いまから58年前の1966年11月3日、航空自衛隊が1つの公式記録を達成しました。それは東京~大阪間を10分あまりで飛び抜けるというもの。

ただ、公式ホームページに掲載された状態だと無理な気も。検証してみました。

マッハ2どこで出した?

 11月3日(文化の日)といえば、関東の飛行機ファンにとっては例年、航空自衛隊入間基地の航空祭が行われる日という認識が強いでしょう。今年(2023年)度の航空祭は来年1月20日に行われることが決まっていますが、11月3日は晴天になる確率が高い“特異日” とされており、ゆえに以前から航空祭や航空ショーがたびたび行われてきた経緯があります。
 
 過去の11月3日の出来事を防衛省の公式ホームページで見てみると、ちょっと気になる記載が。1966年のこの日、航空自衛隊のF-104戦闘機が「第一回東京航空ショー」に合わせて東京から大阪まで超音速飛行を実施し、距離395kmを10分21秒で飛行したというのです。

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航空自衛隊のF-104J「スターファイター」戦闘機(画像:航空自衛隊)。

 この速度で飛行するには、空気の密度が低い高高度である必要があります。高度1万m付近では偏西風が吹いているため、東から西に向かって飛行するとかなりの向かい風になります。

 つまり、記録飛行を行う飛行方向としては不自然です。上空とはいえ直線で400km弱ある距離を音速の2倍ものスピードで飛行すれば、地上へは相当な影響があったはず。そこで、調べてみるとその記録が見つかりました。

 結果的には、実際に超音速飛行が行われたのは、ほぼ全区間が海上であったこと、そして防衛省のホームページとは真逆の、西(関西)から東(関東)に向かって飛行したことが判りました。

 当日の飛行内容を要約すると、次のようになります。1966年11月3日午後3時55分、宮崎県の新田原(にゅうたばる)基地を離陸した1機のF-104J戦闘機は、和歌山県串本上空の高度1万7000mでマッハ2の速度に達します。そこから伊豆大島の三原山に向って飛行しました。飛行経路上は和歌山県と千葉県に配置されている航空自衛隊のレーダーにより追跡が行われました。

これが当初の理想? 空自のF-104運用法

 観測された時刻は串本通過が16時16分5秒。

大島通過が16時26分26秒でした。串本から大島までの距離は395km。これは東京から大阪の直線距離と等しく、F-104Jはこの間を10分21秒で飛んだというのです。

 当時の経路上の風は風向253度で147km/h(外気温はマイナス59.6度)。記録飛行の対地速度は2295km/h、対気速度は2148km/h。これを音速(温度によって多少の差あり)に換算し直すとマッハ2.08でした。

飛行高度は1万7000m以上で、全区間にわたりほぼ海上を飛行したため、地上への影響は僅少であったと想像されます。

 このとき用いられた戦闘機F-104「スターファイター」は、実用機として初めてマッハ2の速度を維持して飛行することを可能にした航空機です。そのため、航空自衛隊のF-104Jが前出の記録を達成できたのは、その能力を如何なく発揮したからだといえるでしょう。

「東京~大阪たった10分」自衛隊が半世紀前に成功!? F-104J戦闘機“理想の”超音速飛行 その舞台裏
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1982年10月16日、カリフォルニア州のポイントマグ―海軍航空基地で撮影したF-104G戦闘機。アメリカ空軍のマーキングが施されているが、機体自体は旧西ドイツ空軍のもので、訓練用に米本土に配置されていた機体である(細谷泰正撮影)。

 1966年当時、日本において新鋭の主力戦闘機として配備が進められていたロッキードF-104Jは、NATO(北大西洋条約機構)諸国向けのタイプであるF-104Gから爆撃能力を取り外して空対空戦闘専用機としたモデルです。

航空自衛隊では複座型(F-104DJ)を含み230機を調達しています。

 航空自衛隊においてF-104は、最も得意とする高高度への上昇と高速飛行を活かした迎撃専用機として運用されました。これはF-104を設計したロッキードの名技師ケリー・ジョンソンが意図した当初の目的に最も近かったのではと筆者(細谷泰正:航空評論家/元AOPA JAPAN理事)は考えています。

 冒頭に記した、東京~大阪間に匹敵する距離を速度マッハ2で、時間にしてわずか10分強で飛び抜けたというのが、まさにその理念を体現しているといえるのかもしれません。