信号のない円形の交差点「ラウンドアバウト」が栃木県内で初めて開設されました。その場所は、もともと鉄道が交わっていた交差点です。

この場所で起こっていた課題の解決に、ラウンドアバウトが合理的だったといいます。

「旧東野鉄道線」の交差点にラウンドアバウト

 栃木県大田原市で、県内初の環状交差点「ラウンドアバウト」が2020年6月5日(金)に開設されました。

「ラウンドアバウト」は、2014(平成26)年9月の道路交通法改正でその定義と交通方法が定められて以来、2020年3月末時点で全国100か所において導入されています。交差点の中心に「中央島」と呼ばれるスペースがあり、その外周を取り囲むドーナツ型の通行路「環道」から放射状に道路が伸びるという構造で、「環道への進入および流出は左折で」「環道内は時計回り(右回り)で進行」「環道内を走行しているクルマが優先」といった通行ルールがあります。

県初のラウンドアバウト そこは鉄道廃線跡 ならではの課題解決...の画像はこちら >>

大田原市にできた栃木県初のラウンドアバウト。中央上から下に延びるのが市道旧東野鉄道線(画像:大田原市)。

 今回ラウンドアバウトが設けられた場所は、大田原市の南東部、旧湯津上村の狭原(せばはら)地区で、国道294号からやや西側に入った田園のなかの、市道どうしが交わる交差点です。このうち、南北に交わる道路は「市道旧東野(とうや)鉄道線」といい、その名のとおり、もともとは鉄道でした。

 なぜ、この場所にラウンドアバウトが設けられたのでしょうか。

 現地は、この旧東野鉄道線に対し市道南金丸狭原線が斜めに横切っており、さらに北東からもう1本、細い市道が接続する変形五差路と呼ばれる構造でした。

 古い地図を見ると、後者の市道2路線がもともと存在し、東野鉄道の線路と交差していました。これが道路になった旧東野鉄道線は、市道南金丸狭原線と同程度の道幅で、「主従関係があいまいなため、出会いがしらの事故が起こっていた」(大田原市道路課)とのこと。

 交通量もさほど多くなく、田んぼのなかで見通しもよい場所ですが、それゆえに、事故が起こっていたといいます。地元からは信号の設置要望も寄せられていたものの、交通量の割に費用がかかりすぎること、また交差点の形状に問題があることから、設置が難しかったそうです。

ラウンドアバウト化のメリット発揮 複雑交差点がスッキリ

 大田原市道路課によると、今回のラウンドアバウト化は、地元住民から土地の提供を受けて実現したといいます。交差点の規模としては大きくなったものの、交差点のすぐ南西で旧東野鉄道線に接続していた農道も交差点に合流するよう付け替え、環道から計6本の道が放射状に延びる形状の交差点へと生まれ変わりました。

 複雑に交差していた道を環道にまとめられただけでなく、ラウンドアバウトであれば必ず左折をともなうため、スピードも抑えられ、事故防止につながると大田原市道路課は話します。費用面でも、信号の設置より若干ながら抑えられたそうです。

県初のラウンドアバウト そこは鉄道廃線跡 ならではの課題解決に合理的だったワケ

狭原のラウンドアバウト。旧東野鉄道線から南を望む(2020年6月、中島洋平撮影)。

 ちなみに、東野鉄道は1918(大正7)年に開業し、現在のJR西那須野駅から大田原市街、旧黒羽町(現・大田原市)を経て、那珂川町にあった那須小川駅までを結んだ私鉄です。このうち、今回ラウンドアバウトができた狭原地区を含む黒羽~那須小川間は、戦前の15年間しか存続しませんでした。2020年現在、その一部が道路になっています。

 なお、残る西那須野~黒羽間も1968(昭和43)年に廃止されたのち、東野鉄道は「東野交通」と名を変え、路線バスを中心に事業を展開していましたが、2018年に県内最大のバス事業者である関東自動車に吸収合併されました。

とはいえ、旧東野交通のバスはいまも「東野バス」の名で、車両デザインもほぼ変わらず走っています。

編集部おすすめ