10月3日から全国公開となる『夏の終わりのクラシック』は、夏の終わりの韓国・済州島を舞台に、かつて心に傷を負った女性ヨンヒ(キム・ジヨン)と、亡き母の遺品整理に訪れた男性ジュヌ(ペ・スビン)の出会いと交流を描いた温かなドラマだ。
監督は、かつて「冬のソナタ」(02)を大ヒットさせた韓国の名匠・ユン・ソクホ。
-とても温かく、心が穏やかになる作品でした。本作を手掛けることになった経緯を教えてください。
この作品を思いついたのは、ちょうどコロナ禍の時期だったんです。当時、世の中に癒やしが必要だと考えていたときに原作の小説を読み、ぴったりな作品だと思い、ぜひ映画化したいと。コロナ禍の時期に企画を立て、撮影が終わったのがちょうどコロナ禍の終わり頃だったので、コロナ禍という時代の雰囲気が生み出した作品とも言えます。
-コロナ禍にぴったりだと感じたのは、具体的にどんな点でしょうか。
実は当時、この原作小説のほかに『優しさの科学』(原題『The Rabbit Effect』)という本も読んだんです。どちらも、親切心や他人に関心を示すことの大切さが書かれていました。コロナ禍のようなつらい時期には、そういうことが大事になるのではないか。そう考えたことが、この作品につながっています。
-この作品の大事な要素が、オペラの「ラ・トラビアータ」をはじめ、劇中に流れる数々のクラシック音楽です。音楽は小説では表現できない映画ならではの要素ですが、音楽で意識した点を教えてください。
原作小説の大きな魅力は、小説にもかかわらず、音楽的な要素がたくさんちりばめられ、物語の中でうまく生かされている点です。例えば「ラ・トラビアータ」やバッハの「アダージョ」という曲は、ヨンヒの人生とも重なっています。そういう意味で、この作品における音楽は、単なるBGMではなく、映画に込められたメッセージに重なると考えていました。だから、音楽をつけていく作業は、とても楽しかったです。
-他人に対する思いやりや親切心をテーマにした映画ということですが、かつてユン監督が手がけた「冬のソナタ」は、日韓交流にも大きく貢献しました。単なるエンターテインメントにとどまらない映画やテレビドラマの力については、どのようにお考えでしょうか。
当時、私は一つの仕事としてテレビドラマを作ったに過ぎなかったのですが、「冬のソナタ」がもたらした結果や教訓は、それ以上の大きなものがありました。
-そうでしたか。
当時のことで強く印象に残っているのが、日本の森(喜朗)首相が、国会で語った言葉です。「これまで、政治家が日韓関係を良くしようと苦労してきたにも関わらず、『冬のソナタ』というたった一つのコンテンツが、その問題を解決し、文化交流を促進したことに、非常に驚いた」。「日韓の文化交流は、『冬のソナタ』以前と以後に分かれる」という言葉も聞いたことがあります。これからも、そういう状況が続くことを願っています。
-ユン監督の作品は前作『心に吹く風』(17)も日本を舞台にするなど、日本と縁が深いようですが、日本に対してどんな思いを持っていますか。
私が「冬のソナタ」以前に撮った「インビテーション」(99)というテレビドラマが、台湾で放送された時、現地で「これは日本の監督が作った作品なのか?」と話題になったそうなんです。それを聞いて非常に驚くと同時に、私にも日本的なところがあるのかな、と考えるようになりました。その後、「冬のソナタ」が、韓国以上に日本で大ヒットした現象を見て、台湾での話にうなずけるものがありました。その出来事をきっかけに、私も日本映画を見るなど、日本の文化に接するようになり、今では日本をとても身近に思っています。
-ユン監督が影響を受けた日本の作品やお好きな作品を教えてください。
黒澤明監督の作品にはあらゆる面で驚かされました。その一方で『かもめ食堂』(05)のような小規模の作品も、韓国にはないのでとても気に入っています。テレビドラマでは、「北の国から」(81)も大好きです。影響という点では、知らないうちにさまざまな作品から影響を受けていると思うので、名前を挙げることは難しいのですが、私の好きな傾向の作品には関心を持ち、欠かさずチェックするようにしています。
-それでは最後に、この作品の日本公開に対する思いをお聞かせください。
今回は私の好きな日本の小説を読んで感じたことを映画にしましたが、そこには音楽や映像、せりふなど、さまざまな要素が絡み合って一つの作品になっています。それが皆さんに伝わり、感動と癒やしを感じていただけたらうれしいです。そして、皆さんが少しでも周囲の方に思いやりを持って接していただけるようになることを願っています。
(取材・文/井上健一)
『夏の終わりのクラシック』10月3日(金)からシネ・リーブル池袋他全国順次公開