国鉄・JRの列車に付けられている愛称名。その歴史は、古いものでは戦前にまで遡りますが、一方で、列車名にちなんだイラストの描かれたヘッドマークは、少しずつ数を減らしています。

初めての愛称は「富士」「櫻」

 鉄道会社にとって花形といえる特急列車。各社とも、スピードや乗り心地、外観やカラーデザインなど、様々な技術やアイデアを駆使した車両で運行しています。また、JR各社や一部の私鉄では、行き先や種別、使用される車両に合わせて様々な愛称を付けているのも特徴です。

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寝台特急「富士」。富士山の形をしたヘッドマークが人気だった(伊原 薫撮影)。

 優等列車に初めて愛称が付けられたのは、1929(昭和4)年のこと。東京~下関間を走る2往復の特急列車に、親しみを持ってもらおうという目的で、愛称を付けることになりました。一般公募の結果、得票数が1位となった「富士」と3位となった「櫻(さくら)」が、それぞれ日本を代表するものであり列車名にふさわしいとして選ばれました。

 ちなみに、このときに2位だった「燕(つばめ)」は、翌年に運転を開始する列車で採用。この列車は、それまで「富士」などで約11時間かかっていた東京~神戸間を、2時間30分も早い8時間30分で結ぶ俊足ぶりで、その姿をツバメに重ね合わせて命名されたといわれています。

戦後、列車愛称は350種類以上に増えるも減少へ

 余談ですが、この「燕」は所要時間を短縮するため、いまでは考えられないようなことが行われていました。当時は全区間を蒸気機関車(SL)が牽引していましたが、途中で水の補給を省略するため、機関車の後ろに巨大な水タンクを搭載した水槽車を連結。

また、機関士や機関助士が交代するための停車時間がもったいないということで、走行中に交代することになりました。そこで、この水槽車の横に設けられた簡易通路を通り、さらに炭水車によじ登って石炭の上を歩き、機関室とのあいだを行き来していたという記録も残っています。このほかにも、急勾配区間で後押しする補機を走行中に切り離すなど、様々な工夫が“超特急”の運転を可能にしていたのです。

 以降、これら以外にも愛称を付けた列車がいくつか登場したものの、太平洋戦争が激化するにつれて優等列車自体が徐々に減っていきます。「富士」「櫻」「燕」も、1944(昭和19)年までに運行を中止。愛称付きの列車は、私鉄の一部に残るのみとなりました。

 やがて戦争が終わり、鉄道輸送が盛り返すと、列車に愛称を付けようという動きが再び起こります。1949(昭和24)年、東京~大阪間で復活した特急列車が「へいわ」と名付けられたのに続き、「銀河」「はと」などが次々と登場。翌1950(昭和25)年からは、原則として特急や急行列車はすべてに愛称を付けることになりました。最盛期には、国鉄だけでなんと350種類以上の愛称があったといいますから驚きです。

 その後、優等列車の指定席管理がコンピューターで行われるようになると、管理のしやすさなどを目指して愛称の統合が進みます。また、新幹線の開業や運行系統の整理もあって、在来線の優等列車は運行本数自体が次第に減少。

『JTB時刻表』2018年5月号によると、現在JRで優等列車に付けられている愛称は、新幹線で20種類、在来線特急で約100種類(いずれも一部の臨時列車を含む)となっています。

列車愛称に見られた「法則」とは

 ところで、これらの愛称にはかつてある法則がありました。それは、特急列車には前述した「富士」「さくら」のほか、「みずほ」「はやぶさ」「雷鳥」「とき」のように日本を代表するものや鳥の名前を、急行列車には「東海」「だいせん」「能登」「きたぐに」など走行エリアにちなんだもの、といった具合です。ただし、必ずしもこのように決められていたわけではなく、常磐線を走る特急「ひたち」(茨城県の旧国名)や、中央本線を走る特急「あずさ」(長野県を流れる川の名前)といった例もあります。また、夜行列車には「明星」「あかつき」など星にちなんだものが多く採用されました。

減りゆくヘッドマーク JR特急の愛称名に込められた思いと歴史とは

寝台特急「あけぼの」。その夜明けの光景がそのままヘッドマークの図案となっていた(伊原 薫撮影)。

 さて、列車の愛称を聞いたとき、ある「もの」が頭の中に思い浮かぶ人も多いでしょう。言うまでもなく、その列車の「ヘッドマーク」です。ヘッドマークとは、文字通り列車の先頭部に掲げられる図案のこと。例えば「富士」だと青地に雪をかぶった富士山のイラスト、「さくら」だと白地にピンク色で桜の花が描かれたものです。

 列車の最後部に表示される場合は「テールマーク」などと呼ばれ、戦前の展望車にこれらのマークが取り付けられた写真を見たことがある方も多いでしょう。

当初は最後部だけに取り付けられていましたが、戦後になってから機関車の前面にも取り付けられるようになり、ヘッドマークという呼び名が一般的となりました。

 一方、電化や蒸気機関車の使用をやめる無煙化によって電車や気動車による特急列車が増えてきましたが、これら列車のヘッドマークは、当初は愛称が文字で書かれた簡素なものでした。1970年代には、ブルートレインなどの先頭部からもイラスト入りのヘッドマークが姿を消し、最後部の客車にのみ掲出されるようになるなど、一時イラスト入りのものは絶滅するかと思われましたが、1978(昭和53)年のダイヤ改正前後からは、電車・気動車特急もイラスト入りのヘッドマークが使われるようになりました。この頃、国鉄は相次ぐ値上げなどで乗客が減少しており、特急列車に親しみを持ってもらいたいという、初めて列車名が採用された当時と同じような意図があったと思われます。

近年は減り続ける「ヘッドマーク」

 このような経緯をたどってきたヘッドマーク。最近は、残念ながらヘッドマークを前面に掲げた特急列車は次第に数を減らしています。その理由は様々ですが、近年主流となっていた幕式やLED式のヘッドマーク掲出装置は、仕組みが複雑で保守に手間がかかること、雨水などの浸入で車体が腐食する原因となることなども理由のひとつのようです。

減りゆくヘッドマーク JR特急の愛称名に込められた思いと歴史とは

JR西日本の特急車両は、ヘッドマークを表示する仕組みがない。写真は681系「しらさぎ」(伊原 薫撮影)。

 JR東日本では、老朽化のため2018年春で引退したE351系や、同様に数を減らしている185系や651系などがヘッドマークを掲出していた一方、最新鋭のE353系やE259系はいずれもヘッドマークを表示する仕組みを持っていません。また、JR西日本やJR九州では、新造された特急車両はすべてヘッドマークがないタイプです。

 昔ほど特急列車の種類が多くなく、また駅ホームなどでの案内が充実した現在、特急列車の前面にヘッドマークがなくても、乗り間違いなどは起こりにくくなりました。

加えて、新幹線ではイラスト入りのヘッドマークがなかったこともあり、そういった意味では、ヘッドマークの存在意義は小さくなっているのかもしれません。反面、優等列車の象徴とも言えるヘッドマークがなくなることに、寂しさを感じる人も少なくないことでしょう。

 世界的に見ても、特急列車に愛称を付け、その名前にちなんだイラスト入りのヘッドマークを掲出するというのは、かなり珍しいものです。日本独特の文化という見方もでき、その地域の魅力や名物をシンプルに伝えてくれる、楽しいデザインのヘッドマークが今後再び増えることを願います。

【写真】新旧「はまかぜ」車両、新しい方はヘッドマークなし

減りゆくヘッドマーク JR特急の愛称名に込められた思いと歴史とは

和田山駅で顔を合わせた新旧「はまかぜ」用車両。キハ181系ディーゼルカーの引退とともにヘッドマークも見納めとなった(伊原 薫撮影)。

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