山本美憂インタビュー 前編
2004年12月31日、5万3000人の観衆を集めた「K-1 PREMIUM 2004 Dynamite!!」で、今も語り継がれる一戦、山本"KID"徳郁vs魔裟斗が行なわれた。立ち技のみの「K-1ルール」だったため、総合格闘技が主戦場だったKIDは分が悪いとも思われていたが、「KIDなら何かを起こすんじゃないか」と、日本中に熱狂の渦を巻き起こした。
KIDは2018年9月に41歳の若さでこの世を去ったが、この試合の輝きが色あせることはない。現在、武尊vs那須川天心の対決実現が大きな話題になる中、この試合を思い出す格闘技ファンも多いだろう。
試合を近くで見ていた人物のひとりが、KIDの姉・山本美憂。家族だからこそ知る真の"神の子"の姿とは。
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2004年12月、日本中を熱狂させた魔裟斗(左)とKID(右)の一戦 photo by SankeiVisual
――KIDさんと魔裟斗さんの一戦は、格闘技の枠を超えて多くの人々の関心を呼びました。美憂さんはあの試合をどのように捉えていましたか?
山本美憂(以下:山本)当時の魔裟斗くんはK-1の大スターでした。
――どのようなところに怖さを感じていましたか?
山本 魔裟斗くんが試合前に、「俺に触れることもできないだろう」と言っていたんです。今なら、試合前のパフォーマンスだったと理解できるのですが、当時はその発言を真に受けてしまって、「そこまで差があるのか」と不安に感じていました。でも、本人にそのことを言うと「俺のこと信じられないのか?」と怒られてしまうので、伝えなかったですけど。
――KIDさんが、同年10月の試合でモンゴルの猛者・ジャダンバ・ナラントンガラグを KOで下したあと、リング上から解説席に向かって「魔裟斗くん、2人でちょっと試合でもして、日本を盛り上げましょう」と対戦要求を突きつけた時はどう思いましたか?
山本「えっ、嘘でしょ⁉」って。
弟・KIDについて話す山本美憂 photo by Tanaka Wataru
――階級差をものともせず、自分よりも大きな相手をバタバタと倒していったKIDさんに、ファンは酔いしれていました。でも、美憂さんは、心配で仕方なかったんですね。
山本 少しでも心配すると、先ほども言ったように「俺を疑ってるの?」と言われてしまうのがわかっていましたから、一度も心配を口にしたことはなかったですね。試合のことには触れさせないオーラがありました。
――あの試合は、異常なほどに熱を帯びていました。美憂さんから見て、KIDさんには普段とは違うプレッシャーがかかっていたと感じましたか?
山本 すべてが相手の土俵だったので、「思い切りいくしかない」という覚悟を感じました。階級の違いもありますし、慣れないK-1ルールだったので、失うものはない立場でしたよね。 "しょっぱい試合"になるならやる意味がないし、相手にも失礼になると考えていたんじゃないかと思います。
――そんなKIDさんの左が、1ラウンドに魔裟斗さんを捉えました。
山本 あの時は、「よくやった、もう充分だよ」と思いました。
――しかし、ダウンを取った直後に金的を受けてしまいました。
山本 確かに、あれで流れが変わってしまいましたよね。
――魔裟斗さんとの試合中の映像には、美憂さんと妹の聖子さんが立ち上がって叫んでいる姿が映し出されていました。
山本 あの時は、隣にいた聖子が、立ち上がって(金的攻撃について)大声で抗議していたんです。でも、なぜか周りの人は、私のことを見てくる。「私じゃないです!」って言いたいぐらいでした(笑)。
――山本ファミリーの絆が垣間見えるシーンだったと記憶しています。結果は魔裟斗さんの判定勝ち。試合後、KIDさんに何か声をかけましたか?
山本「お疲れ」って感じで声をかけただけだったと思います。試合後の控室で、ノリはしばらくタオルを被ったままうつむいていました。
――後日などに、試合の内容について話をしましたか?
山本 何も話してないです。本人も話したくなかったと思うので。試合後も、本人が話しかけてくるまで待つようにしていました。幼い頃から、家族とたくさん話すという感じでもなかったですしね。
――信頼関係があるからこそ、言葉も少なかったのかもしれませんね。その後、美憂さんも総合格闘技の世界に入り、KIDさんから指導を受けました。弟から指導を受けることで、気を遣うことはなかったですか?
山本 気を遣うというより、怖かったです。弟という感覚はなく、鬼コーチみたいな感じでした。常に泣かされていましたし(笑)。
――家族だから、あえて厳しくしていたのでしょうか?
山本 そうだと思います。姉である私ができないことが、悔しくて歯がゆくて、余計にキツくなっていたんだと思います。わたしは総合格闘技デビューが41歳と遅かったんですが、初戦から大きな舞台で試合させてもらうことが決まっていたので、「ちゃんと試合をさせないといけない」という責任感が強かったのだと思います。
プロ意識というか、「どうしようもないヤツをリングにあげるわけにはいかない」という心意気でしょうね。それでも、私の持っている力を信じてくれていたので、そこをどうにか活かそうと一生懸命に指導してくれていました。
――美憂さんがKIDさんを参考にしたり、マネしている部分はありますか?
山本 特にプロ意識の高さは見習うべきところがあり、ノリはオファーがきたらどんな相手だろうと受けていました。だからわたしも、試合のオファーが来たら相手を選ぶことなく、全部受けると決めています。
――強い相手を求めるのは山本ファミリーのDNAなんですね。KIDさんが今も美憂さんの心の中で生き続けていることを感じます。
山本 自分より上の階級の人と戦うことで、お客さんを魅了できるということをノリはわかっていたんでしょう。いまもノリは私の憧れです。
(後編:KIDが亡くなった日も練習>>)
◆山本美憂(やまもと・みゆう)
1974年8月4日生まれ、神奈川県出身。弟の徳郁、妹の聖子とともに、ミュンヘン五輪レスリング日本代表だった父・郁榮に英才教育を受ける。13歳の時に第1回全日本女子選手権で優勝したのを皮切りに、全日本を4連覇。1991年に初出場した世界選手権を史上最年少の17歳で優勝するなど、女子レスリングのパイオニア的存在に。引退後、数年の時を経て2016年9月にMMAデビューし、2020年12月にはRIZINで王座決定戦に挑戦するなど進化を続けている。今年3月には、KIDの誕生日に合わせて、息子の山本アーセンとアパレルの新ブランド「GK's」を立ち上げた。