ロコ・ソラーレ連続インタビュー
第1回:吉田夕梨花

第39回 全農 日本カーリング選手権(アドヴィックス常呂カーリングホール)が5月22日から始まる。その注目の大会を前にして、北京五輪で銀メダルを獲得したロコ・ソラーレの面々に話を聞いた――。

ロコ・ソラーレ吉田夕梨花が振り返る北京五輪決勝戦。「イギリス...の画像はこちら >>

北京五輪では圧巻のプレーを披露したリードの吉田夕梨花

――改めまして、北京五輪での銀メダル獲得、おめでとうございます。

「ありがとうございます」

――北京の滞在中はいかがお過ごしでしたか。

「めっちゃ楽しかったです。日本のチーム、選手が出場する競技はほぼテレビで観戦していました。序盤は高梨沙羅選手が出ていたスキージャンプをみんなで応援しましたし、中盤はスピードスケートの会場にも行って生観戦することができました。試合の合間には、ビンドゥンドゥン(大会公式マスコット)グッズを探しにショップに行ったりして」

――お目当てのグッズは購入できましたか。

「最終的には買えたんですけど、カーリング絡みのビンドゥンドゥンは人気らしく、いつも品薄で、こまめにショップに通ってチェックしていました(笑)」

――チームとしても2度目の五輪ということで、リラックスして大会に臨めたのでしょうか。

「そうかもしれません。そのまんまなんですけど、『2回目の五輪って、こんな感じなんだな』『2回(五輪に)出ている選手って、こんな気持ちなのか』と実感できたというか、気持ち的には余裕を持てていた気がします」

――見ている側としては、一度目の2018年平昌五輪でも大会を楽しんでいるように見えました。余裕がないようには見えませんでしたが。

「平昌五輪では試合をすることでいっぱいいっぱいで、本当に無我夢中でした。記憶としては、途中で(鈴木)夕湖さんと選手村の近所のカフェで抹茶ラテを飲んだことや、チームで焼肉を食べに行ったくらいが残っているだけで、選手村でどう過ごしていたかとか、あまり細かくは覚えてないんですよね。

 北京五輪でも試合は同じように夢中でやっていたのですが、それ以外ではリラックスの仕方であったり、頑張らない方法であったり、そういったことがうまくできて、オリンピックの楽しみ方がやっとわかった感じがします」

――日本のテレビ中継でも、オリンピックを楽しんでいるチームの姿が紹介されていました。特に吉田夕選手と鈴木選手は、日本の人気ボーイズグループ『JO1』の、「Go to the TOP」ポーズを決めたことが話題になっていました。

「単純にJO1の『世界の頂点を目指す』という言葉に共感しましたし、何よりJO1とJAM(JO1のファン)のみなさんが応援してくれたのがうれしかった。本当に力をいただきました」

――そもそもJO1のファンになったきっかけを教えてください。吉田家では長女の菜津季さんも大ファンだとうかがっています。

「(JO1のことを)最初に知ったのはなっちゃん(菜津季さん)で、今もいろいろな情報を教えてくれます。

私は、そのちょっとあとですね。コロナ禍でおうち時間が増えて、インターネット動画のいろいろなコンテンツを見ていた時に、『PRODUCE 101 JAPAN』というオーディション番組を見て好きになりました。夕湖さんもちょうど同じ時期だと思います。ふたりで(JO1の話題で)ずっと盛り上がってましたから」

――特に応援している、いわゆる"推しメン"がいたら教えてください。

「豆ちゃん(豆原一成)とヨナさん(與那城奨)です。最年少と最年長のメンバーなんですけれど、ふたりに限らず、グループはみんな個性を持ちながら、お互い全肯定なところ、成長しようとしている姿は本当にすばらしいと思っています」

――その與那城奨さんが、スポーツ紙を通して「優勝までGo to the TOP!! です!!」とエールを送ってくれたのは、イギリス代表との決勝戦の前。

惜しくも敗れたその試合について、少し振り返っていただけますか。

「単純にイギリス代表の選手がうまかった。本当にすばらしいショットを決めていました。そのうえで感じたのは、イギリス代表のほうが勝つ準備ができていたのかな、と」

――そう思った理由は、具体的に何かあるのですか。

「オリンピックの会場って、いつも荷物を入れるための大きな箱をチームごとに用意してくれるんですよ。その箱に荷物を入れるタイミングが(イギリス代表の)サードのヴィッキー(・ビクトリア・ライト)と一緒になったんですね。

 その時には、『Good game』と笑顔で言い合ったんですけど、そのあとに彼女はすごく楽しそうに鼻歌を歌っていて。その姿を見て、『ああ、もう戦う準備は済んでいて、ここにいるんだな。あとはオリンピックのファイナルを楽しむだけなんだな』と感じました」

――大会を通して、ご自身のパフォーマンスは4年前と比べていかがでしたか。

「平昌五輪の時はいい記憶はなかったし、満足していたわけではないと思うんですよ。でもやっぱり、覚えていないんですよね。ちょっと比較は難しいかもしれません」

――北京五輪シーズンを迎えて、チームで平昌五輪の映像を見返して「(当時は)下手だね」と確認したこともあったと聞きました。

「下手でしたね」

――それが4年の時を経て、北京五輪では吉田夕選手はショット率ナンバー1のリードになりました。

「ショット率は数字でしかないので、そこまでは気にしていません。でも、4年前に比べたら、(自分も)だいぶ使い物になったと信じてはいます」

――ご自身にとって、渾身のベストショットみたいなものはありましたか。

「あったかな......。どうなんでしょう。う~ん、ちょっとわからないです」

――日本のファンからは、準決勝のスイス代表との第10エンドで見せたウィック2本という声が挙がっています。

「それはよく言ってもらえます。でも、そうしたらその前の第8エンドで決めた2本のほうが(自分としては)大きかったですね。第10エンドのウィックは2本ともそれとほぼ同じなので。

 そのゲームで初めて投げるウィックって、わからないことのほうが多いですから、やっぱり難しいんですよ。第8エンドで決められたから、第10エンドでは(ウィックが)決まるイメージを持って投げられました」

――吉田夕選手は「リードというポジションを、子どもたちが憧れるようなポジションにしたい」という願いを抱いてこの4年間、駆け抜けてきました。その手応えは得られましたか。

「リードというポジションに対する認知度は上がったかもしれないですけれど、試合を見ている方が全員、リードの投球を注目しているかと言えば、まだまだかな、と。ただその一方で、スイープもリードの仕事だということを知られた実感があって、それは素直にうれしいです」

――銀メダルという結果については、どう捉えていますか。

「悔しさも正直あるんですけど、順位には納得しています。ただ、銀メダルだったからこそ、やっぱり『世界一になってみたい』という気持ちは強くなっている気がします」

――新たな日本代表を決める日本選手権がいよいよ開幕します。大会に向けての抱負を聞かせてください。

「(大会でのプレーを通して)多くの人に感謝の気持ちを伝えながら、楽しんで自分たちのプレーができるようにがんばります」

吉田夕梨花(よしだ・ゆりか)
1993年7月7日生まれ。北海道北見市常呂町出身。身長152cm。2010年のチーム結成からのメンバー。ショット成功率や安定感のあるプレー、正確なジャッジなどで世界トップクラスのリードに成長した。このオフに行きたいところは「温泉」。