20年以上前に退役しつつも、その派生型が続々と作られいまに血脈を残す陸自装備、73式けん引車。やや地味な装備ですが、その派生型には、実にハデに活躍しているものもあります。
「最近の自動車はオリジナリティがなくてつまらない」という声を聞くことがあります。これは裏を返すと、専用設計のシャシーやボディを持つ車が少なくなったということです。確かにいまや自動車はメーカー内ではもちろんのこと、異なる自動車会社同士でもOEMという形で同一車体をフロントマスクや灯火類の形状を変えるだけで共有するものが多数存在します。
1973年度に制式化された73式けん引車。ファミリーの始祖である(画像:月刊PANZER編集部)。
これは開発コストの増大や、工場の稼働率向上といったことが大きく関係しているからですが、同様のことは兵器の世界でもあります。やはり軍需産業界も効率化が求められており、民間技術の転用や民生品の多用化などと並んで、設計の共用化、すなわちファミリー化が大きく図られるようになっています。
一方、国内の防衛産業の批判として、自衛隊装備に対するファミリー化の概念の低さがよくやり玉に挙げられます。とくにその傾向は陸自装備(車両関係)で多く、自衛隊の戦車や装甲車は、拡張性の低い発展性のないギリギリの設計をしているとか、バリエーション展開をせずに新たに専用車体を開発している、などといわれてきました。
しかし、そのような中で、実は5種類もの派生型を有する装甲車両ファミリーも存在するのです。
1970年代は続々と国産開発の陸自車両が制式化された時期でもあります。74式戦車や73式装甲車を始めとして、75式自走155mm榴弾砲や78式雪上車もこの時期でした。
そうしたなか、アメリカ供与の大口径けん引砲(重砲)である203mm榴弾砲や155mm加農砲(カノン砲)のけん引車として開発されたのが73式けん引車です。
73式けん引車は、同時期に開発が進んでいた各種国産車両とパーツの共用化が図られており、エンジンは75式自走砲と、変速機や履帯(いわゆるキャタピラー)は73式装甲車と同じものでした。
本車は、1980年代後半から前述したけん引式重砲の更新用として203mm自走榴弾砲が配備されると数を減らしていき、最終的に1996(平成8)年に姿を消しました。
しかし余裕のある車体サイズや、実用本位のコンポーネントはその後のバリエーション展開にプラスとなり、各種派生型のベースに流用されることになったのです。
最初の派生型 長男坊の87式砲側弾薬車前述のように203mm榴弾砲や155mm加農砲の後継として導入された203mm自走榴弾砲でしたが、同車は自走式ではあるものの、操砲人員や予備弾薬の運搬のために別の車両が必要でした
そこで陸自が考えたのが、退役する73式けん引車を改造して203mm自走砲に追従できる支援車両を作ることでした。こうして生まれたのが87式砲側弾薬車です。その名の通り、「砲」の「側(そば)」で「弾薬」を供給する「車」両で、203mm自走砲の射撃を行う13名の要員のうちの半分以上の8名と砲弾50発を運べます。一見すると73式けん引車と似ていますが、車体が1mほど長くなり、さらに弾薬の揚げ降ろし用に車体後部に1tクレーンを装備するのが特徴です。
ちなみにエンジンは73式とは異なり、203mm自走榴弾砲と同じアメリカ製の水冷ディーゼルに換装されました。これは随伴する203mm自走砲と同じ方が整備運用上都合がよいからでした。
なお87式は調達が2004(平成16)年度まで行われていたため、以後の派生型は87式のコンポーネントを流用して開発されました。

最初に作られた73式けん引車の派生型である87式砲側弾薬車。

総火演で相棒の203mm自走榴弾砲(右)に砲弾を供給する87式砲側弾薬車(左)(柘植優介撮影)。

登場当初、外国のメディアから地対地ミサイル発射機と勘違いされた92式地雷原処理車(柘植優介撮影)。
総火演の目立ちたがり 92式地雷原処理車
87式砲側弾薬車の次に開発されたのが92式地雷原処理車です。73式や87式のような箱型形状ではなく、装甲車のような平べったい車体の上に俯仰(ふぎょう)式の連装ランチャーを搭載しているため、一見すると73式装甲車や75式自走多連装ロケット弾発射機の派生型と勘違いしてしまいますが、車体の基本構造は87式砲側弾薬車のものです。
そのため、エンジンや変速機も87式と同じものですが、90式戦車や89式装甲戦闘車などと一緒に行動するため、悪路走破性を考慮して誘導輪(転輪の小さなもの)が車体後端に追加されている点が違います。
92式は発射するロケット弾が非常に大きなことから、その見た目の派手さで当初、外国メディアから地対地ミサイルと誤解されたこともあったといわれますが、真偽は不明です。
北海道専用装備と化した96式自走120mm迫撃砲前述した73式けん引車や87式砲側弾薬車、92式地雷原処理車が比較的全国で配備運用されていたのに対して、全数が北海道の部隊に配備されてしまっているレア車両が96式自走120mm迫撃砲です。

車体後部を開放、射撃状態で展示される96式自走120mm迫撃砲(柘植優介撮影)。
これまた形状が一新されてしまっているため、87式砲側弾薬車の派生型とは一見しただけでは思えませんが、足回りは92式地雷原処理車と一緒で、車体後部に120mm迫撃砲を搭載しているのが特徴です。ただし陸自は大量生産せず、北海道の第7師団1個部隊分24輌の生産のみで調達を終わらせました。そのため本州以南にはほとんど姿を現さない希少装備と化してしまっています。
一方、車体の上に迫撃砲ではなく伸縮式のショベル・アームを装備した装甲ショベルカーというべき車両が施設作業車です。このショベルは、工事現場で見かける油圧ショベルとは違い、アームを伸縮させる構造のテレスコ(望遠鏡)式と呼ばれるもので、さらにショベルに加えて排土板(ドーザー)も備えており、1両で油圧ショベルとブルドーザーの両方の役割を担うことが可能です。また戦車や装甲車に追従できるよう最高速度は50km/hでます。
99式自走砲の女房役 99式弾薬給弾車陸自最新の99式自走155mm榴弾砲は、給弾システムの完全自動化を達成しているのが特徴ですが、そのために99式自走砲に連結して絶え間なく砲弾と装薬を供給するための専用運搬車が99式弾薬給弾車です。見た目は87式砲側弾薬車に似ていますが、99式自走砲と背中合わせになるように停車すれば、砲弾がベルトコンベヤーなどで99式自走砲の砲塔にそのまま運ばれていきます。まさに動く弾薬庫といえるでしょう。

教育支援用に少数が配備されている富士教導団の施設作業車(柘植優介撮影)。

テレスコ式のショベル・アームを伸ばした施設作業車(月刊PANZER編集部撮影)。

車体後部に全自動の給弾システムを装備した99式弾薬給弾車(柘植優介撮影)。
原型の73式けん引車はその名称のとおり、1973(昭和48)年度に制式化された車両ですが、それから45年が経過しても、その派生型は現在でも生産され続けています。外観にその面影を感じ取ることが難しいため、一見するとコンポーネントが流用されているとは思えませんが、ここまで長期間調達が続いている自衛隊車両はほかになく、まさに「その血は脈々と受け継がれている」といえるでしょう。