中村憲剛×佐藤寿人
第15回「日本サッカー向上委員会」中編

◆第15回・前編>>「なぜクラブの哲学が大事なのか」「お金のあるチームが勝つわけではない」

 1980年生まれの中村憲剛と、1982年生まれの佐藤寿人。2020年シーズンかぎりでユニフォームを脱いだふたりのレジェンドは、現役時代から仲がいい。

気の置けない関係だから、彼らが交わすトークは本音ばかりだ。

 ならば、ふたりに日本サッカーについて語り合ってもらえれば、もっといい未来が見えてくるのではないか。飾らない言葉が飛び交う「日本サッカー向上委員会」──第15回のテーマは、プロサッカー選手を続けるうえで避けることのできない「世代交代」について。激しい競争世界を生き抜いてきたふたりは、チームの"新陳代謝"に対してどう向き合ってきたのか。

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中村憲剛と佐藤寿人が痛感する、スタイル継承の難しさ「オシムさ...の画像はこちら >>

佐藤寿人氏が広島時代に感じた世代交代の波とは?

── インタビュー前編に引き続き、クラブの哲学についてうかがいます。サンフレッチェ広島がJ2に降格した時、フロントはミハイロ・ペトロヴィッチ監督を留任させる決断を下しました。

寿人 広島は当時の強化部長が織田(秀和)さんで、その後に(広島の)社長になりました。今はロアッソ熊本でGMをやっていますけど、熊本でも攻撃的なサッカーをしたいということで、大木(武)さんを監督にしたんです。

 大木さんのサッカーも特殊ですけど、しっかりとしたスタイルを築きながら、去年J3からJ2に上がって、いきなり昇格争いに絡みました。やっぱり確かなビジョンと信念を持って、続けていくことが大事なんだなと感じますね。

憲剛 そう、だからこそ、クラブフロントが大事になるなと。それと、サポーターの支えも大事ですよね。

目先の結果を取るか、先を見据えて見守れるか。

 新たなチャレンジというのは、すぐに結果が出るとは限りませんから。普段からクラブを支えてくれているサポーターのチャレンジに対する姿勢と、クラブとの関係性がとても大事だと思います。

── イビチャ・オシム監督の下で確かなスタイルを築いていたジェフユナイテッド千葉は、そのスタイルを継続できず、今もJ2で苦しんでいますね。

寿人 継承しようとしましたけど、オシムさんのサッカーはオシムさんじゃないとできなかったんでしょうね。

憲剛 オシムさんと同じことは誰もできないと思います。

風間(八宏)さんも同様です。バルサの4-3-3を多くのチームがトライしたけどなかなか同じようにならないのと同じで、だからこそ監督にはオリジナリティが求められます。

 ほかの人ができないスタイルを築いたからこそ、評価され、価値が出ます。エッセンスは継承したとしても、マネをしてはいけないし、そもそもできないと思います。

── 継続的に結果を出すためには、やはり「どういうスタイルを目指すのか」というクラブとしての確たる哲学と、それを実現し得る監督の存在が重要だということですね。

寿人 そうですね。

現場とフロントのリレーションがうまく取れていないとダメだと思います。その両輪がうまく回らないと、方向性が定まらないですし、スタイルに合った選手を取ることもできませんから。

憲剛 プラス、我慢だね。

寿人 結果が出ていないチームって、やっぱりフロントと現場のズレがあるんですよ。鹿島とかマリノスとか、フロンターレもそうだと思いますけど、そのズレが小さいから、時代を作ってこられたのかなと感じますね。

── ここまでの話の流れを踏まえ、確かなスタイルを持つフロンターレが、今季はなぜ苦しんでいるのでしょうか。

憲剛 なんともコメントしづらい質問してきますね......ここは寿人、任せた。

寿人 厳しいパスですね(笑)。でもフロンターレは結局、去年まではジェジエウと谷口(彰悟)のCBである程度守れるから、かなりアンバランスなポジションに人が出入りして、リスクをかけることができていたんだと思います。

 それが今年、谷口が(アル・ラーヤンに)移籍して、ケガ人もたくさんいる状況になって、跳ね返せなくなってしまった。今まで攻撃に強みをもたらせていたところが、逆にウイークになってしまった気がしますね。

 だったら、それ以上に点を取ればいいわけですけど、攻撃陣にもケガ人が多いので、なかなか川崎らしさを発揮できていない。

チャンスは作れているけど、やっぱり最後のところは個の力になるので、勝利に直結する、結果に直結するところでは、なかなかプラスに持っていける材料が現状は少ないのかなと感じます。

 もちろん、全員がいい状態であれば、また結果は変わってくるとは思いますが......。

憲剛 なるほど。

寿人 あとは補強の部分ですね。そこがちょっとうまくいかなかったのかなと。スペシャルな選手が抜けたのなら、スペシャルな選手を取らないといけなかったのかなと。

憲剛 (谷口)彰悟の移籍はいろいろな意味でかなり大きい印象ですね。

寿人 世代交代で出られなくなって移籍したわけじゃなくて、結果を出してきたキャプテンが移籍してしまったわけで。

憲剛 でも、その結果として高井(幸大/18歳)が出てきたからね。

── チームとしての過渡期でもあるんでしょうね。

憲剛 難しいんですよね。彰悟がいたら高井にここまでの出場機会は生まれなかったし、チーム内で立ち位置を築けなかったかもしれないし、U-20代表にも選ばれなかったかもしれない。

── 世代交代も、結果を出し続けるためには重要なテーマですよね。

憲剛 世代交代の時期は、どのクラブにも来ると思います。経験のある選手が集まった強いチームは、次世代への継承をうまくやらないと強さを保つことはできなくなる。

 僕が学生の時に見ていたジェビロ磐田は、とても強烈なチームでした。攻撃を司る名波(浩)さんや(藤田)俊哉さん、奥大介さん、それを支える福西(崇史)さんや服部(年宏)さん、田中誠さんや鈴木秀人さんがいたから、うしろも盤石で。そして前線にはゴンさん(中山雅史)とタカさん(高原直泰)がいたから、どこからでも得点が取れた。

 本当に強かったですよね。そんな強かったジェビロでも、あの時代は長く続きませんでした。結果論になってしまうのですが。チームのスタイルというよりも属人的なものだったと振り返られてしまう。

寿人 そうですね。その後に歩んだ道を考えると、アントラーズとは対照的ですよね。当時は2強時代でしたから。それが今、ジュビロはJ2にいるわけで。

憲剛 今回のテーマで言うと、この話は出ざるを得なかったので、ファン・サポーターの方たちには大変申し訳ないのですが。

寿人 いや、それは指摘してほしいところでしょう。なぜこうなったのか、という。

憲剛 そう考えると、やっぱり鹿島におけるジーコの力は偉大だなと。苦しい時に立ち返られる拠り所があるかどうか。

寿人 以前、勝者のメンタリティの話をした時も、立ち返る場所ということを言ったと思うんですけど、それはチーム作りでも同じ。それが哲学になるのかなと。

憲剛 勝ち続けないと、いろんなものが保てなくなってしまうからね。

── 先ほど、世代交代の話が出ましたけど、おふたりは現役時代にその波を感じることはありましたか?

寿人 自然なことだと思いますよ。(浅野)拓磨(現ボーフム)が台頭してきた時は、拓磨が途中から出てきて結果を出していたので、自分がスタメンからベンチになる可能性は十分あると思っていました。その前の年に皆川(佑介/現レノファ山口)が出てきて活躍した時も、それは感じていたこと。

 ただ自分もJ1で優勝して、得点王になって、MVPを獲った時から、世代交代については森保(一)さんとも話をしていましたね。

── 覚悟があったと?

寿人 自分たちもそうやって試合に出てきたわけですから、普通のことだなと思っていました。主役をずっと務められるわけではないので。

 それでも、僕の場合は比較的長く試合に出られていましたけど、いずれそういう日が来るんだろうなと。本当はもっと早い段階で若手が出てきて、自分が取って代わられるというのがクラブとしては一番いいサイクルなんだな、とは思っていましたね。

憲剛 個人的には、世代交代は待つものではなく、掴み取るものだと思ってました。それは自分が若い時からです。「若いから使う」という監督もいるけど、僕の場合は「年齢は関係ない」と思って、ずっとサッカーをやってきました。

 大事なのは、ピッチでチームを勝たせられる選手であるかどうか。もちろん、同じくらいの力なら若い選手にチャンスが与えられる世界なので、そういう若手が出てきたら、自分をさらに成長させることを考えていましたね。

 年長者として後輩たちにアドバイスをしつつも、自分自身も成長していく。それが刺激になったし、そのうえで自分が勝って、ピッチに出てチームを勝たせるんだという気持ちで40歳までやっていました。

◆第15回・後編>>ザッケローニ時代「このままフェードアウトさせるつもりなのかと」


【profile】
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都小平市出身。久留米高校から中央大学に進学し、2003年にテスト生として参加していた川崎フロンターレに加入。2020年に現役を引退するまで移籍することなく18年間チームひと筋でプレーし、川崎に3度のJ1優勝(2017年、2018年、2020年)をもたらすなど黄金時代を築く。2016年にはJリーグMVPを受賞。日本代表・通算68試合6得点。ポジション=MF。身長175cm、体重65kg。

佐藤寿人(さとう・ひさと)
1982年3月12日生まれ、埼玉県春日部市出身。兄・勇人とそろってジェフユナイテッド市原(現・千葉)ジュニアユースに入団し、ユースを経て2000年にトップ昇格。その後、セレッソ大阪ベガルタ仙台でプレーし、2005年から12年間サンフレッチェ広島に在籍。2012年にはJリーグMVPに輝く。2017年に名古屋グランパス、2019年に古巣のジェフ千葉に移籍し、2020年に現役を引退。Jリーグ通算220得点は歴代1位。日本代表・通算31試合4得点。ポジション=FW。身長170cm、体重71kg。