松永浩美が明かすイチロー秘話 後編
(前編:オリックス1年目、伊良部秀輝のストレートに「速さを感じない」>>)
長らく阪急ブレーブス(現オリックス・バファローズ)の主力として活躍した松永浩美氏は、オリックス時代に一軍デビューしたばかりのイチロー氏とともにプレーした。その後、松永氏はダイエー在籍時に敵チームとしてイチロー氏と対戦したが、その間の成長、メジャー挑戦の際に思ったことなどを聞いた。
2004年、ジョージ・シスラーの年間最多安打記録に並んだマリナーズのイチロー
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――松永さんがダイエーに移籍後、イチローさんと話す機会はありましたか?
松永浩美(以下:松永) 福岡ドーム(現PayPayドーム)でオリックスと試合がある時には、「こんちはー!」と真っ先に挨拶に来ていましたよ。おそらくイチローは、同僚だった時から私のことをめちゃくちゃ怖がっていたんでしょう(笑)
――敵として対峙したイチローさんの印象はどうでしたか?
松永 イチローがバッターボックスに立つと、内野陣がちょっと緊張していました。足があるので、少しでもファンブルしたらセーフなってしまう"怖さ"がありましたから。イチローはそういうイメージを各チームに植えつけていた。だから、内野手の動きは硬くなっていましたよ。
ピッチャーの場合も、真っ直ぐが速い、いいフォークやスライダーを投げるといった武器があっても、怖さがなければ何にもならない。
たとえば野茂英雄にはフォークがありましたが、あのフォークはちょっと左に曲がったり、右に曲がったりと、曲がり具合は本人もわからなかった。キャッチャーが捕れないボールはなかなか打てませんよね。それが野茂の"怖さ"でした。
――相手に意識させることが重要?
松永 野球は、ほぼ心理戦なので。だから、相手に対して自分が上にいるのか、同じなのか、下なのかという意識の持ちようで結果は大きく変わります。
イチローの場合は足があるので内野安打にできたり、バットコントロールがよくてヒットゾーンが広く、外野と内野の間に落ちるポテンヒットなどもありました。「詰まった当たりでもヒットにできる」という意識があるんだから、その時点で心理的にラクでしょうし、有利ですよね。
――イチローさんは1994年の史上初となる200安打を達成したのを皮切りに、年々すごみが増していきました。
松永 私がオリックスにいる時はイチローの背中を見て、「まだ、細いなぁ」という感じでした。私がダイエー移籍1年目(1994年)に見た時もそんなに大きく見えなかったんですが......その2年後ぐらいから、背中が「だんだん大きくなってきたな」と思うようになりました。やはり、いい選手は背中が大きく見えるもの。筋肉がどうこうとかではなく、自信があったり、オーラが出てくるとすごく大きく見えるんです。
――イチローさんがステップアップしていく様子は、予想以上でしたか?
松永 予想以上でした。「イチローは内野安打が多い」と言われていましたけど、彼は内野安打をわざと打っていた。
そういったように、自分の特長を活かして進化していったことが大きかったと思います。新聞などには4打数3安打と書かれますが、「そのうちの3本が内野安打」とは書かれません。ヒットはヒットです。
――メジャーに挑戦するイチローさんのことはどう見ていましたか?
松永 私が阪急で2軍にいた頃、毎年1カ月半ぐらいフロリダに行く機会があって、外国人のピッチャーと練習試合で対戦していたんです。
私はそういった傾向を知らなかったので、イチローみたいに足を上げて打っていると、メジャーのピッチャーはどんどんインコースに投げてくるんじゃないかと思っていたんです。そうなると、さすがのイチローも苦戦するんじゃないかと思っていましたが......インコースが少なかったのは幸いだったでしょうし、メジャー挑戦当初から活躍できた要因のひとつだと思いますよ。
――イチローさんがメジャーで活躍できた他の要因はいろいろあると思いますが、主だった要因として挙げられることは?
松永 日本のピッチャーはコントロールや配球をよく考えます。
あと、イチローは日本にいる時からフォアボールが少なかったですが、早いカウントで打つバッターなんですよ。だから、早いカウントに真っ直ぐがきたら、それを狙えばいい。イチローの技術をもってすればヒットの確率は上がります。そういう観点から見ても、メジャーの土壌が合っていたんだと思います。