『特集:東日本大震災から10年。アスリートたちの3.11』
第9回:羽生結弦

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2015年のファンタジー・オン・アイスで『天と地のレクイエム』を演じる羽生結弦

 2011年3月11日に発生した東日本大震災後、羽生結弦は国際大会の記者会見で、海外メディアから震災についての質問をよく受けていた。
金メダルを獲得した14年のソチ五輪の会見ではこう話した。

「僕自身から、震災や津波に関して口を開くのはすごく難しいと思っています。五輪で金メダルは取りましたが、復興の直接的な手助けになるわけではないので、『何もできないんだな』という無力感も感じています。

 震災後にスケートができなくて、本当にやめようと考えました。生活するのに精一杯でギリギリの状態でしたから。だから、確かなことは、本当に多くの方々に支えられてこの場に立てたことだと思います。


 自分が滑っていたスケートリンクに寄付をしてくれた荒川静香さん、ホームリンク復活のためにチャリティーイベントを企画してくれた髙橋大輔さん、小塚崇彦さんらのトップスケーターの方々。宮城県をはじめ、東北の被災地支援をしてくださったたくさんの方々にも、感謝の気持ちを持たなければいけません。

 表彰台に上がった時に、日本や世界の応援してくれた何千、何万という人たちの気持ちを背負ってここに立っていると思ってすごくうれしかったし、恩返しができたのではないかなとも思えました」

 金メダリストとして、震災復興のためにできることを模索していた羽生。この大会のエキシビションには、『ホワイト・レジェンド(チャイコフスキー作、『白鳥の湖』より)』を選んだ。それは、2010ー11シーズンのショートプログラム(SP)であり、震災後初めてのアイスショーで使った曲だった。羽生は演技に復興へのメッセージを込め、被災した自身が過ごした街が立ち上がる姿を想像して演じた。



「(『ホワイト・レジェンド』を)ソチでやるかどうか悩んでいたが、金メダルを獲れたのでここで演じたいと思いました。この曲で何かが変わるとは思わないけど、僕自身はこの金メダルからスタートしたいと思うので。間接的にでも被災地のことを思い出すきっかけになってくれたらいい」

 震災は衝撃的な体験だった。経験し不安にさらされたからこそ、羽生はそれを言葉で表現することはできないと考えた。ただ、五輪の金メダリストになり、一歩踏み出さそうと思えたのだろう。

羽生結弦が復興への思いを込めたプログラム。感謝と希望を胸に

演技を通して震災の思いを伝える羽生

 その羽生が再び、東日本大震災への思いを演技で表現することを考えたのは、2014ー15シーズン後だった。
松尾泰伸氏が作曲した『東日本大震災鎮魂歌「3・11」』との出会いがあったからだ。

「一度聞いただけでこの曲で滑りたいと思った」

 そして羽生はこのピアノ曲で演じるプログラムを『天と地のレクイエム』と名付けた。滑り始めると、体に何かが降りて来るような感覚になったという。

 ソチ五輪のエキシビションで『ホワイト・レジェンド』を滑った際は、感情を自分の外側に出そうと集中したという羽生。だが、『天と地のレクイエム』に関しては、外へ意識を向けることはしなかった。震災で感じた思いは、自分自身のものであったからだ。



 このプログラムを製作中だった15年6月に、羽生はこう話していた。

「僕の経験やその時の感情をそのまま込める演技にしようと思っています。完全に自分の中に入り込んで、その世界に自分の体や気持ちなどを、すべて溶け込ませるまで滑り込みたい。

 振り付けの宮本賢二先生とは『こういうイメージでやろう』というのは固まっています。でも、『こう受け取ってほしい』ということは考えないようにしています。アイスショーは"ナマモノ"ですし、作り上げるイメージはその時限りのものでしかない。
だから、観ている皆さんには、その時感じたことや思い浮かんだ風景とか、心の中に浮かんできた思い出を大切にしていただいて、それぞれの記憶に少しでも残してもらえればと思っています」

 被災を経験した感情は、他人に押し付けられるものではない。それをただ提示するだけだ、との思い。アイスショー「ファンタジー・オン・アイス」の会場で演じられた『天と地のレクイエム』は、震災の驚きと天への怒り、そして襲い掛かってくる絶望感、無力感、心の中で暴れ回る狂おしい気持ちが、体の隅々から染み出してくるようだった。

 そして、最後は氷上に映し出された2列の花を象った照明の中で、燃え盛っていた気持ちを心の中で静かに鎮めて演技を終えた。拍手、歓声、感嘆のため息でさえもためらわれるような、濃密な3分27秒だった。

 この前シーズンの羽生は、SPで『バラード第1番』を演じ、そのピアノ曲の繊細な音をスケートでどう表現すればいいかと深く考えていた。

『天と地のレクイエム』はその経験があったから完成させることができた、新たな挑戦のエキシビションプログラムだった。

 それから約半年後の16年1月に、羽生は岩手県盛岡市で行なわれたNHK杯スペシャルエキシビションに出演。本番2日前には津波の被害を受けた同県大槌町を訪れ、旧役場跡を視察した。さらに小学校4校と中学校1校の生徒たちが合同で学ぶ大槌学園などを訪問して子どもたちとも交流している。すべてが順調に復興しているとは言えない状況を目の当たりにし、ショー前日にはこう語った。

「僕自身、震災があった11年のシーズンから世界の舞台に立たせていただきましたが、実際、こうやって地震や津波の被害があった地域でエキシビションを滑ることができるのは、非常に光栄なことだと思います。現在、フィギュアスケーターの羽生結弦として支援できる精一杯がこのようなことだと思うので、観客の皆さんに観てもらい、自分の思いを無理やり押し付けるのではなく、何かを感じ取っていただき、少しでも大切に思っていただければと考えています」

 そのショーでは第1部の最後に、同じ仙台で育った先輩スケーターの荒川静香や本田武史、鈴木明子、フィギュアスケートに取り組む地元の子ども2人を加えて、特別企画『花は咲く』を演じた。第2部では「気持ちを込めて滑りたい」と話していた『天と地のレクイエム』を熱演。

 それは、東日本大震災に対する自身の気持ちと向き合い、整理していく。そんな羽生の思いを感じさせる演技だった。