名神高速には、開業当時のルートから付け替えられた区間があり、並行して旧ルートの使われなくなった遺構も残っています。ほぼ活かされることなく放棄された旧ルート、付け替えの背景には何があったのでしょうか。
名神高速を名古屋方面から大阪方面へ向かい、関ヶ原ICを過ぎると、登坂車線のさらに左側に広いスペースが現れます。ここはヘリポートや雪氷対策の資機材置き場があったり、冬期にはタイヤチェーンの脱着場として使われたりする場所ですが、実はここは、かつての本線です。
ここから大阪寄りにある今須トンネルの前後区間は、ルートが付け替えられており、上述のスペースは現道から旧道が分かれる部分にあたります。トンネルに並行する形で、高速道路外には旧道のカルバート(トンネルとなるコンクリートの箱)や盛り土などの遺構も残っています。
名神高速上り線、今須トンネル手前。開業当初のルートから変わっている(2020年3月、中島洋平撮影)。
日本で最初の高速道路(高速自動車国道)である名神は、トンネルを極力避けて建設されました。この区間も当初は谷間を縫うようなル―トで、名古屋方面から下り坂となるうえ、曲線半径280m(カーブを円弧としたときの半径の長さが280m)という急カーブが現れるような線形でした。なお、現行の道路構造令では、道路の設計最高速度が100km/hの場合、曲線半径は460m以上、地形条件などでやむを得ない場合でも380m以上にするよう規定されています。
この「今須カーブ」では事故が多発し、当時の新聞などでは「魔のカーブ」とも呼ばれたことから、約2年半をかけて今須トンネル経由の新線が建設され、1978(昭和53)年に付け替えが実施されました。1964(昭和39)年の開通から、わずか14年後のことです。
ちなみに、このような高速道路の「廃道」は、中央道にも存在します。