鉄道会社の看板とも言える特急電車。各社とも、最新の技術やこだわりのデザインをふんだんに詰め込んでいます。

日本の特急電車を語る上で欠かせない車両を5つ選んでみました。

国鉄初の「特急電車」となった151系

 目的地まで速く・快適に人々を運ぶことが使命の特急電車は、各社がそれぞれプライドをかけて開発しています。なかには、独創的なデザインやアイデアで、他社に影響を与えた車両も少なくありません。ここでは、後の鉄道史を変えた特急電車を、筆者の独断と偏見で5つ選んでみました。

 1895(明治28)年に京都電気鉄道が路面電車の営業運転を始めて以降、日本各地で電車の活躍が始まりました。当初は都市近郊の短距離輸送が主でしたが、次第に長い距離を走るようになり、スピードも向上。やがて戦後になると、国鉄は東海道本線をはじめ主要路線の電化を進めるとともに、それまで電気機関車がけん引していた中・長距離列車を電車方式に変更していきます。1950(昭和25)年に登場した80系電車は、国鉄初の長距離輸送用電車として、東京~熱海間の準急「あまぎ」などに使用されました。

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京都鉄道博物館に展示されている581系電車と、151系電車のスタイルを受け継いだ489系電車(2016年3月、伊原 薫撮影)。

 そのようななか、1956(昭和31)年に全線電化されることになった東海道本線で、電車の特急を走らせるために開発されたのが、国鉄初の特急電車である151系です。その最大の特徴は、大きな“鼻”があるボンネットスタイル。コンプレッサーなど大きな音を発する機器をここに収めることで、騒音が客室内に届かないようにしました。

また、運転席を高い位置にすることで、運転士が遠くを見渡せるようにしています。さらに、客室の幅を制限いっぱいに大きくしたほか、クーラーを搭載する代わりに窓を固定式とし騒音を入りにくくするなど、居住性を大幅に向上。まさに、特急電車にふさわしい車両となりました。

 151系電車は1958(昭和33)年に第1陣となる24両が製造され、新たに誕生した特急「こだま」としてデビューしました。列車は8両編成で、2等車(現在のグリーン車に相当)が2両組み込まれたのに加え、編成中2か所に立食スタイルのビュフェ式食堂車も連結されました。製造当初は「20系」と呼ばれていましたが、翌年に「151系」へと改称。やがて同系をベースに、山岳区間用の161系電車や交直流両用の481系電車なども生まれました。まさに、国鉄の特急電車の“元祖”と言えるでしょう。

昼夜問わず走った寝台特急電車581系

 151系電車は、快適性の向上に加えてスピードアップも可能にしました。電車は、一般的に架線などから電気を得て自ら走る動力車が分散して連結されているため、先頭の機関車がけん引する列車に比べて加速や減速などがしやすくなります。そのため、電化された区間の特急列車は次々と電車に置き換えられ、増発されました。しかし、車両数が増えたことで夜間に列車を留置する場所が不足。

解決策としてとられたのが、同じ車両を夜間も使い、乗客には寝台というサービスを提供することでした。こうして、座席を寝台に変換できる581系電車が生まれました。

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京都鉄道博物館に展示されている581系電車。座席を寝台へ変換できる設備を持つ(2016年3月、伊原 薫撮影)。

 昼間に座席として使う際の利便性を考えて、中央に通路、両側に寝台兼用の座席を配置。夜間は座面と背もたれをスライドさせ、3段寝台の下段としました。中段と上段は、壁側へ立て掛けるように収納されており、夜間は倒してハシゴを設置します。これらの作業は、通勤列車などが営業中の朝や夕方に車両基地で実施。車両にとっては“昼も夜も働きづめ”という状態ですが、こうすることで留置場所の問題をクリアしました。

 もうひとつ、581系電車の特徴だったのが、その前面スタイルです。客室スペースを広げるためにボンネットをなくすとともに、連結時に通り抜けできる貫通構造としたため、切り立った印象になりました。このスタイルは、後に485系電車などにも採用されることになります。

 581系電車は、直流電化区間と交流電化区間(60Hz)の2電源に対応していましたが、やがて交流電化区間(50Hz)にも対応した583系電車へと製造がシフト。車体のデザインは、151系電車の配色に寝台客車の青色を取り入れたカラーリングで各地に足を延ばしましたが、夜行列車の減少とともに本来の役目を終了。晩年は、団体臨時列車などに使われました。

160km/h運転を実現した681系電車

 1987(昭和62)年の分割民営化で発足したJR各社は、その“看板車両”となる新型特急車両の開発に着手しました。JR九州に783系電車が、JR東日本に651系電車などが登場するなか、JR西日本は681系電車を開発し、1992(平成4)年に試作車が登場しました。

 681系電車の使命は、特急「雷鳥」のサービス向上です。大阪と北陸地方を結ぶ「雷鳥」は、1989(平成元)年に登場した「スーパー雷鳥」を含めて1日20往復以上が運行され、JR西日本を代表する列車でした。一方で、車両は長年485系電車が使用されており、「スーパー雷鳥」に使われた編成はリニューアルが行われていたとはいえ、新型車両の登場が待たれていました。さらに、高速道路網が整備され乗客が減少していたことから、スピードアップも課題でした。681系電車は、非常時に素早く停止できるブレーキ性能を確保することで、それまで認められていなかった、踏切がある区間での130km/h運転を実現。最高速度160km/hでの運転も可能な性能も備えていました。車内は暖色系の配色で、落ち着いた雰囲気としています。

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特急「サンダーバード」に使われる681系電車。後ろには、リニューアル後の編成が連結されている(2016年5月、伊原 薫撮影)。

 試作車に続いて、1995(平成7)年には量産車が登場し、「スーパー雷鳥(サンダーバード)」として運転を開始。その後も増備されたほか、北越急行でも導入され、特急「はくたか」としても走り始めます。2002(平成14)年春からは「はくたか」が北越急行線内で160km/h運転を始め、その真価を発揮しました。

 681系電車の製造は1997(平成9)年に終了し、以降は後継車種の683系電車にバトンタッチ。2015年には、北陸新幹線の開業に伴って余剰となった北越急行の車両がJR西日本に譲渡されました。特急「しらさぎ」に転用される一方、製造後20年を迎えたことから車両のリニューアルも行われています。2023年に北陸新幹線が敦賀まで開業した後は、681系電車に再び大きな動きが見られるかもしれません。

日本初の2階建て車両、近鉄10000系

 国鉄が151系電車をデビューさせたころ、私鉄でも革新的な車両が登場しました。近畿日本鉄道(近鉄)が開発した10000系電車「ビスタカー」がそれで、2階建ての鉄道車両はこれが日本初です。

 当時、近鉄では国鉄151系電車の登場に強い危機感を抱いていました。

近鉄は大阪線と名古屋線の線路幅が違っていたため、近鉄を利用して大阪と名古屋を移動するには、途中の伊勢中川駅(三重県松阪市)で乗り換えが必要でした。そこで、名古屋線の線路幅を変更するとともに、魅力的な特急電車を導入することで、国鉄との競争に打ち勝とうと考えたのです。

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10000系電車「ビスタカー」を受け継いだ30000系電車「ビスタEX」の2階建て車両(2017年6月、伊原 薫撮影)。

 そして、議論のなかで生まれたのが2階建ての鉄道車両でした。アメリカで走っていた2階建て客車「VISTA DOME」がモデルといわれており、7両編成のうち3号車と5号車が2階建て構造とされました。さらに、この2階建て車両を含む3号車から5号車は、連結部分に台車がある「連接構造」を採用することで、乗り心地の向上なども図られました。

 10000系電車は試作車的な存在として1編成のみが製造され、151系電車より4か月早い1958(昭和33)年7月に営業運転を開始。その特徴的な構造に加え、座席のラジオ設備やクーラーなども大きな注目を集めました。この成功を踏まえて、近鉄では翌1959(昭和34)年に同じく2階建て・連接構造の10100系電車を開発。こちらは3両編成18本が製造され、大阪~名古屋間の直通運転開始とともに、近鉄特急の顔として活躍しました。以来、「ビスタカー」は近鉄特急を代表する車両のひとつとなり、今も30000系電車「ビスタEX」が走っています。

最前部を客室とした名鉄7000系電車「パノラマカー」

 近鉄で2階建て車両が登場した数年後、こちらも鉄道業界に旋風を巻き起こす車両が登場しました。

1961(昭和36)年に登場した、名鉄7000系電車です。

 近鉄は国鉄151系電車に対抗して「ビスタカー」を生み出しましたが、名鉄は自動車に対抗する必要性を感じていました。鉄道としての魅力を失わない新たな車両開発が検討されるなか、経営層の「これまでの展望車は列車の最後部にあるため、“過去”しか見られない。これから造る展望車は“未来”が見えるものでなければならない」という思いから、最前部を展望室とすることになりました。

 ただし、前面展望室を実現するには、踏切事故などが起こった際に展望室の乗客をどう守るか、という大きなハードルがありました。これを解決したのが、前面窓下に設置された油圧ダンパーです。万が一、踏切で大型トラックと衝突しても有効に機能するよう、トラックの荷台と合わせた高さに設置されました。実際7000系電車はデビュー後に、踏切でダンプカーと衝突事故を起こしましたが、その時もダンパーが有効に働き、展望室の乗客は無事でした。

2階建て、展望席… 独創的なアイデアやデザインの特急電車 その歴史を変えた車両5選

「パノラマカー」と名付けられた名鉄7000系電車(2009年7月、伊原 薫撮影)。

 最前部を展望室としたことから、運転席はその上に設置されました。運転士は車体外側のハシゴを使って運転席へ出入り。ここを上り下りする姿は子どもたちの羨望の的だったともいわれています。

「パノラマカー」と名付けられた7000系電車は、乗客や鉄道ファンのあいだでたちまち大人気となりました。今や「名鉄カラー」となった赤色を初めて身にまとい、弟分に当たる7500系電車と合わせて180両以上が登場。豊橋~岐阜間の本線をはじめ、各支線でも活躍し、まさに名鉄の代名詞的存在となりました。やがて、1988(昭和63)年に後継車となる1000系電車「パノラマsuper」が登場すると、特急運用から順次引退。それでも7000系電車の人気は衰えず、約半世紀にわたって走り続けました。2008(平成20)年末に定期運用を終え、翌年8月の臨時列車を最後に全車が廃車されましたが、その輝かしい歴史は今なお語り草となっています。

 昔も今も、特急車両には鉄道各社の想いが詰まっており、それが子どもから大人まで多くの人々を引きつけています。これからも、個性的な特急電車が私たちを楽しませてくれることでしょう。

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