清水エスパルス
秋葉忠宏監督インタビュー中編
前編を読む>>「自分はクズだとわかっていますから、みんなの力が必要だと」理想の監督像などを語った

秋葉忠宏が低迷する清水エスパルスの監督を受けた理由「普通だっ...の画像はこちら >>

2016年のリオ五輪にはコーチとして日本代表に帯同した秋葉忠弘(左)。写真右は手倉森誠監督

 清水エスパルスが成績不振のゼ・リカルドを解任し、秋葉忠宏監督の就任を発表したのは、4月3日だった。
それまで5分け2敗と白星に見放され、チームは重苦しい雰囲気に包まれていたなかでの就任だった。「普通だったら(監督就任を)受けなかった」と秋葉は語るが、その任を引き受けたのは、「経験」があったからだという。

――監督を引き受ける際のベースになった「経験」とはどういうものですか。

「年齢別の代表はA代表もそうですが、パっと集合してチームをまとめて試合をしないといけない。リオ五輪の時もそうでしたし、新潟での国際ユースサッカー(2018年)では、監督としてU-17の選手を集めてサッとチームを作り、優勝しました。そういう経験、成功体験があったのが大きいですね。

そういうのがなかったらちょっと怖くて引き受けられなかったと思います」

 秋葉が初めて年齢別の代表にコーチとして携わったのは、2014年12月だ。リオ五輪出場を目指す手倉森誠監督がチームを編成し、その後、3位以内に入れば本大会出場の権利が得られるAFC U-23選手権2016に出場。秋葉は手倉森監督とともに戦った。

――あの大会では、優勝してリオ五輪の出場権を掴みました。決勝まで6戦全勝というすばらしい内容でしたが、最初から完成度が高かったのですか。

「いや、最初にチームを編成してパっと見に行った時に選手のレベルの低さに愕然として、『誠さん、このチーム大丈夫ですか』って聞きました(苦笑)。

リオ五輪の最終予選前も全然勝てなくて、過去の代表と比較しても層が薄い。でも、誠さんは『これまで勝てず、悔しさを味わわされてきたのは、この最終予選で爆発するためだ』って言うんです。選手には『おまえらが将来のA代表なんだ。今後の日本の未来なんだ』と常に未来をイメージさせる言葉を語って、その気にさせる。そうしたら最終予選で本当に爆発して、驚きました(笑)」

――大会では無傷で勝ち上がり、優勝してリオ五輪の切符を掴みました。

「誠さんは23名のメンバーを選んだ時点で、いろんなことをイメージしていました。

勝ち上がっていくとイラク、韓国と当たるなとか。この選手が活躍するなとか。実際、こういう意図で選んだという選手が試合で活躍するんです。僕は、そこまでイメージできなかったので、誠さんの先を読む力はすごいなと。それはすごく勉強になりました」

 秋葉は、その時、20年前の自分たちの戦いを思い浮かべた。選手を叱咤激励するコーチは、かつてアトランタ五輪で28年ぶりに五輪出場を果たし、歴史の扉を押し開いた選手のひとりだったのだ。

アトランタ世代からは城彰二、中田英寿川口能活らがフランスW杯に出場したが、秋葉はA代表には至らなかった。

――なぜ、A代表に届かなかったのでしょうか。

「僕はアトランタ五輪でオウンゴールをしたあと、心が壊れたんです。それがA代表にいけなかった理由のひとつであると思っています。あの大会までは海外の代表と戦って、基本的に技術やインテリジェンス、戦術とかで負ける気がしなかった。でも、アトランタの時のブラジルとナイジェリアは、努力しても埋まらない圧倒的な違いを感じました。

身体能力を含め、この差は無理だって思ってしまった。でも、ゾノ(前園真聖)や城とかは、『世界との差はあとちょっとだな。もう少し時間があれば俺たちのほうが強い』と言うんです。この差ですよね」

――その意識の違いがA代表にいける選手の差であると。

「そう感じました。みんな、『世界が近い』というなかで、僕も『うんうん』とうなずいているんですけど、本当の気持ちは絶望感しかなかった。

自分に矢印を向けることができず、世界のすごさから逃げた。自分から諦めてしまったんです。だから、指導者になったら絶対に逃げないと誓いました」

――オウンゴールのトラウマが、コーチをしている時、フラッシュバックしてしまうことはありましたか。

「フラッシュバックはないんですけど、リオ五輪のコロンビア戦で藤春(廣輝)がオウンゴールをしたんですよ。憔悴していた藤春に『おまえのせいじゃない。コーチがオウンゴールしたことがあるからこうなってしまったんだ』と声をかけたんです。五輪で選手としてもコーチとしてもそういう経験をしたのは自分しかいないんで、藤春には『これもいい経験だぞ』と肩を叩きました」

 リオ五輪の本大会では、試合中、手倉森監督から相談を受け、勝敗に影響を与えるようなやりとりをこなした。それもまた秋葉にとって貴重な経験になっている。

――リオ五輪では、大事な初戦のナイジェリア戦を4-5で失いました。

「初戦は難しかったですね。相手に4点とられた時、誠さんには、『このゲームを捨てるとは言わないですが、中2日で試合がくるので、選手を入れ替えて次に備え、日本の選手にこのピッチや雰囲気を慣れさせたらいいんじゃないですか』と伝えました。誠さんは、『そうだな。じゃカードをきっていくか』と僕の考えを支持してくれた。コロンビア戦も2-2になった時、『(勝ちを)とりにいくか』と誠さんに聞かれたのですが、『ドローなら3戦目勝てば可能性があります。でも、無理に点をとりに行って2敗したら終わりです。そのリスクをどうしますか』と伝えました。最終判断を下すのは誠さんですが、考え得る可能性や提言を冷静に言えたので自分の役割を果たせたかなと思います」

――手倉森監督の反応はどうだったのですか。

「ナイジェリア戦のあとは、『勝ちにいって、あのメンバーを引っ張って、中2日で試合したらもっと悲惨なことになっていた。お前みたいな経験がある奴が言ってくれて助かった』と言ってくれました。コロンビア戦の時は『お前が自信をもって言ってくれたんで、俺はドローで最後の望みをかけて戦うほうを選んだ』と言葉をかけてもらい、本当にうれしかったですね」

 コロンビア戦は、秋葉の提言を活かしてドローでいいという采配に切り替えた。3試合目にすべてをかけることを明確にし、選手も監督の考えを理解し、2-2のままで終えた。

――そういう提言はどこから出てくるのですか。

「アトランタ五輪を経験したのが大きいですね。あの時、ブラジルとハンガリーに勝って2勝1敗になった。でも、ナイジェリアに2-0で負け、得失点差で決勝トーナメントに進出できなかった。あの時、ああしておけばというのが選手ながら考えたことがあったし、それが経験として残ったので、誠さんにしっかり言えたのかなと思います」

――リオでは、指導者としてのキャリアがひとつ上がった感があった。

「監督になると決断しなきゃいけないので、そこは難しいですが、コーチとしていろいろ言えたことはよかった。指導者も経験が必要ですし、その経験を活かす場が必要です。だから、僕はW杯も2大会連続で監督をやったほうがいいと思っています。西野(朗・元代表監督)さんがロシアW杯の時、『初戦じゃなく決勝までの7試合をどうマネジメントするかが大事』とよく言っていたんです。今まで日本は初戦からフルパワーで戦っていたけど、それじゃ決勝までの7試合は戦えない。スタートはもっとゆるくていい。森保(一・日本代表監督)さんは1度W杯を経験し、次のW杯では決勝トーナメントを見据えて戦える。先のことを戦いながら考えられる指導者じゃないとベスト8はもちろん、優勝なんて狙えないと思います」

――秋葉監督自身の野心はありますか。

「代表監督をやりたいですね。今のところ五輪とU-17、U-20、A代表しかW杯はないですけど、死ぬまでにどのカテゴリーでもいいのでチームを率いて世界一になりたい。年齢別世代のコーチをしていた時、ドイツやイングランドに行くとそこのコーチに『内容は日本がいいし、中盤はうまい。でも、一番大事なゴールは俺らが勝っている』と言われて、悔しくてね。『いつか、お前ら見てろよ』と思っているんです。でも、世界は下の世代からこつこつ強くなって、彼らがA代表になった時、初めて狙える。実際、(小野)伸二たちがワールドユースで準優勝したあとのA代表が一番強かった。世界を狙えるチームになった時、何かしらで携わっていたいですし、優勝トロフィーを掲げたいんですよ。『それ、見たことか。これが日本やぞー』って叫びたいんです」

後編に続く>>「ビルドアップは興味がない」 超攻撃的サッカーを目指し「世界と違うことをやっていたら意味がない」