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東京選手権フリー演技の本田真凜

 10月10日、フィギュアスケート東京選手権。リモート会見に出席した本田真凜(19歳、JAL)は、競技後の興奮を抑えられない様子だった。


「まだドキドキしてる!」

 声は上ずり、高揚感が伝わってきた。

 フリープログラム、本田は「ラ・ラ・ランド」で挑むつもりが、間違った曲のCD(レディー・ガガの「I'll Never Love Again」)を提出していたという。今年3月、ステファン・ランビエルに振り付けしてもらった曲だが、未完成のプログラムだった。しかし、「1分経ったら失格」という切迫した状況で、更衣室からCDを持って来るのは間に合わず、腹を決めた。振り付けはアドリブ、曲の尺は足りるのか、ジャンプは何を何本入れ、スピンはどこで何を入れるか、瞬時に計算した。

 滑り切ることができたとき、本田は一つの物語を作った。
天才性が出た瞬間だ。

本田真凜、シニアデビュー後の挫折で得た「スケーターとしての厚み」

SP演技の本田真凜

「考えてスケートをするっていうことが今までなかったので」

 昨年、インタビューで本田はそう告白していた。

「良かったときも、悪かったときも、すぐに過去のことになっちゃう。ショート(SP)、フリーがあると考えたときに、切り替えという部分ではいいと思うんですけど。自分はとても感覚的な選手と言うか」

 即興で振付し、ジャンプを入れられたのは、その感性の豊かさのおかげだろう。そんな芸当ができるスケーターが、世界に何人いるのか。
彼女はきれいに音を拾い、曲に乗っていた。

 本田真凜の面目躍如(めんもくやくじょ)だった。

 しかし、彼女はセンスだけで苦境を乗り越えたのではないーー。

 本田は、2016年の世界ジュニア選手権優勝で一躍脚光を浴びた。17年にも、平昌五輪で金メダルを勝ち取ったアリーナ・ザギトワと競い、世界ジュニアで2位になった。そして2017--18シーズンに、颯爽とシニアデビューを果たした。


 だが、その後は低迷することになった。

「昔は人が何回もやってできることを、自分は結構すぐにできてしまった。でも、できるのが必ずしもいいことではなくて。すぐにできるから、例えばジャンプはコツコツ習得した選手よりも安定しないというのがありました。体の成長とともに、感覚的な部分の貯金はゼロだと思います」

 本田は本心を隠さず、そう明かしていた。

「今は普段の生活から、一つ一つの行動に対し、考えるようになりました。

おかげで、だんだんと(SP、フリーと)そろってきていて。粘り強く頑張っていきたいです」

彼女は18年から海を渡ってアメリカに拠点を移し、スケートと対峙してきた。異国での生活、言葉の壁、日本に帰国したときの調整方法に苦しみながらも、経験を積み上げていった。19ー20シーズンには、タクシーの追突事故というトラブルに遭いながらも、グランプリ(GP)シリーズを戦い抜いた。年末の全日本選手権では、フリーで最終滑走組に入り、8位と健闘している。

 本田は試練を越えてきた。


 今シーズンも、初戦になるはずだったジャパンオープンの開幕前、ジャンプの転倒で右肩を脱臼した。一度は自分で肩を入れ、翌日にも滑ったが、再び肩が外れ、ジャパンオープンは棄権せざるを得なかった。本来は11月下旬のNHK杯まで休むつもりでいたが、(近畿選手権での)妹の紗来の奮闘を目にして心を熱くし、東京選手権出場を強行した。

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 SPは右肩の痛みで、とても競技できる状況ではなかった。ループは2回転となって得点がつかず、アクセルもシングルになって0点。

演技構成点で2番目に高い27.60点を叩き出し、どうにか9位に入った。東日本選手権に通過するためだけに集中していた。

「今日(SP当日)からジャンプの練習を始めたところで。2週間、ジャンプの練習はしていませんでした。スケートをやって来て、一番不安で」

 SP後、本田は正直に言った。

「ショートはジャンプなしでは通過できないと思ったので、できるところまではやりました。でも、イメージしたとおりいかず、悔しい、悲しいより、これからの大事な試合(NHK杯や全日本選手権など)に間に合うか、不安で。途中でやめそうになった瞬間が何回かあったんですけど、『ダメ』って」

 その内面は揺れていた。

 しかし瀬戸際に追い込まれたとき、彼女は強かった。ひとつには、天性の感覚があるだろうが、それだけではない。シニアでの挫折から成熟し、正念場で力を発揮できるスケートの厚みを手にしていた。その容姿は可憐に映るが、リンクでは一人で戦い抜いてきたスケーターだけに、肝は据わっている。

「(違う曲になったフリーは)ポーズを取った時、やるしかないって」

 本田はそう振り返った。

「(肩のケガは)むしろ、(吹っ切れたという点で)良かったかもしれません。ジャンプはダブルしかやらない予定でしたが、朝の練習でトリプルも跳べていたので(入れました)。でも、スピン、ジャンプはコースもタイミングも、考える余裕はなくて。ビールマンもやらないつもりでしたし、(2回転トーループを4回と)ジャンプは跳び過ぎて」

 しかし前半、3回転トーループから4つのジャンプを鮮やかに決めるなど93.66点を叩き出し、5位に入った。総合でも、140.95点で7位。東日本選手権に勝ち進んだ。

「(次に向けては)間違った曲を出さない。それにケガを直します」

 本田は自戒と茶目っ気を混ぜて言った。一つ一つの戦いが、血肉になっているのだろう。好むと好まざるにかかわらず、彼女の滑りは劇場性を伴う。

 11月5日、山梨県の小瀬スポーツ公園アイスアリーナ。東日本選手権で、本田は新たなドラマを生む。