「ニッポンの元気印」
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2000年代の女子バレー日本代表で活躍した高橋みゆき。2度オリンピックに出場し、引退と復帰を経験したのちに、2015年に一般男性と結婚。
2012年に現役を引退し、1児の母になった高橋みゆき photo by Matsunaga Koki
――2004年のアテネ五輪後、NECレッドロケッツからの「海外派遣」という形でイタリアのセリエA(ヴィチェンツァ)でプレーしましたが、さらに成長するためにという考えからでしょうか。
「そうですね。かねてからイタリアでやりたい気持ちはあったんですが、チームのことも考えると、自分勝手に『行きます』とは言えなかった。でも、アテネ五輪で自分の弱さを痛感して決断しました。
――結果、所属チームのエースとして活躍することになります。海外リーグでプレーする際は、言葉の違いなどで苦労する選手も多くいますが、そういったことはなかったですか?
「私はとにかく楽しかったです。イタリア語は少し勉強しましたが、細かいことを伝えることはできないので、『私はこういう選手ですよ』とプレーで見せていくしかない。背は小さいけど、技術があってレシーブもできる選手ですよ、と認識してもらえるように。最初は、チームメイトも『なんだ、この小さい選手は』という感じだったのが、徐々に認めてくれて、『ここのレシーブは任せる』となっていきました。
イタリア入りしたのが夏くらいでしたけど、冬にリーグが始まる頃には打ち解けて、いろんな言葉を教えてくれるようになりました。その時のセリエAにはいろんな国のエースが来ていて、高さやパワーもすごかった。通常のリーグでの試合が代表戦のようなイメージです。でも、そのレベルの高さにワクワクした。その時期には、もっと早くイタリアでプレーする決断をすればよかったな、と少し後悔しましたね」
――日本代表でもチームを引っ張り、2度目のオリンピック出場を果たします。その北京五輪はどんな大会でしたか?
「アテネ五輪は出場するのが目標でしたが、『それじゃダメだ』とチーム全体が理解して臨んだ大会でしたね。
私個人としても、アテネでは何をしているかもわからない状態だったのが、北京五輪ではしっかり地に足をつけたプレーができたかな、と思います。4年間やってきたことが、少し報われたんじゃないかと。最終順位は2大会連続で5位。メダルを取れなかったことに悔いは残りましたが、充実感はアテネ五輪とまったく違いました」
北京五輪で、高橋(中央)は日本代表の中心選手としてチームをけん引した Photo by FIVB
――北京五輪後、高橋さんはいったん引退しましたが、どんな考えがあったんですか?
「北京五輪のあとは、もう目標がなかったんです。本当は大会が終わった時点でやめたかったんですけど、ひとまず休むという形にしました。
――2011年の11月にトヨタ車体クインシーズに入団しましたが、久しぶりの現役復帰で不安はありませんでしたか?
「復帰に向けて、自分で考えてトレーニングをすること、トレーナーさんにメニューを考えてもらうことなども楽しかったです。オリンピックを目指していた時とは違い、自分のためだけにやっていた。初めてバレーボールをした時の感覚を思い出しました。
そうして復帰した時が、キャリアの中でいちばん調子がよかったかもしれません。しっかりバレーボールに向き合えた実感もあったので、1シーズンだけで今度こそちゃんと引退しました。あと1年くらいはやれたかなと思いますけど、若手の選手たちに技術を教えることもできたので悔いはないです」
――引退後はどういった活動を?
「一度引退して復帰するまでの間は、それまで自分ができなかったことを積極的にやりました。
――お子さんは現在2歳の男の子だそうですね。自身のSNSでは、高校卒業後に入団したNECや日本代表のOGと交流する様子も投稿されていますが。
「杉山(祥子)の子供が同級生で、他の人も一緒にランチで集まった時には、出産の時の話や子育ての話をしています。子供ができるまでは夜に集まっていたけど、今はもっぱらお昼。
――自身のブログなどで、「妊活」をしていたことも明かしていますが、苦労はありましたか?
「実際に妊活をするまでは想像もつきませんでしたが、いざやってみると時間が足りないし、経済的、精神的にもすごくきつかったです。選手時代とは違う精神力がいる。そんな時に、周りに話せる人がいてよかったです」
――将来、お子さんにバレーボールをさせたいと思いますか?
「子供には何かしらスポーツをさせたいとは思っていますが、バレーボールはやらせたくないですね。私は『なんでこんなこともできないの?』って言っちゃうと思うので(笑)。私が関わってこなかったスポーツをやってもらえたら、と思っています」
――コロナ禍でご自身の活動にも影響があったんじゃないですか?
「すごくありますね。バレーボール教室をしたくても、なかなかできない状況ですし。ただ、私よりも現役の選手のほうが絶対に大変なはず。特に、オリンピックが延期された時の気持ちは想像を絶します。『ここが目標!』とやってきたところで、『1年延期です』と言われたショックは本当に大きいと思います。代表の選手だけじゃなくて、さまざまな大会が中止になった学生のみなさんも歯がゆい思いをしていたでしょう」
――東京五輪の開催はまだ不透明ですが、現役の選手たちに声をかけるとしたら?
「難しいですね......。私はそういった状況を経験したことがないですし、簡単に励ましの言葉をかけるわけにもいきません。バレーボールは団体競技ですし、なおさら厳しい環境にあると思います。だけど、そんな苦しい中でも目指すところがあるはず。やはり『頑張って』としか言えないかな、とも思います」
――今後の、高橋さん自身の目標を聞かせてください。
「それは、北京五輪のあとによく聞かれるんですが、今は『もう何も持たなくていい』と考えています。自分より子供のこと。子供がちゃんと育ってくれたらよくて、あわよくば超一流のアスリートになってくれたら嬉しいです(笑)。コロナ禍が落ち着いてきたら、バレーボール教室をやるのもいいですね。小さい子供たちに、『バレーボールはこんなに楽しいんだよ』と伝えられたらと思います」