津軽鉄道は、JR五能線五所川原駅(青森県五所川原市)に隣接する津軽五所川原駅を起点に、津軽平野の田園地帯を北上し、津軽中里駅までを結ぶ全長20.7kmの非電化単線路線です。本州最北端の私鉄であり、津軽五所川原~金木間はタブレット閉塞、金木~津軽中里間はスタフ閉塞、腕木式信号機や硬券切符といった“懐かしいレトロ設備”が現役です。
沿線は津軽平野の米どころに加えて太宰治の故郷でもあります。途中の金木駅は唯一の交換駅であるとともに、太宰の生家を博物館にした「斜陽館」の最寄りで、沿線の観光スポットにもなっています。
津軽鉄道は1980年代半ば、石炭ストーブを使用する客車列車が全国唯一の存在に。このため、輸送人員が減少の一途をたどっていた状況を打開すべく、ストーブ列車を観光資源にしようとPRしました。そして今や国内だけでなく外国人旅行者も大勢訪れるほど、ストーブ列車は津軽鉄道の代名詞となりました。旧型客車のストーブ列車は、古風なロッド式凸型ディーゼル機関車のDD350形が牽引(けんいん)し、鉄道ファンにも大人気な存在です。
また一般の車両は、新潟トランシス製の18m級軽快気動車「津軽21形」で、太宰の小説にちなんだ「走れメロス号」の愛称が付きます。津軽21形の運用で興味深いのはストーブ列車で、機関車の代わりに客車を牽引する「気動車+客車編成」や、DD350形牽引時でも普通車用として連結され、「機関車+気動車+客車編成」も組まれていることです。
ちょっと変わった視点の沿線案内として、2021年5月に小型機から空撮した光景を紹介します。撮影から約4年経過していますが、路線の光景はほとんど変化ありません。
腕木式信号機の“日本最北端”カメラは津軽五所川原11時50分発の下り準急列車を捉えました。普段の運行は普通と準急の種別がありますが、2025年6月から運転士確保の問題によって、減便ダイヤとなっています。
津軽五所川原駅の構内と本線の境界には、腕木式信号機の場内信号機があります。津軽鉄道は日本で唯一現役の腕木式信号機を使用する鉄道会社です。使い続ける理由は「機構が単純で壊れないから」とシンプル。壊れないとは言っても日々のメンテナンスにはかなり気を遣っており、信号を動かす信号テコは丁寧に扱い、テコと信号機を結ぶワイヤーもマメにチェックしています。
JR五能線と別れた線路は、交換駅の金木を目指して北上します。列車は田んぼの中の無人駅、五農校前駅へ到着。青森県立五所川原農林高校の最寄駅です。この高校で作られたお米や日本酒、リンゴなどが、津軽五所川原駅舎の売店で販売されています。
津軽飯詰駅から先は、津軽山地の台地を進みます。準急は鉄道林が鬱蒼(うっそう)とした毘沙門駅を通過。歌手・俳優の香取慎吾さんが描いた「慎吾列車」が保存される嘉瀬駅、太宰治の郷里の金木駅と到着します。
金木駅は上下線の交換駅であり、タブレット閉塞とスタフ閉塞が行われ、場内信号機は腕木式信号機が現役です。
芦野公園駅は桜が有名です。その始まりは1934(昭和9)年、金木町の商工会が芦野公園に桜を500本植樹し、芦野公園の桜は沿線行楽地として人気を博しました。旧駅舎は喫茶店となっています。
下りの準急は川倉、大沢内駅と進み、五所川原市から中泊町へと入り、田園地帯の沿線は家々が集まってきました。終点の津軽中里駅はすぐ目の前です。町営団地らしい集合住宅を横目にして、準急は津軽中里駅へゆっくりと到着しました。
線路はホーム先の堀割でプツッと途切れ、先へと延伸するような雰囲気もしますが、当初より当駅を終点として建設されました。冬場のストーブ列車が到着した際、機関車や気動車がこの掘割付近まで走行し、機回しする光景が見られます。
津軽鉄道はこれからの季節、青々とした田園地帯と岩木山が車窓に広がり、アテンダントの観光案内も楽しめます。腕木式信号機とタブレット閉塞という昔日の鉄道憧憬も活躍し、有人駅は硬券が現役です。ストーブ列車以外の季節も、最北の私鉄の鉄道旅は堪能できます。