太平洋戦争中に実在した駆逐艦「雪風」。数々の戦場を潜り抜け、沈没する僚艦から海に投げ出された仲間を救い、戦後は「復員輸送艦」として外地に取り残された約1万3千人を日本に送り返した。

その史実に基づき、太平洋戦争から戦後、さらに現代へとつながる激動の時代を生き抜いた人々の姿を壮大なスケールで描く『雪風 YUKIKAZE』が、終戦の日の8月15日から全国公開中だ。本作で雪風の若き水雷員・井上壮太を演じた奥平大兼と、先任伍長・早瀬幸平(玉木宏)の妹・早瀬サチを演じた當真あみが、その舞台裏や作品に懸ける思いを語ってくれた。

-終戦80年の節目に公開ということで、まずは本作に出演が決まったときのお気持ちをお聞かせください。

奥平 最初にお話をいただいたとき、監督や脚本家、プロデューサーからお話を伺う機会がありました。そこで駆逐艦「雪風」のことや「こういう映画を作りたい」という思いをお聞きして、ものすごく熱量を感じ、僕もこれまで戦争を題材にした映画に出演した経験がなかったので、とてもやりがいを感じました。

當真 私が演じた早瀬サチは、「雪風」に乗っている兄・幸平の帰りを待つ妹です。戦時下を生きる人を演じるのは初めてだったので、知らなければいけないことがたくさんあると思っていました。ただその分、この作品を通して学ぶことも多く、参加させていただき、すごくうれしかったです。

-演じるにあたって、どんな準備をしましたか。

奥平 クランクイン前、江田島の旧海軍兵学校をはじめ、さまざまな施設を見学させていただき、当時の空気を感じたことが、演じる上でも役立ちました。中井貴一(帝国海軍・第二艦隊司令長官、伊藤整一役)さんから、「雪風」の乗組員を演じるチームに「80年前、実際にこういうことがありました。生半可な気持ちでやっていいものではありません。

僕らの先輩方は、今までそういう映画をたくさん作り、多くの方に届けてきました」とお言葉をいただいたことも、大きな刺激になりました。

當真 私は台本からできるだけ想像を膨らませて撮影に挑みました。仮に私が今、サチのように戦場に出た兄の帰りを待つ立場になったとしても、心の支えになる人は妹など身近にたくさんいます。それに比べて、母と2人で兄を待つサチは、すごく心細かっただろうなと。そんなことを考えながら、演じていました。

-80年前の戦時下を生きた若者を演じるにあたって、ご自身との心の距離感をどのように感じていましたか。

奥平 僕が演じた井上は、見てくださる方々の目線に近い立場なので、自分の気持ちを捨てすぎない方がいいのかな…と思っていました。仲間と戦争の話をするシーンでも、井上は果たしてこれがいいことなのかと、きっと考えていたでしょうし。そういう意味では、「雪風」に乗って戦争に参加している立場ですが、心の距離感という意味では、それほど自分とかけ離れていなかった気がします。

當真 私はサチをとても近い距離感で捉えていました。自分が同じような状況に置かれたときに感じる不安のようなものは、共有した方がいいと思って。ただ、撮影現場に入ってからは、当時の女性の強さをつくづく感じました。

男性がみんな戦争に行ってしまい、女性だけで家を守らなければいけない。私がそんな状況に置かれたら、きっと気が気ではなく、サチのように落ち着いていられないし、笑顔で送り出すなんて絶対にできません。演じる上では、そういう芯の強さを常に意識していました。

-演じる上で難しかった点はありますか。

奥平 敬礼をするとき、上官が手を下ろしてから自分が下ろさないといけないのですが、うっかり自分が先に下ろしてしまったことが何度かありました。事前に所作の指導は受けていたのですが、きちんと意識してやらないと駄目だな、と痛感しました。

當真 言葉遣いのちょっとしたイントネーションが難しかったです。微妙に変わるだけで、現代風の話し方になってしまうので、その点は気を付けながら演じていました。衣装のモンペも、着慣れていないため、不思議な気持ちでしたが、身につけるものや持ち物から感じ取ることも多いので、役作りの上ではとても助けられました。

-お2人はこれまで、太平洋戦争についてどのように捉えてきましたか。

奥平 もちろん、80年前に戦争があったことは知っていましたが、正直なところ、学校の授業では「1945年に戦争が終わった」といった感じで、テストのために年表を暗記するだけで済ませてきたところがあります。ただ今回、クランクイン前にさまざまな施設を見学する中で、当時、神風特攻隊で出撃していった方たちの中には、今の僕より若い方もいたことを知りました。

その方々が残した手紙を見ると、とても綺麗な字で書かれていて、内容も人それぞれなんです。家族を心配していたり、大切な人に宛てて書かれていたり…。戦争に向き合う気持ちが決して一色ではなく、そこに人が生きていたことに気付かされ、捉え方が変わりました。

當真 私の故郷の沖縄では、学校の課外授業で戦争に関する資料館を訪れることも多く、沖縄戦が終結した6月23日は「慰霊の日」として毎年、学校が休みになり、戦争で亡くなった方々に対して、黙とうをささげていました。その日は、すべてのテレビ局が当時の映像や戦争体験者のインタビューなど戦争関連の番組を放送していたので、戦争について触れる機会は多くありました。日常生活でも、母から「あっちは防空壕があって危ないから、行ったらダメだよ」と言われたこともあります。だから、自分では経験していなくとも、本当にあったことなんだと感じていました。

-そういうお話を踏まえると、お二人にとっても終戦の日の8月15日にこの映画が公開される意義は大きいのではないかと思います。その点に対する思いをお聞かせください。

奥平 80年前という事もあり、普段はなかなか戦争について考える機会はありません。その上、僕の祖母も終戦直後の生まれですし、当時の話をしてくださる方はどんどん減っています。そう考えると、終戦の日に公開されるこの映画を通じて、当時の様子を伝えていくことは大切な気がします。

しかも、今も世界では戦争が続いているので、僕も含めて皆さんが、そういうことに思いをはせるきっかけになればと思います。

當真 亡くなった私の曾祖母が戦争体験者だったのですが、生前は当時の話を聞く機会がありませんでした。今になって、聞いておけばよかったと思っています。今では終戦の日を知らない人もたくさんいると思うので、それを知ってもらう上で、とても意味のある公開日ではないでしょうか。広島の原爆ドームなど、戦争について知ることのできる施設は全国にたくさんあるので、この映画をきっかけに、そういうものにも目を向けていただけたらと思います。

(取材・文・写真/井上健一)

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