生産累計1500万台を達成し、スバルの自動車の大きな特徴になっている「水平対向エンジン」。その開発の原点は、かつて「零戦」などに搭載された航空用エンジンにありました。

ほとんど無かったエンジンのノウハウ

 去る2015年2月17日。富士重工の自動車ブランド「スバル(SUBARU)」は、水平対向エンジンの生産累計が1500万台に達成したことを発表しました。「水平対向エンジン」はシリンダーを左右対称に、対抗する形で配置したエンジンです。

 スバルは「WRC(ワールドラリーカー)」をはじめにスポーツ分野でも目覚ましい成果を上げていることで知られますが、そのエンジン開発の原点は、かつての「零戦」などに搭載された航空用エンジンにありました。

 戦前、富士重工は「中島飛行機」と呼ばれる航空機メーカーで、陸軍の一式戦闘機「隼」、二式単座戦闘機「鍾馗」、四式戦闘機「疾風」など名機を多数、世に送り出しました。また海軍の三菱「零戦」も、半数以上が中島飛行機によってライセンス生産されています。

 これら戦闘機の心臓部は全て、中島飛行機製の空冷星形レシプロエンジンであり、中島飛行機は「東洋最大」の航空機メーカーとして事実上、日本の航空軍事を支える存在でした。

 中島飛行機は1917(大正6)年、元海軍の技官であった中島知久平を創始者とし、誕生します。しかし当時の会社は、わずか5~6名しか技師が在籍しない小さな町工場。そのうえ、当時の日本は航空技術においてヨーロッパに大きく遅れを取る後進国であり、中島飛行機もエンジンや機体の開発ノウハウがほとんど無い状態でした。

最高傑作「栄」

 そこで中島飛行機は、まずはヨーロッパから技術を導入するという形でスタートを切ることになります。

 1925(大正14)年、中島飛行機は傑作として名高いイギリスのブリストル社製「ジュピター」空冷星形9気筒エンジンのライセンス生産を開始します。

「星形エンジン」とは、シリンダーを放射状に並べたエンジンのことです。

 この「ジュピター」生産にあたってイギリス人技師から技術指導を受けた中島飛行機は少しずつノウハウを蓄積し、1931(昭和6)年にはついに自力開発エンジン「寿(ことぶき)」を完成させます。

 寿は、ジュピターとアメリカ製の「ライト R-1820」エンジンを参考に作られた空冷星型9気筒エンジンであり、その名の由来はジュピターの「ジュ」を受け継いでいるものともいわれます。この寿は1930年代、多くの日本軍機に搭載されました。

 そして寿の経験を活かし、放射状に並ぶシリンダーを前後の複列とすることで14気筒にまで増やした発展型が、中島最高傑作となる「栄」です。

 栄は1939(昭和14)年に完成し「零戦」や「隼」「九七式艦上攻撃機」などに搭載され、その生産数は実に3万3233基を数えました。

取り残される「栄」

 しかし1940年代に入ると欧米諸国は相次いで2000馬力級エンジンを完成させ、約1000馬力だった栄は、はやくも見劣りするようになります。

 中島はそれに対抗すべく、14気筒の栄を18気筒へ拡大した「誉」を1942年に開発。2000馬力という抜群の性能値を誇る誉は「疾風」や「紫電」など、太平洋戦争末期の航空機に多く搭載されました。

 しかし誉には弱点がありました。あまりに欲張った性能を求めた結果、故障が頻発する気むずかしいエンジンになってしまったのです。航空機用エンジンはまず「動くこと」が重要ですから、誉は実用エンジンとしては失格でした。

 結局のところ、誉を搭載した航空機は性能を発揮することさえ叶わず、軍は性能に劣る栄を搭載した零戦などを、しぶしぶ使わざるを得ませんでした。とはいえ中島飛行機の栄と誉は、戦前日本の工業水準におけるひとつの到達点でした。

 これらのエンジンを開発した技師たちは戦後、自動車エンジン技術の発展に大きな足跡を残し、「スバル」の歴史を切り開くことになります。

編集部おすすめ