNPパリバ・ワールド・チーム・カップ優勝を振り返って”

Profile/6歳の時に新型インフルエンザに感染。人工心肺装置を装着し、3日間生死の境目をさまよう。結果、インフルエンザ由来の呼吸不全、心筋炎に併発した脊髄梗塞による両下肢の機能全廃と診断され、車いす生活に。
その後、東京のリハビリ施設で国枝慎吾選手と出会い、大会でそのプレーを見たことがきっかけとなり、「自分も国枝さんのようになりたい」と思ったところから車いすテニスのプレーを始めた。

川合雄大
■所属: 高崎テニスクラブ
■同31位

来年は俺が一番手になり
出場します!!

皆さんこんにちは川合雄大です。まずはワールドチームカップ優勝できて、本当によかったです。自分にとってこの大会は初めての日本代表という立場で出場した大会でした。その中で、優勝できたのは本当にうれしい事であり、今でも信じられない思いです。同時に一緒に戦った小田凱人選手と高野頌吾選手に心から感謝しなければいけないと思っています。本当にありがとう!

今大会が始まる前、実は不安が少しありました。それはヒジのけがです。大会が始まる一ヵ月ほど前に痛みは消えたのですが、いざ出発する直前に少しだけヒジに痛みを覚え不安を抱えながら、飛行機に乗る事になりました。
現地に到着して、いざ練習を始めると前ほどではないものの少しの痛みが出ました。これはいけないと思い、すぐにナショナルスタッフに相談して、毎日ケアとテーピングをしてもらう事になりました。おかげで試合中はほとんど痛みを感じずにプレイする事ができ、予選リーグでは快勝することができました。
スタッフの皆さん本当にありがとうございました!

予選リーグを1位で通過した後、チーム全体でミーティングがありました。そこで準決勝、決勝と自分は出場しない事が決定しました。自分は今大会3番手で出場したので仕方のない事です。試合にまったく出られないかもしれないという覚悟を持ってきたので、意外とすぐに受け入れ、全力でサポート役に徹しようという気持ちになりました。

その結果、準決勝のオランダ、決勝のイギリスには接戦の末、勝ち切りました。日本チームが勝ってうれしい気持ちと自分がいなくてもよかったんじゃないかという複雑な気持ちでしたが、試合が終わった後、小田選手に抱きつかれた時に、俺も日本チームの一員なんだと改めて思いようやく心から喜ぶことができました。

今大会は自分にとって大きな勉強になりました。普段見ることのできない世界の車いすテニスのレベルを知れたことは、これからの財産になります。また、試合に出られない悔しさを今の内に知ることもできました。来年は俺が一番手になり出場します。改めて応援ありがとうございました!

[車いすテニス奮闘記・高野頌吾/川合雄大]“2021BNPパリバ・ワールド・チーム・カップ優勝を振り返って”

Profile/先天性の二分脊椎という障害のため、生まれつき足が動かなかった川合。車いすテニスと出会ったきっかけは、母親に誘われて参加した体験会にて。
そこで車いすテニスに衝撃を受けて夢中に。中学1年時には日本ジュニアランキング1位に。中学2年生からはシニアの大会に出始め、以来、日々練習に励んでいる。
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